第9夜 3・29 殴り倒す話

3・29 殴り倒す話


九日目。今日は、昨日の続きから書きたい。ドラえもんの話だ。

昼間、昨日気になったので、ついまたそろばん教室に行ってしまった。

やっぱり、ドラえもんがキティちゃんを殴り倒していた。昨日は、前を通り過ぎる一瞬しか見なかった。時間にして、一秒足らず。それだけでドラえもんはキティちゃんを三発も殴った。キティちゃんが可哀想で、つい今日も来てしまった。やっぱり、キティちゃんは殴られ続けていた。この世に神はない。明日もドラえもんは、日暮れまでキティちゃんを殴り続けるだろう。

今日は、はじめてベランダで書かない。0時の更新も遅れてしまった。飲み会があって、友人の家にいる。終電を逃して、泊めてもらった。そこから、スマホで書いている。何字書いたか、今日はわからない。それでも、更新だけはする。酔って書いているから、めちゃくちゃだ。文体も、中身もなにもない。友人は、もう寝てしまった。

友人と言っても、後輩だ。ひとつ下の後輩は、この三月で大学を卒業した。おれは、何をしているのだろう。

友人が起きているときは、話していた。彼は明々後日にはもう、社会人だ。僕は、これを書くのが一日の仕事。いったいどこで差がついたのか。友人は、生活リズムを整えると言って、寝た。起きろ、と言って、僕は彼をしこたま殴った。彼はもう起きなかった。おれは何をしているのだろう。

いまは、これを毎日ただ書く。書きつづけることだけで、生きている。たとえ時間に遅れたとしても、これを書かなければ、生きている証がない。それ以外は、ただ寝て過ごしている。寝て、本を読むだけの毎日。本を読めば、「これがおれの文学だった」と思う。そのスタイルを真似ようとする。そしてまがい物が出来上がる。出来上がれば、満足して飽きる。それっきり、また新しいものに酔う。酔って影響を受ける。それで、おれの文章は書けない。

人生は、一過性のブームの連続だ。その断片の集合体が、すなわち人生。だから今日気になっているドラえもんのことも、きっと明日には忘れてしまうだろう。それを忘れても、時々思い出して懐かしむために、これを書いている。いつか何者かになった日のために、初心忘るるなかれと、過去からのボトルメールを届けるために、まだ過去が今であるうちに、これを書いている。

過去とは、過ぎ去ったいまの集合体である。時間とは絶え間ないいまの連続であり、微分されたいまという断片の終わらない流動である。われわれは、どこまでも続くいまの連続体を、猛烈な速さで乗り換え続けている。とどまらず、いまは流れつづける。ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。鴨長明は、天才だった。

でも、それがなんだって言うんだ。おれは、所詮一介のおれだ。もう何字書いたかわからない。始発電車までは、帰れない。友人は、目を覚まさない。しこたま殴り倒してしまいたい。酔って帰れないおれも、殴りたい。もう何字書いたかわからない。とりあえず、今日はボンカレー以上のごみだ。書いたことだけが、事実だ。明日は、明日こそ、ちゃんと書く。今日のおれは、殴り倒されるべきだ。(了)

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