第03話 ご注文は異常でよろしいですか?

 元・女僵尸ニユチィアンシーの人間の女、武村たけむら夕陽ゆうひが、この俺皆月みなづき芳竜ほうりゅうの経営する飲食店「ダイニング芳竜」に足を踏み入れて、およそ1時間が過ぎた。

 彼女の前に積まれている替え玉用の皿は既に5枚を越え——

「替え玉、ハリガネ!」

「ウッス」

 食事が始まって30分ほどで、6枚になろうとしている。

 当店の麺はこだわりの自家製、製法は極低加水のストレート細麺であり、その重量は一食およそ180グラム。つまるところこの女は初めの一杯と替え玉6つを完食すれば麺だけで1260グラムを胃の中に収めているわけであり……っていやちょっとまて麺だけで1キロ越えたぞおい。一体どれだけ食うんだこの女は。

 それに、普通替え玉ってギリギリ頑張ってもスープの減り具合とか麺ばっか食ってる罪悪感とかに負けて3つくらいがボーダーじゃない? だってほら6杯も替え玉しちゃったらお店側からするとその麺玉で6杯ぶんラーメン作れちゃうわけじゃん? それを100円とか150円とかの替え玉でほいほい食べまくっちゃうと、なんか申し訳ないのに加えて「なんだこいつ麺ばっかパンパカ食いやがってガメツイやつだな」とか思われたらやだなーとかそういうふうに思っちゃわない?

「そこんとこどうなのよ武村さん」

「は?」

「あ……いや、あのさ、なんつうか、こう……替え玉ばっかりしてると……その……罪悪感とか、そういうのない……?」

 と、なんだかこう、妙な威圧感と有無を言わせない迫力を漂わせている夕陽ちゃんに、俺はしどろもどろに聞いた。

 すると、彼女はあっけらかんとこう言う。

「ない。だって一杯だけおごってくれるならその一杯を大切に食べないとバチあたるじゃない」

「ン〜〜〜〜?? 替え玉何個目かなぁ〜〜〜??」

「6個目! すごいでしょ! スープもギリギリ!」

「そうだねぇ〜〜〜すごいねぇ〜〜〜!!」

 言いながら、俺は貼り付けたような笑顔で6つ目の替え玉が載った皿を彼女の前に置いた。

(だめだ、全く話が通じねェ)

 俺は戦慄する。互いに所持している常識が完全に噛み合っていない。恐らくこいつは俺の知らない特殊な教育機関をご卒業されたに違いないだろう。そうに決まっている。

(それに限定200食の麺玉が営業時間がスタートする前に7個消えただなんて……すべてラーメンとして換算した場合は1杯税抜650円の総計4550円が消えたというのか……ふふふ……悪夢だ……これは何か悪い夢だ……)

 小娘の胃袋へと消えた小銭とお札を数えながら、俺は湯気の立ち上る茹で鍋の前で天井を仰ぐ。ちょうど換気扇のフードに貼り付けられたデジタル時計が目に入り、今の時刻が11時45分だということが分かった。

 その瞬間、約5000円の売り上げが使途不明金として消えたことで力を失っていた俺の体に、活力がみなぎる!

(そうだ、忘れていた……! 11時45分、それは——!!)

「おはようございまぁーす!」

 少し重ための入り口を難なく開き、小さな十字架ピアスがチャームポイントで、アシンメトリーショートカットの小柄な女性が元気な挨拶とともにエントリー! 名前を北沢ひなという、働き者でとてもよい子だ! 加えて言えばドがつく常識人で、当店のもう一人の従業員! 継ぎ接ぎだらけのデザインのクールなツナギを身にまとい、くるくる可愛く表情が変わる、当店きっての看板娘! そんな彼女の出勤目安時間が11時45分なのだ!

「おはよう、雛ちゃん!」

 俺はようやく出現した味方に爽やかな笑顔でお返事! そう、彼女も何を隠そう元退魔師! 西洋呪術に精通した極攻撃型の吸血鬼殺しバンパイアハンターだ!

 彼女はカウンターに座る、ボサボサ頭の変な女を見て首をかしげる。

「あら、お客さんです?」

「違うよ、ぜんぜん違う。ひなちゃん、こいつはな——」

 と、俺はそこまで口にして、現状の「現実味のなさ」に口をつぐんだ。

 考えてもみろ。だなんて、馬鹿げてるだろ?

 俺たち退魔師は、そういったを、しこたま滅して潰してきたし、そもそも火で煮炊きしたものを食って人間に戻るなんざ、神話や伝説で語られる僵尸チィアンシー以外に聞いたことがない。


 つまり、退魔師だとかいうを生きている俺たちだからこそ、世界はすごくシンプルなルールに縛られているってことをよく知っているんだ。



 それは、『一度死ねば、生き返ることなど出来ない』というルール。


 

 つまり、この武村夕陽とかいう元・女僵尸ニユチィアンシーは、だということなのだ。


「じゃあ、何ですかその子?」

 俺の言葉が止まったのを不審に思い、雛ちゃんがその先を訊く。

(言う……べきではないだろう。後でこいつには詳細を聞くとして、今はとりあえず……)

「あ、ふぁふぁふぃふぁふぇふふぁふぅふぃふぉ」

「口にものを入れたまましゃべらないの!!」

 6つめの替え玉を口の中いっぱいに頬張りモゴモゴになった夕陽に向かって、俺は叫んだ。

「はは、仲良いですねぇ、ご親戚とかです?」

 雛ちゃんは肩にかけていたバッグを下ろしながら言う。どこをどう見たらこんなボロボロの汚い雑巾女が俺の親戚に見えるのかは解らないが、ちょうど良い助け舟だ。俺はとりあえずそのネタに乗ることにする。

「まぁ、そういう感じだ。ちょっとここに来るまでに色々あったみたいでな、財布も荷物も失くして身一つでたどり着いたらしい」

「あらー、そりゃ大変ですねぇ。お名前なんていうんです?」

 困ったように笑う雛ちゃんに、俺は苦笑いを返しながらこう言った。

夕陽だ」

「ふぁっ!?」

 夕陽ちゃんからは抗議の視線と吹き出された微量のラーメンスープの飛沫を浴びたが、俺は大人だ。こんなことでは怒らんぞ、怒らん。怒りついでに俺は続けざまにこう付け加える。

「俺の父方の叔父の娘だから苗字も一緒でな。しばらくここに居候することになる」

「へー、なるほどぉ」

「ふぁっふぇ! ふぉんふぁふぁっふぇふぁふぉふぉふぃふぁ」

「飲み込むか話すの止めるかどっちかにしなさい!」

「んぅー! むぐ……!! むぐ……」

「フハハハ低加水麺はスープがなければ咀嚼を強いられてつらかろう。言っておくがスープは絶対に足さんぞタダ飯喰らいめ」

「むっ……ぐぐ……!!」

 なにやらむぐむぐ言い続けている夕陽ちゃんを尻目に、俺は既にエプロンを装備し準備万端の雛ちゃんと一緒に開店準備を始める。

「いやぁ、しかしほんとにラーメンなんすね今月! 皆月さんならやってくれるって信じてましたよー」

「そうだぞぉ、まかないもラーメンだぞぉ雛ちゃん」

「わーい! 替え玉していいんスよね?」

「2つまではつけてやろう、それ以上は客入り次第だな」


 ……なんてのんきな話をしていたのが、おそらくは間違いだったのだろう。

 その時、俺は気づかなかったのだ。


 カウンターに座っている武村夕陽が、麺を喉に詰まらせていたことなど。


 そして、それによって呼吸は停止し……。


 心臓までもが、その鼓動を止めていたことなど……。


 知るよしも……なかったのだ……。




「あのぉ、皆月さぁん……」




 付け加えて言えば……




「あ?」




 それによって、武村夕陽が……




「なんかぁ、わたしぃ……もどっちゃったみたいでぇ……」




 僵尸チィアンシーに戻っていたなんて……



 知るよしもないっていうか、はぁ!?



「待って待って待っておかしいおかしい。ちょっと待ってちょっと待って、お前なにそんなカジュアルに種族間を行き来してるの? バカなの!?」

「えぇ……そんなこと言われてもぉ……そのぉ……」

「な、なんスかこの子……この香の匂いってまさか、これ大陸系の——!」

「ああー待って雛ちゃんちょっとまって落ち着いてその取り出した銀の杭と蛇腹剣を今すぐ仕舞ってすぐ仕舞ってお客さん来ちゃうかも知れないでしょ」

「だ、だだだだってこの子間違いなく僵尸チィアンシーじゃないですか! そんなんがご親戚とかなんなんですかもぉ!!」

「あのぉ……もういっぱい……ラーメンをいただいても……」

「お前そのラーメンで今しがた死んだけどまだ食うの!? あといま立て込んでるからあとにして!!」



 ……まぁ、そんなわけで。


 大変不本意ながら、今月最初の営業日は『店主都合により休業』と相成ったのだ。

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