第47夜 5・6 少年の名は雨
5・6 少年の名は雨
午後、久しぶりの雨が降った。柾木が心待ちにしていた雨だった。雨が降れば、柾木は詩を書ける。雨の夕方なら、もっと良かった。雨は夕方まで降りつづいた。柾木は傘を持たずに出かけた。
五月の雨に、濡れてみたかった。彼は雨の街を歩いた。そして電車に乗って出かけた。何処かへ行くより、電車に乗るという、ただそれ自体のために、改札を通った。
柾木は、スマートフォンを片手に、メモ機能に親指で詩を書いた。ホームや電車の窓辺で書くには、それがいちばん都合が良かった。
電車は、ひとところに留まらない。つねに、何処か次の場所へ、次の場所へと、走りつづける。次の駅に辿り着いては、また次の場所へ。それは「此処ではない何処かへ」を、少しだけ期待させてくれた。たとえ敷かれたレールの上でも、乗り換えれば線路は何処へでも行けた。雨の詩を書くには、それがよかった。
雨。それが少年の名だった。彼の中に住む、ひとりの少年。それは彼がかつて出会った者たちの、そして何処かへ行ってしまった者たちの、追憶が織りなす一人の少年。おなじ眼差しを持つ少年たちの記憶。崩れ、薄れゆく青春の砂像。ひとりひとりの思い出が断片になったとき、それらは集まってひとりの少年になった。柾木はその少年を雨と名付けた。或る少年の名は、雨。雨に捧ぐ―少年へのはじめての詩が書けたとき、しとしとと雨が降っていたからだ。柾木は少年たちへの手向けに、雨に捧げる詩を書いていた。それは雨の日に頁が刻まれる詩集だった。
そして今日もまた彼は、雨に一篇の詩を書いた。(了)
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