失感情症

シュウ

第1話

失感情症アレキサイミヤ


少年は、その病気を五歳の頃に患った。


厳格な両親の教育は、少年にとって重荷だった。


物心がついた頃には、「理知的でなければならない」と思い込んでいた。


自らの感情は内に秘め、常に冷静であろうとした。


その結果、感情論など彼の心には存在せず、厳正すぎる話し合いを彼はした。

少年の周囲は幼い故に感受性が高く、少年に言われることにより逆上することもあった。


少年もまた、幼い故に勘違いをした。


『自分も未だ、感情論を言っているのだ』と。


周りから見れば、不気味すぎる子供であった。


彼が感情的にならないことを人々は不気味に思い、人々が不気味に思えば思うほど少年は感情を捨てた。


結果、八年の月日が流れ十三歳になった時、彼は感情を完全になくしていた。


両親が嘆いても、既に遅かった。


少年は、何にも興味を持たずら何にも感情を示さなかった。


医者は言った。


「もし仮に、『何か』が彼に感情を示させたなら、彼は感情を取り戻せるでしょう」


両親は泣きながら問うた。


「『何か』とは?」


医者も真剣な表情をし、答えた。


「世界一美しい絵なら、彼の心を動かせるでしょう」


両親は、涙を拭きながら言った。


「わかりました」と。


幸いというべきか、両親は金持ちであった。


世界最高の画家に、「金は幾らでも払うから」と言い、世界最高の絵を描かせようとした。


しかし、世界最高の画家には信念があった。


『幾ら金を積まれようが、描こうと思わなければ絶対に描かない』


その信念を曲げさせるために、両親は毎日頭を下げに行った。


「息子に感情を取り戻させたいんです………」


あくる日はこう言い。


「何でもしますので、お願いします………」


あくる日は、そう言った。


その両親の思いに、遂に画家も折れた。


「顔を上げてください。最高の絵を描いてみせますから」


そう言った画家は、その日から絵に全てを捧げた。

今まで自分が作った最高の絵、即ち今まで『世界最高の絵』だった絵を越える絵を描くために、画家は筆を振るった。


そして、最高の絵は完成した。


誰に見せても、その絵を見た人は涙した。


誰もが言った。


「今まで生きていてよかった」と。


そして遂に、絵は少年に見せられることになった。


少年は、両親に「見てくれ」と言われた通りに見に行った。

機械的に、事務的に「はい」と答えて。


「どうだい?」


絵を見せられそう聞かれた少年は、自分が求められている解答を考えた。


「美しいです」


少年はそう答えた。


涙を流そうとしたが、生憎失敗した。


少年が空虚な目で答えたのを見て、画家は失敗したことを悟った。


それからも、両親による少年の感情を取り戻させるための努力は続いた。


世界一美しい絵の次には、世界一美味しい料理。


世界一美味しい料理の次には、世界一感動する映画。


次には漫画を、次には小説をと、無数のものを見せた。


だが、全て無駄だった。


何を見せても、何を食べても、何をしても、少年は感情を示すことはなかった。


両親が諦めかけていた頃。


少年は、ある少女と出会った。


少年に世界一の色々なものを見せるため世界各地を回り、一周回って日本に帰ってきた時のことだ。


「人と会わないことは症状を加速させる」と言った医者の言葉に従い、少年は学校に通い続けていた。


やはり、誰もが少年を気味悪く思ったが。


だが、少女は違った。


孤立している少年に、少女は話しかけてきたのだ。


「どうしたの?」


少女はそう問うた。


少年は、いつものように相手が望む答えを考える。


「……今、君は私が望む答えを考えてるよね?」


ゆっくりと、少年は顔を上げた。


その顔は、いつもと変わらず感情が見えない。


「君、驚いたよね?」


少女は言った。

何も言わず、驚いた顔をしているわけでもない少年へ向かって。


「私の望んでる答えじゃなくて、君の答えを聞かしてよ」


それでも、少年は相手の望む答えを考えた。


「君、驚いたよね?」という質問への答えを考えた。


「そうだよ」


少年は答えた。


奇しくも、少年が考えた少女の望む答えと、少年自身の答えは同じだった。


少年は、実際驚いていたのだ。


少女は、ニコッと笑った。


「うん、そうしなよ。私、相瀬 優愛あいせ ゆあ。あなたの名前は?」


これも、二つの答えは合致していた。


「……志野 純弥しの じゅんや


「純弥くんね。これからよろしく!」


相瀬優愛は手を差し伸べた。


志野純弥は、求められた行動を考えた。


「……よろしく」


答えは、握手だった。


それからも、二人はよく喋った。


相瀬優愛はクラスでの人気者であったが、クラスはの皆は誰にでも隔てない態度で接する彼女のことを好いていたので、それを止めることなどはなかった。


くだらない会話を交わして、何日か経った頃。


未だに、少年には何の変化もなく、少女とも事務的に喋っていた。


始まりの言葉は、いつも通りくだらないことだった。


「やあ純弥くん!」


「……やあ」


いつも通りの会話の冒頭。

くだらない言葉は続く。


「あのさー、相瀬ってアイセって読むじゃん?まるで愛せって言ってるみたいな名前だなって啓くんに言われちゃってさー、名前なんか変えようないのに困っちゃうよねー?」


「困っちゃうよねー?」などと言う割には、全く困っているように見えない。


「そうだね」


無難に受け流す。


「……あのさ、全然関係ないんだけどさ」


「……何?」


もう一度、無難に受け流す。


そんな純弥に、「その冷えた声じゃなきゃ普通の相槌なんだけどなー」と言い、相瀬は言葉を続ける。


「あのさ、実は私、感情が表に出過ぎるっていう病気だったんだ」


「……」


今度こそ、純弥は驚いた。


「小さい頃はすぐに感情的になって、人を殴ったりしてさ。今ではそんなことないんだけど、小さい頃は気味の悪い子って言われたんだ」


………とても、驚いた。


彼女が、自分と真逆の病気で、自分と同じ環境にいたというのは。


それでも、顔に驚きは出せなかったが。


「……君は、逆なんだよね?」


「……」


あっている。


「君、最初に私にあった時、驚いてたよね?」


それも、


「………そうだよ」


あっている。


「何でわかったかというとね、私、何故か凄い人の気持ちがわかるの。元々自分が気持ちを押さえられない人だったからかな?隠して、堪えてる気持ちが、何となくだけどわかるの」


笑いながら、「君は、堪えてるっていうより、表せれないみたいだけどね」と付け足す。


「…………凄く、驚いたよ」


心底、そう思った。


「まあ、これだけ言っても表情は全く変わらないんだろうけどね」


事実、そうだった。


その日からも、二人の会話は続いた。

結局純弥は彼女以外と話せはしなかったが、彼女との会話だけは、何故か続いた。


『感情を表せない少年』と『感情が読める少女』は、不自然なほどに一致していた。


日々は、続いた。


何日も続いた。


両親は、純弥が彼女と喋っていることを知ってから、純弥が感情を示しそうな『何か』を探すのをやめた。


純弥と喋っているその子に賭けたのだ。


―――だが、日常は突然壊れる。


ある日、学校に行くと、少女がいなかった。


先生が言った。


「相瀬優愛さんは、交通事故で重態です」と。


……今まで一度も動くことのなかった心が、ズキリと痛んだような気がした。


学校が終わり、家に帰ってから暫く後に、「死んだ」という知らせが純弥の耳に入った。


父親が、伝えてくれた。


胸の痛みが増した。


胸の痛みは、どんどん増して、目の当たりまで込み上げてきた。


父親が呟いた。


「純弥、お前………」


その声は、何か色々な感情を混ぜ合わせたような声だった。


「父さん、何だろう?この気持ち……」


少年は、泣いていた。

……ただ、泣いていた。

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