死の群像第3章

死の群像3章‐1

酒に溺れる。

薬に溺れる。

性に溺れる。


堕落というものは高尚でもなんでもないくせに、それがもてはやされる今という時代は、人間の贅沢さを露呈したというか、無いものねだりしか出来ない浅はかさを知るというべきか。

いずれにせよ、彼女のような堕ちていく人間からすればそれは、なるものかと現状にしがみつこうが抗うこと叶わず、両腕が千切れそうな罪悪感と自己嫌悪の痛みに耐え切れず、ずるずると腐った肉のような音を立てている醜い精神でしかないのだ。

もしくは、そんな彼女さえも満たされない現状に居直り悦に浸り、人生を素直に楽しめないただのナルシストであって、堕落の痛みなど微塵も感じずに彼女の上で腰を振っている男のような人間のことを、堕落していると呼ぶのかもしれない。

最中だというのに声も上げない、微動だにしない。

ただ彼女は人形のように突かれる衝撃で前後に揺れるだけであった。

彼女はひたすらに、果ての無い無気力と共に真っ白な天井を見つめていた。

時々視界に邪魔な男の影がちらつくだけで、その時間は普段と何ら変わりが無かった。

普段と何ら変わらず、不愉快だった。彼女はいつだって不愉快で、不機嫌であった。

だからといって、その苛立ちから逃げるために酒や薬に逃げたわけではない。

彼女は、常に自分がどの程度の人間なのかを思い知りたかった。

自分の自己嫌悪や、自分を責めるといった行動は、どうしようもない性癖であって、とても歪んだ、畸形じみた心を持っていて、では世の中で社会的に何らかの欠陥がある人間が差別を受けているというのならば、自身も被差別の対象であると、とてもとても下賤の人間であると。

女であることが唯一それを避ける手立てであったと思うのだが、彼女にとってそれこそ、反吐が出るほどたまらない行為であった。

だからがゆえに、薬に浸されて病院に運ばれゲロまみれになったり、酒に飲まれて下世話な男に犯されたりするような生活を自ら進んで営んでいた。

健全な精神は健全な肉体に宿るというが、彼女は不健全な精神に見合うように不健全な肉体造りに励んでいるというわけだ。

 彼女の頭の中で三百七十一匹めの羊が柵を飛び越えたところで、男の身体は小刻みに震え、彼女の上に倒れこむ。

「死にたい」

満足そうな男の横顔に、唾を吐きかけるためだけに言葉を発した。

聞こえてはいるようだが、男の表情に変化はない。

汗を拭いながら立ち上がり、下の処理をしながら貼り付けたような笑みで「またかよ」と吐き返すだけであった。


「いつもそういうこと言ってっけどさ、結局死なないじゃん? お前。生きたくても生きられない人間だっているんだからさ、あんまそういうこと――」


「うるさい、黙れ」


この上ない侮蔑を眼にこめて、言葉を遮った。

体を明け渡して、その上説教までされるなんて割に合わないにもほどがある。

何にせよこの類の言葉は耳がいくらあっても足りないほどに聞き飽きていた。

おめでたい社会教育の賜物だ、大抵の人間は生死に関してこれほどまでに不躾である。途上国では毎秒何人が死んでいるとか、自殺者は年間何万人とか、あれこれの戦争で何十万人が死んだとか、情報は氾濫するほどに溢れているというのに、生死に関してまともに考えたことなんてないだろう。

考えたと思っている人間でも、所詮貧相な脳に弾き出された、操作された思惑に過ぎない。

そう考えている彼女は他人に、自分の生死に口出しされるのが大嫌いであった。

チッと男が舌打ちしたのを聞き流しながら、彼女は手のひらを差し出す。


「ねえ、薬ちょうだいよ。どうせ余らしてんでしょ」


彼女のその行為は、演技だったかもしれない。

だが、その姿は、一糸纏わぬあられもない姿で薬をねだる彼女は、誰が見ても薬物中毒者にしか見えなかった。


「お前な、オーバードーズでもしてんじゃないだろうな、薬だってタダじゃねえんだぞ」


「あんただって私にリタリン回さないで、一人で楽しんでんでしょ、知ってるんだよ」


バツの悪そうな顔をしながら男は鞄から鷲掴みにした薬剤のシートをベッドの上に放り投げた。

今までの彼女の無表情が嘘のように笑顔に変わり、幸せそうに両手でそれを拾う。

そして勢い良く立ち上がり自分の鞄にそれをねじ込むと、いそいそと服を着始めた。

「なんだよ、帰んの?」


「何、寂しいの?」


先ほどとは打って変わって活き活きとした悪戯っぽい笑みと、誘うような目線を男に送った。

なるほどこれに騙されない男はいないだろう。

今時夜の仕事をしていたって、「目線」を使える女性は少なくなったものだ。

しかし演じる、ということにおいて彼女は才能があったのだろう。

自身も騙されるほどに、その演技は光っていたのだから。

七色の表情と、七色の目線を持ち、無限の女性を演じられたであろう彼女は、病的な薬物中毒者を演じることに固執していた。

それは、こんなにもしたたかな彼女が恋心を寄せる、一人の男性にあるのかもしれない。

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