第46夜 5・5 再び、河原の水切りの少年

5・5 再び、河原の水切りの少年

 

 柾木は、少年と二人連れ立って出かけた。出かけたのは、鯉のぼりではなく、等々力渓谷だった。陳腐な芸術肌の柾木に、五月五日に鯉のぼりを見に行くなんて、通俗なことはできなかった。それで、よく晴れていたから渓谷へ行くなんて、陳腐で安易な悪手を打った。

 連休最後の等々力渓谷は、同じような考えの人々で溢れかえっていた。川べりをコンクリートで固め、その上に遊歩道を整備し、川底までもコンクリートの、夏休みの家族連れで賑わう都立なんとかウォーターパークよろしく、等間隔に石を配置してつくられた「大自然」。それが東京唯一の渓谷の姿だった。おあつらえ向きに用意された森は、「渓谷入口」の看板のすぐ後ろから始まり、「渓谷出口」で律儀に終わっていた。多摩川へ続いている渓谷の水は、看板のすぐ後ろで住宅地を流れるドブ川に姿を変えた。

 柾木はそのあまりに人工的な「渓谷」を、ひたすら毒づきながら歩いた。まったくここは、人間に支配されたもんで、おそろしい自然なんてものはありゃしねえ。ぜんぶ管理された人工じゃねえか。そのくせ、これをみて「大自然すごいね」なんて、まったく東京の人間にはもってこいだ。見栄とコンクリで塗り固めた高級住宅地の上級国民さまには、こんな絵に描いたような観光地がぴったりなんだよ。あいつら自然は好きだけど、舗装されてない道を歩くと死ぬらしいからな。まったくばかげてやがる。ほんと、東京らしいじゃねえか。

 少年は同調して笑っていた。二人は渓谷を後にすると、ドブ川に沿って多摩川へ歩いた。東京にかろうじて残された自然には、人はまばらだった。砂礫地帯の河原へ降りると、二人でしばらく水切りをした。

 柾木は、いつかの河原を思い出していた。だから、少年の写真は一枚も撮れなかった。河原で水切りの少年を撮れば、彼がいなくなってしまう気がしていた。(了)

 

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