配達完了【完】
「パスワードは……」エプルレヴィススリーの声が聞こえる。
「今思い出した。“片手の鳴る音はいかに”は、有名な禅の公案ね。サリンジャーの短編集の前文にも書かれてた」
「そうなんだ」声に喜色がにじみ出た。
「それなら答えは、see more glass. もっと鏡見て」
アパートのドアが開いた。珠子の胸は充足感に満ちていた。地球の、日本の、自分の生まれ故郷でさえ、彼女の一種内にこもった感覚を共有できる相手とは出会うことはなかった。それなのに地球からなん光年も離れた場所に、これほど楽しみを分かち合える相手がいるとは奇妙なことだ。
エプルレヴィススリーの部屋のリビングで、ふたりは食い入るようにテレビを見つめている。珠子はソファでクッションを抱きしめながら、エプルレヴィススリーは床に直接座って。国会中継が始まったのだ。会議はしばらくなんの支障もなく進んでいたが、やがてひとりの粘液生物が駆けこんできた。緊急時の連絡員だろうか。円形の議事場の真ん中で息を切らせている。その場は少し騒然とし始めたようだ。連絡員は議長に駆けより、何か耳打ちらしきことをしている。
珠子が固唾を飲んで見守っていると、間もなく議長から「休会」の宣言が出された。珠子はがっかりしてソファの背に身を預け、エプルレヴィススリーもため息をつく。
「これで終わり?」と珠子。
「のようだね。あーあ! もみ消されて終わりかなあ」
「ちょっと待って。まだ中継は続いてる」
以下はテレビの音声である。
「……議長、それでお味の方は?」
「黙らんか! 今はそんなことが問題なのではない!」
「しかし、あなたはいい味だったとおっしゃってましたよね、サー・マジャイクケソルン。毎日このランチが食べたいものだと」
「おい余計なことを言うな、お前は誰だ! 不法侵入だぞ」
「私は記者でして。いてもおかしくないでしょう」
「私も記者です」
「私も」
「こちらにもいますよ! こんなにおいしいランチを違法にするんですか?」
「ええい、出て行け出て行け! 議員諸君、許可なく発言せぬように!」
「そうおっしゃいますが、我々をここに入れてくださったのも議員のみなさんなのですよ」
「疑心暗鬼に陥らせようとしている、罠だ!」
「ねえ議員さん方! 市民には他惑星の品物を禁じておいて、あなたがただけこっそりお楽しみですか!」
「これは違法です! 逮捕されてもおかしくない! 現にもう何人も投獄されてるんだ!」
「知らなかったじゃ済まない。そういう法律にしたのはあなた方だ!」
「黙れ、出て行け、カメラを止めろ!」
「我々には自由がある! 愛するピザを食べるという自由が!」
国会は狂乱の様相を呈している。いつまで経っても中継が切れないところを見ると、テレビ局も珠子たちの味方のようだ。珠子は我知らず涙を流していた。またエプルレヴィススリーも同じだった。ただし彼の目から垂れているのは青い粘液だったが。
「これで何かが変わるだろう。どう変わるかはわからないが。それでも僕はピザを注文するよ」
「ありがとう。そうしたら、また運んでくるわ」
やがて珠子は立ち上がり、部屋を後にした。
街は大騒ぎになっている。興奮した粘液生物たちのあふれさせる粘液でスリップを起こさないよう注意しながら、珠子はゆっくりとトラックを進めた。
スペースポートを離陸し、大気圏外に出る。銀河系は今日も晴れている。珠子は地球を目指した。
その小さなピザ店は今日も某地方都市の片隅でひっそりと営業している。あなたの街にピザ店があったらよく観察してみるといい。その店の二階には謎の出入り口がないだろうか。もしあなたがピザを好きな宇宙人であれば幸いなことに、それは宇宙からの注文を受け付けているピザ店だ。番号はチラシに載っているからかけてみてほしい。Mサイズは千二百円である。
宇宙宅配ピザ〈ピザーヤ〉 青出インディゴ @aode
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