第04話 器が熱くなっておりますので

 俺は涙を飲んで、「準備中 店主都合により、本日休業させて頂きます」と書いた黒板を店の前にぶら下げ、窓のブラインドをすべて下げる。

 月初め、メニューが変わった初日は売り上げが最も高い傾向にある。開店前から行列ができることも珍しくなく、周辺に商社も多いこの場所でお昼時のこの時間を逃すということは、それらの行列を根こそぎ他店に奪われるということだ。これは大変だ。ほんとうに胃が痛い。


「説明、してもらいたいんですが」

 低い声に振り返ると、継ぎ接ぎだらけのツナギの中をザワザワと言わせながら、雛ちゃんは得意とする武器であるところの蛇腹剣を起動させる準備をすでに整えていた。

「……どこから説明すればいいんだろうなこれ」

「全部ですよォ!!」

 混乱のために涙目になりながら雛ちゃんは俺に詰め寄ってきた。

「だいたぁい! この月初めのいちばん大事な時にィ! なぁんで皆月さんは女僵尸ニユチィアンシーなんかを店内に入れてるんですかぁ!!」

 彼女はそう言いながら、麺をのんきにすすっている夕陽を指差す。

「あ、私もう別に僵尸チィアンシーとかいうやつじゃないから大丈夫っスよ。さっき7個目の替え玉でいい感じに人間に戻ったんで」

「そゆこと言ってんじゃないんで……って何ィ!? 替え玉7個ォ!? 皆月さん、さっき私にはまかないの替え玉は2個までって言ってたのにこの子7個も食ってるんですか!?」

「7個目は完食済みで現在8個目っス。ちなみにスープも足してもらっちゃいました!」

「なっ……ば、ちょ、いやそれなお悪いですよね!? ぶっ殺しますよほんとに!!」

「雛ちゃんは武器を仕舞いなさい武器を!! ね!!」

 なんだかもう場の空気がひっちゃかめっちゃかになり始めた。雛ちゃんのツナギのザワつきもアカンレベルに達しそうだったので、俺は慌ててカウンター席にできたてのラーメンを置く。

「と、とりあえず雛ちゃんも食べなよ!」

「なっ……なにをですか!」

「まかないだよ。仕事の前後に出してるじゃないか」

「……食ってる場合なんですか、この情況」

 ラーメンをちらりと見て、雛ちゃんは言った。ぶっちゃけた話そのツッコミは頷いた首が音速を超えるレベルでごもっともなんだけれども、彼女にはとある傾向がある。

「まあまあ、とりあえず食って落ち着こう。この子が女僵尸ニユチィアンシーになっちゃったのはどうやら事故だ。そのへんは信じてもらえる?」

「…………まあ、そのへんは?」

 とても不満げにそう言いながら、雛ちゃんはテーブルの箸立てから割り箸を引き抜く。当店の割り箸は吉野杉の間伐材を使用した細角箸で、なめらかな持ち味と滑りにくい箸先は、和食はもちろん洋食であろうと、あらゆる料理を美味しく食べるのに適して——いや、まぁそのことは今のところどうでもいい。

 閑話休題、雛ちゃんの傾向の話だったな。彼女の傾向というのは——

「……いただきます!」

 美味しそうなご飯を目の前にすると、一旦あらゆる思考を放棄してご飯に集中する、というものだ。

 仮にここで俺がラーメンを出さなかったら、最悪の場合この店は瓦礫の山と化していたかもしれない。超肉体派ヴァンパイアキラーであるところの彼女が主に使用する武器は、全長12メートルの蛇腹剣と、35mm口径SAPHEI(※1)弾を改造した炸裂杭で、それらを駆使して周囲の建物ごと目標を吹き飛ばしながら追い詰める戦術は、敵味方問わず「台風の目アイウォール」と呼ばれ恐れられたものだ。

「……でだ、夕陽ちゃん。俺たちの慌てっぷりを見てわかる通り、いま君はとんでもない状況に巻き込まれている。それはわかるね」

「はいはい」

 油でテリテリになった唇を舐めながら、夕陽ちゃんは面倒臭そうに言い、色気のかけらもない仕草で首元をおしぼりで拭う。そういえば豚骨スープの匂いのせいで忘れていたが、こいつは数日間風呂に入っていないはずだということを思い出した。

「そのへんの……あれだ、難しいことはあとでしっかり話すとして、君お風呂入って来なさい。そこの扉抜けた先の階段登れば、このビルの2階が俺の家だから」

 そう言って、俺はトイレの隣にある『STAFF ONLY』と書かれた扉を指差す。

「…………あー」

 夕陽ちゃんは一瞬何か考えて、少し離れた席に座る雛ちゃんを一瞥したあと、

「それなら、お言葉に甘えて」

 と口にして、仕方ないとばかりにため息をついてから立ち上がる。俺と全く違う常識の手札を持っているものの、空気を読む程度の知能はあるようだ。

 そして、夕陽ちゃんが扉の奥へ消えたのとほぼ同時に、雛ちゃんが一杯目のラーメンを食べ終わる。

「皆月さん替え玉ください。硬さ普通で」

「よしきた」

 最初よりは幾分機嫌が直ったのか、満足げな表情で雛ちゃんは水を一口飲む。

「あの、それで……あの子、大丈夫なんですか?」

 心配そうな表情をして、彼女は背後の扉を見つめた。俺は麺玉を茹で鍋に放り込みながら、

「とりあえずは大丈夫だよ。僵尸チィアンシーになっても自我を失ってないし、挙げ句の果てに火で煮炊きしたもので人間に戻る伝説まで体現してる」

 と背中越しに雛ちゃんに言った。

「術者が操れるたぐいの僵尸チィアンシーじゃない、あれはもう『俚伝りでん』の域に達してると俺は思うよ。邪封の縛縄もまるで効かなかったしな」

「先輩の縛縄効かないってガチでやばいじゃないですか」

「だから退魔どころの話じゃないんだよ。聖だの魔だのの領域はとっくに踏み越えてるんだ、多分」

「はぇ〜……俚伝級って、久しぶりに見ましたよ、私」

 雛ちゃんは感心したように言うと、仕方ないとばかりにため息をついた。


 俺たち退魔師の間でいうところの『俚伝りでん』というのは、簡単に言えば『伝説や伝承になりうるレベルの怪異』で、その中でも特に大きな害悪がないものを指す。

 これらは、例えば水が高い場所から低い場所に落ち、冷やせば氷に変わり、熱すれば沸騰し蒸気に変わるといった『あたりまえの自然現象』として周囲の環境に溶け込んでいる場合が多く、俺たち退魔師……否、人類はこれに対して打つ手があまりない。


 具体的には、そのまま放っておくか、監視しつつ共存していくかくらいの選択肢しか残されていないのだ。


 ただ、実はこの『俚伝りでん級』の怪物はかなり人々の生活に近い場所にある。

 例えば、普段スーパーやコンビニで売られているマッチの頭薬に、福井県東部のとある山に住んでいる、『赤龍緋セキリュウヒ』という不動の怪物の皮膚から大量に分泌される塩剥えんぼつが使われていたり、はたまた熊本県の洞窟水源に鎮座している『ナナカマド』という水神が無限に水を生み出すため、魔術・呪術的な浄水を経てそこから地域住民が生活用水を得ていたり、新潟県南部のとある山には土を主食とし数年に一度地中から顔を出しては翡翠を川に吐きだしていく『蛇紋じゃもん琅玕ろうかん』という蛇が居たりする。


 あとはこの街、嵯峨崎にある嵯峨崎大学の教授や、とある宗教団体の代表、そして俺が以前属していた退魔師団体の代表も、そういった怪物の一体だ。


 これらの怪物を、過去の人類は何度か退治しようと試みたこともあった。だが、呪術的な技術が隆盛するにつれ、そういったたぐいの怪物は『退治とかそもそも無理なやつら』であることがわかり、日本でいうところの平安時代には陰陽師などが先導しそれらを退治たり調伏したりということは行われなくなる。代わって、秘密裏に周囲の環境を整えたり、無理のない程度に手を貸してやったり、そもそも手をつけないことで付き合っていくための方策を人類は取り始めることとなったわけだ。

 ちなみにこの類で人類に対し害悪のあるものを一般的には『天災』と呼ぶ。正直手がつけられない上に見境もないが、この類は周辺の俚伝級が寄ってたかって殺す傾向にある。世の中はうまくできているなあと感心するばかりだ。


「なら、皆月さんはその監視役になっちゃったってことです? 暫定的にではあるにせよ」

「うーん……そうなるなぁ……」

 雛ちゃんの言葉に、俺は大きなため息をつきながら麺を湯切りする。湯切りといえば深ザルを使ったなんちゃら落としだとかうんたら返しだとか大仰な名前をつけて辺り構わず湯を散らかすことに精力を注ぐ意味のわからない文化があるようだが、正直なところ、あの技とやらには味をよくする効果は何一つない。最も効果的なのは平ザルを用いて麺をある程度広げたのち一撃で湯を切る手法だと俺は思っているが、まあ正直なところこれは好みの問題だろう。

 閑話休題、あの武村夕陽とかいうデタラメ娘がその俚伝級のたぐいに当てはまるかはまだわからないが、少なくともその辺にいる道士が作る僵 チィアンシーなんかとは比べものにならないレベルで完成度の高いものであることは疑いの余地はないだろう。


 ……あーなんだ、これ退魔師知識と料理知識のどっちが閑話で休題してるのがどっちなんだかわかんなくなってきたな。こんなとっちらかった状況を招いているのは俺の経歴のせいだが諸兄は諦めて両方聞いてくれ。仕方ないだろ、そういうあれなんだこれは。

「……それより皆月さん、いいんですか?」

 アルミのパイ皿に乗った替え玉を受け取りながら、雛ちゃんは言う。もう正直な話何がいいやら悪いやら脳内がヒチャカチャになってきたところで、

「なにがだよ」

 とぶっきらぼうに俺は返す。

「昼の営業全滅させていいのかってことですよ」

「よくないよ?」

「ですよね?」

 そう、とてもよろしくない。なーにがいいやら悪いやらヒチャカチャになっただ馬鹿野郎、この状況は当然よろしくないし半日の売り上げが全部パーとか最悪にもほどがある。しかもこの邪悪な状況が僵尸チィアンシーによって元退魔師の店で生み出されているとか本当もう笑えない。ははは。

 ——ただ、まずは突き止めなければならないのだ。


 本日最初のお客様と相成ったあの女僵尸ニユチィアンシー——武村夕陽作ったなんらかの組織が、この近くに存在するか、否かを。

 なぜなら、あのレベルの僵尸チィアンシーを作り出すためには、おそらく相当数の「出来損ない」が生まれたに違いないからだ。


 雛ちゃんもそれは分かりきっているようで、俺の目配せに現役時代の鋭さを持った視線で応えると、自嘲とも取れる薄い笑いを口の端に浮かべる。

「……結局、元稼業からは逃れられないもんですね」

「素材からとれるスープの味は、大方決まってるもんだ。俺たちは血を浴びすぎたんだろうよ」

「……人の血の味、ですか」

「客は怪物ばかりなりってな」

 きっと俺も、雛ちゃんと同じ薄い笑いを浮かべているんだろう。



「……ちくしょうめ」

 寸胴から薄く上がる湯気に向かって、俺は小さくぼやいた。



(※1SAPHEI Semi-armor piercing high explosive incendiaryの略。徹甲弾、榴弾、焼夷弾の三つの機能を持った弾頭のこと)

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