第02話 当店は現金のみの取り扱いとなっております

「えへへぇ……いやぁ面目ないですぅ……」

 カウンター席に座る僵尸チィアンシーの少女はそう言って苦く笑うと、微妙にぎこちない動きをして頭をかいた。

「まだ完全に死後硬直が解けていないみたいだな。どこから逃げてきた、日本に僵尸チィアンシーを作れる組織があるとか聞いたことないぞ」

「ちぃあん……?」

「ゾンビみたいなもんだ」

「あー、どおりで私ぃ、脈がないんですねぇ……」

 しみじみと土や埃で汚れた自分の体を眺めながら、彼女は少しだけ悲しそうな顔をする。それもそうだろう、彼女の様子を見ていれば、望んでこの姿になったわけではないことなど、一目瞭然だった。

「……誰にやられたか、覚えてるか」

「その辺はぁ……なんていうかぁ……あんまり、わかんなくてぇ……。なんかぁ……黒ずくめっぽい人たちにィ……さらわれて……首切られたところまでしかぁ、覚えてなくてぇ……」

 間延びした声でとんでもないことを言いながら、少女はもう一度苦笑いを浮かべる。どうやらにさらわれ、僵尸チィアンシーとして転化させられたのだろう。首元には塞がってはいるものの乱雑に縫われた跡があり、彼女の言葉が嘘ではないことを示していた。

「はぁ……それで、お前はなんでここに来た。俺が元退魔師だと知っててここに来たのか」

「たいま……? なんですかぁ、それぇ……」

「あー、じゃあ、そうだな……なんでここに来たかだけ教えてくれ」

「んぅ、あ、はいぃ……えーと……うん、なんかぁ、さっきそこのぉ、申酉しんぜい通り? ……ってところでぇ、はって目が覚めてぇ……なあんか美味しそうな匂いがしてぇ……そいえばお腹すいたなぁって思ってぇ……」

 そう言うと、彼女は体を斜めにして、俺の後ろで煮立っている豚骨スープの鍋を覗き見る。

「お財布とかぁ、取られてるみたいでぇ、あのぉ、お金が……ないんですけどぉ……食べさせてほしいなぁって……」

「却下だ」

「えええぇ……そんなぁ……は、恥ずかしいけど、体で返しますからぁ……!」

「当店は現金のみの取り扱いとなっております」

「そこをなんとかぁ……一生のお願いですからぁ……」

「忘れてるようだけどお前の人生既に終わってるからな」

「そうでしたぁ……ううぅ……しまったなぁ……一生のお願い、もう使えないんだぁ……」

 ツヤをなくした長い髪の奥で、少女の顔は悲しみに歪んだ。

(なんだろうな、こいつは……?)

 俺は思う。まぁ当然の疑問だろう、生ける屍である僵尸チィアンシーがいきなり店に押しかけてきて、一生のお願いだとかいう捨て身のギャグを盾に豚骨ラーメンを要求してきているのだ。そりゃあ変に決まっている。

 だが、俺が強く違和感を感じていたのは、それとは別の場所だった。


 ——

 こんな風に僵尸チィアンシーを、俺は見たことがない。


 普通、僵尸チィアンシーはそれを作った道士の命令に絶対に従う。道士のレベルが低ければただの人形と同じであり、人語を解する事すら難しいだろう。

とはいえ、レベルの高い道士に作られた僵尸チィアンシーは、意識をある程度保っていたり、自我を持つことがある。

 だが、そいつらも怪物に変わりはない。例外なく人間の血や肉を求め、飢えに耐えきれず凶暴になるか、自分の境遇を呪って凶暴になるかのどちらかだった。


(……こいつは、凶暴どころか……


 そう、死後硬直が解けかけているところを鑑みても、死後3日か4日……禁術チンシューで体内腐敗は止められているようだが、それにしたってそろそろ人肉が恋しくなる頃だろう……だが、こいつは……



 ……!


 のだ……!



「やっぱ面白すぎんだろお前」

 僵尸チィアンシーとしての特殊さに比較して、その特殊さが醸し出す通常の僵尸チィアンシーとのギャップに思わず俺はそう口に出してしまう。

「えあぁ……? な、なんでですかぁ……!」

「なんでも何もねぇよ。ったく、今日最初の客が僵尸チィアンシーとかよ……ほんと俺もツイてねぇな」

「ちぃあ……? なんですかぁ、それ……」

「なんでもねぇよ……おい、お前名前は?」

「へ? あ、ええと……武村たけむら夕陽ゆうひですぅ……武の村に、夕方の陽の光で……」

「オーケー武村ちゃん。俺は皆月みなづき芳竜ほうりゅう。よろしくな」

 言いながら、俺は彼女に向かって手を差し出す。武村ちゃんはおずおずと、冷たい手で俺の手を握り返した。


 その瞬間。

 俺は袖口から取り出した勅符を彼女の腕に叩きつけ、それと同時に術により強化された縛縄で体を縛り上げる。反応する暇さえ与えず、俺は彼女をその場に釘付けにした。

「ひあっ!? えええ、なんですかこれぇ……!」

「悪いな、元退魔師として、お前の存在は無視できねぇ。抵抗すんなよ、暴れればより食い込むような術がその縄には施され」

「えい」

「嘘ぉ」

 俺の話の途中で、ぶち、という地味な音とともに縄はむしられた。面倒臭そうに体に巻き付いた縄を解きながら、

「もぉ……あのぉ……こういうのぉ……厨二病っていうの……しってますぅ……? いい年したおっさんがぁ……退魔師とかぁ……恥ずかしくないんですかぁ……?」

「くっ!!」

 俺はカウンター越しのキッチンの中で膝から崩れ落ちた。俺の退魔師としての十数年間と、僵尸チィアンシーを含めた怪物の捕縛術に関して、誰よりも素早く強固に施すことができるという自信を、完膚なきまでに叩き潰されてしまったからだ。

 自分を僵尸チィアンシーだとも理解していない小娘によって……!

「くぅ……俺の、俺の術はもう錆ついちまったっていうのか……!」

「そういうのもういいですからぁ……はやくラーメンを持ってきてくださいよぉ……」

 そして、この後に及んでラーメンを要求してくるこの根性。

 ちくしょう負けたよ、なんだよちくしょう。そう思いながら、俺はゆっくりと立ち上がり、キッチンの端にある熟成の終わった麺玉を手に取る。

「……一杯だけだぞ」

「…………!」

「一杯だけだからな!」

「はいぃ……ラーメンさえ食べられたら……思い残すことはありませんから」

 彼女は、言葉のあとで、ふっ、と悲しそうな表情を浮かべた。



     ◇



 丼を温め、香ばしい匂いを湛えた醤油ダレを注ぎ、特製の豚骨スープをそこへ。

 短めに茹で、平ザルで湯切りをした細麺をそっと浮かべると、その脇に強い焼き色をつけた炙りチャーシューと、厚いメンマ……仕上げに青ネギを散らし、完成。

「……ほらよ」

「わぁぁ……美味しそうですねぇ……本当にいただいて良いんですかぁ?」

「いいから伸びる前に食えよ」

「はぁい、いただきますぅ……!」 

 目の前の僵尸チィアンシー……もとい武村夕陽は、ぱっと表情を明るくし、レンゲと箸を手ににっこりと笑う。

 先ほどといい、今といい……あまりにその顔に、俺は心の底がざわつく。

(どうする、皆月芳竜……本当にこいつを、組織に渡しても良いのか?)

 ……そう、ラーメンを食わせた後、俺は組織に連絡を取り、こいつをしてもらおうと考えていた。


 なぜなら、こいつは僵尸チィアンシーだったからだ。


 先ほどアッサリと千切られた縛縄は、本来ならば地神レベルの存在であろうが数日間は鎮めることができる代物だ。加えて、腕に貼った勅符は並の僵尸チィアンシーであれば、禁術チンシューをぶち破り即座に死体へと戻すことができるレベルの霊符。

「濃厚な豚骨にぃ……ほのかに混じる麺の小麦香……そしてネギの青く爽やかな香り……はぁ、たまりませんねぇ……」

 それをこいつは、ティッシュでできたを千切るかのように破り、振り払った。それだけで、すでに屍霊事変の僵尸チィアンシーをはるかに超えていることがわかる。

「はぁ……焦がし玉ねぎの隠し味がたまりませんねぇ、醤油は九州のものですよねぇこれ。ああ、チャーシューもよく煮込まれていて、んんんー美味しいぃ!」

 のんきな食レポをかましているが、こいつはが仕込んだ僵尸チィアンシーだ。おそらく、俺の退魔師人生の中で出会った誰よりも高位の……!

「あー美味しかった! 皆月さん、替え玉一つ!!」

「空気をぶち壊しすぎだよね!?」

「なに言ってるんですか皆月さん。豚骨ラーメンといえば替え玉でしょう。まさかとは思いますけれど替え玉が無いなんてことありませんよね」

「あるけどさ!! あるけどお前さぁ!!」

「そんならチャッチャと出してくださいよ。こちとらスープをなるべく減らさないように気を遣って麺すすってんですから。バリカタでよろしくお願いしますよ」

「えっ、なにお前……その……なに?」

 ……俺は、目の前でマシンガンのように口を動かす女を見て、言葉を失う。

「は? 何って替え玉ですよ、か・え・だ・ま」

 なんなんだこいつは、一体こいつはなんなんだ。

「お前……まさか……」

「なんなんですかもう、まさかお金が無いことに今更びびってるとかですか? ふふふ、甘いですね皆月さん。あなたは一杯だけって言いましたけど替え玉の制限まではされてませんからね、私はスープがなくなるまでは替え玉を繰り返しますよ」

「いや、そうじゃなくて……」

「じゃあなんですか? あーもーほらごちゃごちゃ皆月さんが言うからスープが冷め始めてますよはーやーくー替え玉替え玉! バリカタで頼みますよバリカタで!」

……?」


 そう、彼女……武村夕陽は、僵尸チィアンシーから……生ける屍から人間に戻っていたのだ。

(聞いたことがあるぞ、特に高位の僵尸チィアンシーは……!!)

 俺は背後で保温されている、ラーメンのスープを振り返る。

(火で煮炊きしたものを食うと、人間に戻るって伝説があると……!)


「ああ、そうみたい。それより替え玉はやく」

「えええ……」



 こうして、この元・女僵尸ニユチィアンシーである武村夕陽と、元・退魔師である俺、皆月芳竜は出会った。

 この時の俺は、この先あんなことが起きるだなんて露知らず……。




 替え玉を、茹で続けていた。

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