第18話 終章

「……はぁ」

 火曜日という平日の午後八時。

 私は、機関の受付嬢として受付業務をこなしている中で、ふと、ため息をついてしまった。仕方がない。ため息をついてしまっても仕方がない。

 何故、私はまだこんな所で受付業務をこなしているのだろうか。

 何故、私の日常は初ミッション終了後にも変わっていないのだろうか。

 この私の残念な日常が終了することはないのだろうか。気の合う友達とカラオケにいったりボーリングに行ったり、ゲームセンターに行ってプリクラをとったりすることは未来永劫ないのだろうか。

 そう思うと。

 ため息をつかざるを、得ない。

「はぁ」

 今度は意識的に、ため息をつく。ため息を一つつく度に幸せが一つ逃げてしまうという話を聞くが、それは因果関係が逆であろう。幸せが一つ逃げたから、ため息をついてしまうのだ。その上に幸せがまた一つ逃げたら、またため息をつかなければならない。そうなってしまったらもうエンドレスだ。抜け出すことが出来ない。

 あ、そうか。

 だから私はため息を二回もついたのか。

「ため息をつかない方がいいわよ。幸せが逃げてしまうから」

 そう言いながら受付に、しいては私に近づいてきたのは、藤堂彩芽である。トレードマークであるメガネの位置を指でクイッと調節して、「はい、これ」と言って報告書を提出してきた。

 報告書。

 ミッションを担当し、終了した者に課される、事後報告書である。

 みると藤堂彩芽の報告書にはびっしりと手書きの文字が張り巡らされていた。それら一つ一つが端正なものであり、一通り読んでみても惚れ惚れするレベルである。

「みたところ、不備が一つだけありますね」

「え、本当?」

「ええ。能力を発動したということは書いてあるのですが、それに伴って彼氏が出来たという報告が抜けています」

 受付嬢らしく丁寧語で、藤堂彩芽に言う。

 恨みつらみを含んだ視線を、送りながら。

 私の発言と視線を受け取って、藤堂彩芽は見るからに嫌そうな顔をする。「……まだ許してくれてなかったのね」

「あ、それは違うよ。藤堂彩芽の能力があの男子にかかったのは私の準備不足だったんだから、藤堂彩芽の発言云々に関しては自分が悪かったものとして受け止めてるよ」

 ミッションは終わり、私は現場監督ではなくなった。

 いつまでも受付嬢の口調でいなくない。

 だから私は、知り合いに対しては自分の本来の口調で話すようにしている。

「私が藤堂彩芽を妬んでいるのはね、ただ一つだけなの。いいなあ、カッコイイ彼氏」

「完っ全に私怨じゃないの」

「そうともいう」

 今度は藤堂彩芽がため息を一つついて。

 私に向かって、言う。「私ね、貴女に言い過ぎたこと、今でも後悔してるのよ。私のミッション終了時点で、かなり苛々してたのよ。だから貴女に必要以上にあたってしまった。遠回しに、貴女のせいで私の価値が無用なものだと判断されてしまった、みたいなことを言ってしまったわ。その直後。その直後なのよ。その直後に、あの子に告白されてね。その時私の心の中に浮かんだのは、間違いなく貴女に言い過ぎてしまったことに対する謝罪の気持ちだったの」

 藤堂彩芽は。

 これまた惚れ惚れするようなお辞儀を、「ごめんなさい」と言いながら、私に向けて行う。「彼氏が出来て、ごめんなさい」

「そのことに対する謝罪かい!」

「今日の昼休みにね、一緒にお弁当を食べたの。機関の仕事が終わって夜遅く家に帰ったんだけどそれでも頑張って朝早く起きて作ったお弁当をね、一緒に食べたの。そしたら美味しいって叫んでくれてね。嬉しすぎて、頭が沸騰しそうだったわ」

「藤堂彩芽の脳内はとっくに沸騰してるよ」

「彼へと向ける私の思いは、百度の限界なんかに押し込められないの」

「ご満悦な笑顔みせるんじゃないよ。顔赤くしてんじゃないよ、熱でもあるんですか」

「今の私は、彼のことを考えるだけで熱に侵されてしまう」

「はい重病患者が参りましたーお薬出しておいてください、とびっきりきっついのお願いします!」

 勢いよく思いのたけを叫んでしまったせいで「ゼェ、ハァ」と息切れを軽く起こす私に対して。

 同じく思いのたけを言ってのけた藤堂彩芽は、「とにかくね」と言って、話を続ける。「貴女に対して私は言い過ぎた。私の価値は、無用なものなんかじゃないから。それがわかったから、私はもう自分の価値なんかじゃ悩まないわ」

「何で自分の価値が無用のものじゃないってわかったのよ」

 出来る限り憎たらしく、私は藤堂彩芽に聞く。

 この時。

 私は、藤堂彩芽の考えの変化に驚いていた。 

 藤堂彩芽のミッション直後に言われた藤堂彩芽の言葉に、私はかなり不安に駆られていた。

 自分の価値とはどんなものなのか。

 かなり不安に駆られていたのに、私以上に不安に駆られていた筈の藤堂彩芽が、すっかり吹っ切っている。

 何があったのか。

 どんな感情変化があったのか。

 私は、素直に、聞きたかった。

「そんなの決まってるじゃない」

 藤堂彩芽は。

 さも当然であるかのように、「誰か一人がとある人物のことを好いていたら、そのとある人物は価値があるってことになるのよ」と言葉を紡ぐ。「誰か一人でも、そのとある人物を好いた時点で、他人を尊敬できるという点で価値がある人物になる。私はね、悟ったの。大衆が決める価値なんかに意味がない。身近な者同士で好きになったりなられたりすれば、その状態自体が価値あるものなんだって。だって素晴らしく美しいじゃない。好いたり好かれたり、その逆があったり。そんな関係性を価値のないものだって決めつけることは、誰にも出来ないわ」

 天を仰ぐかのように。

 幸せそうに、藤堂彩芽が述べる。

 それを聞きながら。

 頬を無意識にひきつっているのが、自分でも容易にわかった。

「藤堂彩芽さん……因みにお聞きしたいのですが、それがわかったのは具体的にいつですか」

「彼に告白された時よ」

「結局色ボケかよ」

 寒冷地が如く冷たく指摘する私に、「ええそうよ。何か悪いことでもあるかしら」と開き直ってくるのがより鬱陶しい。「私は能力によって彼を惚れさせた。そのことに対して私達のことをよく知らない人たちは非難することがあるかもしれない。でも、それの何が悪いの? だって私は、私がもつ私の魅力によって、彼の目を私に向けたの。色仕掛けと同じよ。私達の関係を非難するんだったら、まず色仕掛けとかを非難するところから始めなさいな。彼は私の能力という魅力を好きになってくれて、私達は相思相愛のカップルになった。だからね、私は思うの。このミッションに参加してよかったってね」

「ああそうかいそうかいわかったよ。そんな見え透いたお世辞はいいよ」

「何を言っているのよ。そうやって自分を卑下する癖、直した方がいいわよ」余計なお世話だと言おうとした私を押し込めながら、藤堂彩芽は言う。「ありがとうね、依代さん。あなたが現場監督でよかったわ。暇が出来たら、一緒にカフェでも行きましょう。私、オシャレなカフェを知ってるの」

 何の屈託もない笑顔を私に向けてくる、藤堂彩芽。

 こんなキャラだったっけなあ、この人。

 初めて会ったときは気難しいクール美女だと思っていたのに、今ではこうも表情が明るいものになっている。

 恋は人を変えるっていうのは、このことなんだろうか。

「こちらこそありがとう、藤堂彩芽。カフェ、行こう。楽しみにしてるよ」

 心の中でため息を一つついて、私は思ったことをそのまま言って。

 藤堂彩芽は、受付から去って行った。

 ――今日は、私の初ミッションの翌日である。

 更に、機関の慣例であり――ミッション後に提出必須となっている、報告書の提出日となっている。

 報告書提出は、午後八時から定時である午後九時までの一時間。

 その間の私の業務は、元現場監督として提出された報告書をしっかり確認し、上層部の方に引き渡すというものになる。

 まあ。

 上層部といっても、ものの数人しか今はいないのだが。

 先日のミッションにより、小瀬結菜の能力が『吊り橋効果を極限まで高める能力』であるということが発覚し、それに平行して小瀬結菜が上層部の全ての人間を能力によって小瀬結菜自身に惚れさせていたということも発覚した。

 罪には罰を。

 小瀬結菜には、それ相応の罰を。

 その判断が下されるとき、上層部の人間全てが、その判断を覆そうとした。そこにあるのは理不尽な権力が道理も通さず振りかざされようとしている場であり、そこにはもう正義はなかった。

 上層部の人間を全て降格させ。

 まもなく上層部に食い込みそうだった有能な人物が数人、上層部に移るという事態に陥ってしまった。

 現在、機関は恐らく組織としての体裁をギリギリの状態で保っている。

 いや、もう、崩壊しているのかもしれない。

 とにもかくにも、残った私たちが出来ることは、出来る限りいつも通りに仕事にあたることであった。

 ――あたふたと慌てる私達をみて。

 楽しそうに笑っていた小瀬結菜の顔が、今でも瞼から離れない。

「よう。せ、精が出るなあ、依代」

 午後八時十五分。

 想像していたより早く来たなあと、私は思う。

 私との間にはびこっている微妙な距離感を如実に表情に表しながら、伏見北四季はやって来る。

「勤務時間は残り一時間もないよ。こんな段階でその台詞はかれても、リアクションしづらいって」

「ガッハッハ。まあ、あれだ、そんな固いこと言うなよ。ほら、報告書だ。ちゃんと書いてきてやったぜ」

 ぶっきらぼうにそう言いながら。

 伏見北四季は、報告書を片手で受付に置いた。

 その報告書を受け取りつつ、パラパラパラとめくってみる。

「……うん。藤堂彩芽の報告書の後に読んだせいかな。ごめんね。もうね、物凄く汚いね、伏見北四季の字。逆にすごいねこれ。何でこんなに汚い字なのに読み取れるんだろうね」

「字なんてよう、読めりゃいいんだよ読めりゃ」

 確かにそれは真理であるが、限度があると言いたかった。

 ほら、この「あ」っていうひらがな一つとっても、横幅が必要以上に広がっていて力士を模しているみたく見えるのに、きちんと読み取れる。それが不思議で仕方なかった。

 藤堂彩芽の時よりも時間をかけて、さらっと一通り読む。ふむ。伏見北四季がミッション中に違反行為をして、その罰として一年間ミッションに参加することが出来ず、尚且つ休日問わず年中機関に来て仕事をしなければならないという旨はきちんと書かれていた。

「ねえ伏見北四季」

 一通り読んだところ。

 見つかった不備は、一つだけ。


「唐草史郎と自分が付き合ったことによりミッションを達成したっていう一番重要なことが書かれてないよ」


 このことを言う時、私はどんな顔をしていたのだろうか。

 正確にはわからないが、真顔で淡々と述べただけでは、伏見北四季に「やめろよお前……怖えよ……ごめんて……」と言わせるまでにはならない筈なので、恐らく目だけ笑っていたりしたのだろうか。

 有無を言わさず私は報告書を伏見北四季に返し、空いているスペースに記載するよう無言で指示を出した。何も言い返せず、伏見北四季は受付近くの椅子に座り、丸テーブルの上で「あんま書きたくなかったんだけどなこれ……色んな意味で……」と言いながらせっせと書き始める。

 ――昨日の放課後。

 小瀬結菜に居たいところをつかれたことにより傷心状態だった私の目の前に、水浸しになった唐草史郎が現れた。

 何が起こったのか、わからなかった。

 唯一わかったことは。

 唐草史郎が、口を開いたということだった。

 唐草史郎が無口で無表情であるのは、過去のトラウマによるもの。そしてそのトラウマによって、唐草史郎は自信をリア充と認識できないのだと、私は考えていた。

 そんな唐草史郎が、口を開いたのだ。

 口を開いたということは、何かを言ったということになる。

 天にも昇る気持ちだった。

 現場監督としての自分の働きが遂に実った瞬間であった。

 だから、私は聞こえなかった。

 あまりにも弱い声。注意しなければ聞き取れないほどの声量。口を開いたことに気をとられてしまって唐草史郎が何を言ったのか聞こえなかった私には、その場の状況を知ることが出来なかった。

 喜びに満ち溢れる私が。

 この喜びを分かち合おうと、周りの人物を見渡したのが悪かった。

 周りの人物の視線は、二人の人物に注がれていた。

 唐草史郎と――伏見北四季。

 唐草史郎はみるみる内に真っ赤になっていき。

 伏見北四季は「な、お前、そんなこと、今、言うなよ、やめろよお前」と慌てつつも、顔を赤くしていった。

 え?

 何これ、どういう状況?

 今までそういう時に目線を送っていたのが小瀬結菜だったのだがその時には既にそういう対象ではなくなってしまっていたため、私は消去法で憎き後輩に視線を向けた。無言で後輩に聞く。今、どういう状況なのこれ。対して後輩は、グーサインを私に向けながら「新カップル誕生の瞬間ですよ、先輩!」と爽やかに言ってみせた。

「何度でも言うよ、伏見北さん」

 理解は出来たが状況が状況なだけに全然ついていけていない私を完全に置いてきぼりにして、唐草史郎は雄弁に語る。「伏見北さんのことが好きだ。先週、屋上で僕にラブレターをくれた時から好きになり始めていたんだ。もしよければ、僕と付き合ってください」

 天国から地獄とはまさにこのことだと、悟った。

 笑うしかなった。

 目尻に涙をためながら、私は、乾いた笑いをこぼし続けていた。

 たまらなくなったのだろう。伏見北四季が勢いよくスタートダッシュをかまして走っていき、唐草史郎に思いっきり抱き付く。

 周りから拍手喝采が湧き起こる。

 異質だったのは、三人。

 絶望に苛まれ、拍手をするどころではない小瀬結菜と。

 目の前で彼氏を奪われ、茫然とするしかない青山郁美と。

 結局私はなんだったんだろうか? ピエロ? と本気で考え始めてしまった、私であった――。

「書けたぜ、依代。確認してくれ」

 若干謝罪姿勢になっている伏見北が、恐る恐る私に報告書を提出してくる。

 再度提出された報告書には、確かに、私が指示した内容が明記されていた。

「あー、ごめんまだ不備あった。今日の昼休みに誰と過ごしていたのか書かれてないや。でもまあ私、寛大だから。口頭で述べてくれればいいよ」

「……どこが寛大だよ」ぼそりと呟きながらも、私のプレッシャーに押し負けたのだろう。ため息を一つついて、伏見北四季はこう言った。「唐草の野郎と、オレの手作り弁当を一緒に食べてた」

「…………」

 流行ってんのか、その行事。

 私も混ぜろよ、こん畜生。

 ため息をまたついて。

 私は、「唐草史郎は楽しそうにしていた?」と伏見北四季に聞く。

 途端に真顔になって。

 伏見北四季は、私に向かって誠実に言葉を紡ぐ。

「間違いなく、楽しそうにしていた。唐草史郎は、今、自分をリア充と認識している。これも全てはお前のおかげだ。ありがとな、依代」

「そんな大それたことしてないわよ、私」

「いいや、お前は大それたことをしてくれたよ」ぶっきらぼうが代名詞のような存在である伏見北四季がこうも真摯に言うのが滑稽でならない。「昨日屋上に来て青山に弁解し始めていたところで唐草は私の能力とは関係なしに喋っていた。小瀬を追い詰めるためとかいう名目だったが、実際は本気で唐草をリア充にしようと思って立てた作戦だったんだろう?」

「さあてね」

 要領を得ない私の返事を見て、私がきちんと答える気はないと理解してくれたのだろう。伏見北四季はそれ以上何も言わず、頭を無言で一度下げて、受付から去って行こうとする。

 そんな伏見北四季を、「これだけ答えてくれるかな」と言って立ち止まらせる。「伏見北四季は、自分のことを価値ある人間だと思ってる?」

 振り返った、伏見北四季は。

 一言――「そんなカッコイイこと、思ったことも考えたこともねえよ」と簡単にいってみせて、その場を去った。

「……凄いなあ、伏見北四季」

 伏見北四季がいなくなって、私は一人ぼやく。

 羨ましいよ、伏見北四季。

 そんなことをすんなり言えるのが羨ましいし。

 何よりも、私も唐草史郎と付き合いたいと心の底から思っている。

 ――青山郁美の能力は、きちんと発動している。

 だが、それよりも先に、唐草史郎は伏見北四季に能力関係なしに惚れていたのだ。

 本来ならそれでミッションは終了になっていたかもしれなかった。

 けれども、そんな状況に、青山郁美という追加要素――更には私という追加要素も増えてしまい、唐草史郎は本来好きになっていた伏見北四季に告白できないでいた。

 そんな理由のみにより。

 唐草史郎は、自身をリア充と認識できていなかったのかもしれない。

「ごめんなさいー。遅れちゃったー」

 八時三十分。

 伏見北四季より十五分遅れて報告書を提出しにきたのは、外岡愛であった。

 以前はウェーブがかかった茶色の髪を有していた。

 ミッション終了直後。

 外岡愛は、バッサリと髪を切り、髪を黒く染めなおしていた。

「いやいや、大丈夫だよ。九時までに持ってきてくれれば何の問題もないから」

 言いながら私は外岡愛の報告書を手渡しで受け取り、報告書を一通り眺める。

 うん。 

 一切の不備がない。

「ありがとう。後で上の方に提出しておくよ」

「こちらこそこんな時間までありがとうねー。お先に失礼しまーす」

 のほほんとした口調で、外岡愛は言う。踵を翻した時に髪がバサッとなびく様が、思わずみとれしまうくらいに美しかった。

「ごめんね、外岡愛」

 だから、私は。

 今まで言わなきゃいけないと思っていたことを、言う。

 それは一つの謝罪であり。

 それを一つの区切りに、したかった。

「青山郁美までの時間稼ぎみたいな立ち位置に置いてしまって、本当にごめんなさい」

 私の突然の謝罪に対して。

 外岡愛は、「ああ。そんなことー」と笑顔で反応してくれた。「気にしなくていいよそんなことー。依代さんはきちんと私に活躍の場を与えてくれていたしー、私にきちんと指示を出してくれてたしー。――青山さんの時間稼ぎみたいになっちゃったのは、私の責任だよ」

 最後に呟いた言葉に秘められた感情は、どんなものなのだろうか。

 明確には、わからない。

 でも。

 それでも、外岡愛の視線の鋭さから、外岡愛は変わったなと思った。

 間違いなく、強くなった。

 これからも、強くなる。

「私ね、考えたの。私の能力を発動させるためにはどうすればいいのか。だからこんな時間まで報告書提出できなかったんだけどね」

 外岡愛が。

 私に向けて、言葉を紡ぐ。「今回のミッションは、私の初ミッションだった。何で私がミッションに参加出来たのか。そう考えたらね、私は改めて思い出したの。私がミッションに参加できる状況を作り出してくれたのは、二人の人物によるものなんだって」

 何か覚悟を決めたような。

 そんな表情を見せる、外岡愛。

 そこにはのほほんとした空気の他に――ピリピリと張りつめた空気が含まれていた。

「明日は平日で、尚且つ雨の予報だよねー」

「そ、そうだけど」

「私ね。明日、能力を発動する予定なの」

 突如言ってのける、外岡愛。

 その顔に一片の曇りも存在しておらず。

 その日が来るのが楽しみなように、見える。「平日ってことはね、私が学校に行ってる日なの。家に帰るまでが遠足で、家に帰るまでが下校で。このことにね、ようやく気が付いたの。本当にそんな理論が通るのかわからない。だからね、明日使ってみる予定なの。『過去に能力者を送り込み、かつその能力者が行った過去改ざんを全て適用する能力』を持つ能力者さんにね、私の能力を発動する予定なの」

 嬉しそうに、楽しそうにそう語る外岡愛。

 果たしてそんなことがまかり通ってよいのだろうか。そもそも機関に属する私達能力者は、ミッション以外で能力を使用することを禁じられている。その基本ルールさえもあっさり無視して、尚且つ機関の中でも割と重要な能力者であるあの人を外岡愛の思惑通りにできるようにするのを見過ごしてもよいのだろうか。

 いや。

 答えなら、出ている。

「私の目の届かない範囲でやってね」

 ミッション中にて外岡愛の能力を発動させることが出来なかった私に。

 外岡愛の思惑を止める権利など、あるはずがない。

 なんやかんや。

 あのミッションにおいて、能力を発動できなかったのは外岡愛だけなのだから。

「うんー。今は、依代さんには迷惑かけないようにするー。後々、よろしくねー」

 この答えが私の中に出るとわかっていたから、外岡愛は私に言ったのだろう。その確信があったから、ばらさないとわかっていたから、外岡愛は今も平然と笑っている。

 とんでもないことをしているのかもしれないという実感はあった。

 それでも、私は止めない。

 外岡愛が最強の能力者になることを、ただただ願うばかりである。

「ねえ、外岡愛」危険な考えを止めないことを覚悟した私は、今まで質問していたことを聞いてみようと言葉を紡ぐ。「自分のことを価値のある人間だと思ってる?」

「思えるわけがないよ」

 瞬間、暗い表情になって。

 間髪入れずに、こう答える外岡愛。「はぁ。そんなこと思えるわけがないでしょ。私は、自分のことを価値のない人間だと思ってる。ずっと思ってる。だから、必死なのよ。自分のこのどうしようもない心理状態から抜け出すために、私は必死なの」

 ため息を交えながら、そういう外岡愛の顔はとても苦しそうで。

 見ていられないほど、苦しそうで。

 私は気休めにしかならないと思いながらも、「そんなことないよ。そんなこと、ない」と外岡愛に向けて言う。「本当に価値がないなら、その状態から抜け出そうとしないと思う。抜け出そうと努力してる時点で、充分外岡愛は凄いよ」

 外岡愛は。

 そういった私の顔を、鋭い眼差しで一心に見ている。

 何を思っているのだろうか。何を思って、私を見ているのだろうか。私のあの一言を、外岡愛はどのように判断したのだろうか。わからない。わからないからこそ、意味があると私は思う。こうして外岡愛の心中を読み取れないまま、私は外岡愛の「ありがとう」という小さな呟きを、聞き取った。

「……逆に質問してみていいかな」外岡愛が温和な表情になって、私に顔を向ける。「依代さんは、自分のことを価値のある人間だと思ってるの?」

「…………」

 外岡愛に質問されて、私の思考は一時停止した。

 まさか質問し返されるとは思っていなかったが、それでも、外岡愛が私に向けて言ってくれた質問を真剣に返そうと必死に頭を動かして答えようとする。

「自分に価値があるかってことは、考えたことがあるよ。多分、ここまでは誰でも考え得たことがあることだと思う。それで、価値があるかないかのことだけど……。正直、私は今まで、外岡愛と同じように、自分に価値があるなんて思えるわけがないと考えていた」

 能力者として機関に誘われたのに、やってることは受付業務。

 所有している能力では、席替えしか操れない。

 そんな、自分のことを。

 ずっと、卑下して考えてきた。

 使えない。私は使えない。だから、いつか。いつか私の能力を――価値を発揮できる場が来たら、その時は全身全霊でぶつかっていこう。そう考えてきた。そう考えてきて、実際にその場面が来て、私の能力が大活躍した挙句現場監督としてしっかり責任を果たし、ミッションを達成することが出来た。

 周りからの評価も上がった。

 憎き後輩からは「やっぱり凄いですね先輩!」と称賛され、調査官さんからは「よくやったな」と言われた。他の人からもだ。受付を通る色々な人が度に、色々な褒め言葉が私を包む。物凄く心地よかった。最高の気分だった。

「でもね、私の価値が上がったと思えるようになってもね、そんなに現状は変わんないのよ。ほら、今も私は受付業務を担当してる。皆私を褒めてくれるけど、私がやる仕事は結局これ。だからね。その時その時の自分の価値を受け止めて、その時その時に活かしていくってことが大事なんだって……今ならそう思うかな……」

 語尾が弱くなってしまったのは、ご愛嬌と思ってもらいたい。

 こうは言うものの、私にはまだ自分がきちんとミッションを達成できたという実感がそれほどない。

 ――それに。

 人の価値は、常にかわる。

 『学校の生徒の席をクラス替えもしくは席替えの時間にて自由に配置することが出来る能力』という残念な能力を持っていた者が、今では称賛されていたり。

 『吊り橋効果を極限まで高める能力』という最強の能力を持っていた者が、犯罪者として拘束されていたり。

 他にも事例は、あるだろう――。

 だから私は。

 価値なんかで自分を縛っても意味がないと、思う。

「そういう考え方もあるんだね。ありがと、依代さん。参考にする。絶対、する」

 何か決意を固めたような表情をする外岡愛をみて。

 私は、少しばかりの達成感を味わうことが出来た。

「んじゃー、最後に一つだけ言わせてー」

 そう、言うと。

 外岡愛は。

 思いっきり笑顔で、私にこう言った。

「ミッション達成しても依代さんが受付業務をしてるのはねー。機関の皆、受付嬢は依代さんがいいって満場一致で思ってるからだよー」

 ――依代さんより受付業務が上手い人、居ないし。

 ――皆、毎日一生懸命頑張ってる依代さんを見るのが楽しみなんだよ。

「依代さんを見てると、今日も頑張ろうって思えるから。今の私みたいにね」

 そう言い残して、外岡愛は去っていく。

 私は。

 外岡愛の話を聞いて。

 泣きそうになるのをこらえながら、外岡愛を見送った。

 心が、震えた。

 今まで悩んでいたことが、馬鹿らしくなってきたとまで思える。

 私は、機関にいていいのか。

 ここにいていいのか。

 私が今ここにいることを、誰も拒んでいないのか。

 外岡愛が嘘をついているという可能性もある。

 けれども、この状態で嘘をつく意味は、ない。

 こみあげてくる感情の波を抑えられないまま、私は外岡愛が去った後もずっと前を見ていた。

 ――前から、おかっぱ頭の少女がやって来る。

 青山郁美であった。

 報告書を、私におずおずと渡してくる。

 目尻を拭いながら、青山郁美の報告書を読む。

 そこには、こんなことがびっしりと書かれている。

『あの、その、寝取られてしまってすごく興奮して、もうどうしよもないくらいビクンビクンってなったんですけど、私、思ったんです。寝取られた人を再度寝取り返したら、寝取った相手に向かう罪悪感がそのまま背徳感となって私をもっと興奮させてくれるんじゃないかって、あの、想像するだけでも思ってしまって、その、もしよかったら依代さんも一緒にやりませんか。二対一なんて、もう想像しただけで』

 以下略。

 問答無用で「書き直して明日また持ってきて」と言い、つっけんどんな態度で青山郁美の頭にぶつけて叩き返した。頭に痛みを覚えた青山郁美が、「えと、その、私、今回のミッションで、女の子同士もいいなって思って、お互いに縄で縛りあったりしたらもう最高かなって思ったので、その、今度やりましょう」と最悪な言葉を残して去っていく。

 明日も同じような報告書を提出してきたら、青山郁美のみを縄で縛る展開を作り出すのも悪くない。

 何の罪悪感もないままそう思える私が、何故だろう、全く怖くなかった。

 寧ろ、当然のような。

 そんな気が、する。

「まあ、いっか」

 今回のミッションを通して、私達六人は色々なものを失って、色々なものを得た。

 そんなありきたりな感情変化を覚えつつ、私は機関の上層部が待つ部屋へとノックをして、「失礼します」と言って入る。

 そこには立場が繰り上がったことで上層部に食い込み、忙しそうに業務に徹している元調査官さんが居た。

 大変そうだなと、素直に思った。

 業務をいったん止め、私が来たとわかると今まで疲れていた表情が一変。パァッと顔を明るくして、「おつかれさん。ありがとうな、こんな時間まで」と私を労ってくれた。

 この人も、私に受付業務をして欲しいと思っている一人なのだろうか。

 私の存在によって、頑張ろうと思ってくれている人なのだろうか。

 そう思うと、なんだか恥ずかしくなってきて。

 辛そうにしている元調査官さんに、私は「元調査官さんこそお疲れ様です。報告書です、確認お願いします。で、いきなり全然違う話になるんですけど」と話し始める。「明日の昼ご飯、何か作ってきましょうか?」

 夜ご飯ではなく昼ご飯。

 そこに、意味がある。

 元調査課さんは嬉しそうに返事をする。

 返事を聞いた私も嬉しくなって、明日は盛大なお弁当を作ってあげようと心に決める。

 早起きをして男の人にお弁当を作る。

 それが、どうにもこうにもこそばゆくて。

 明日を迎えるのがとても楽しみで。

 だから、私は。

 明日も、笑顔で受付業務をこなしているのだろう。

 ため息をどれだけつくのかわからない毎日だけど。

 それ以上に、幸せを得ればいいだけなのだから。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リア充を爆発させる能力 常世田健人 @urikado

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ