ロボットの心情がなぜこれほど人間的なのだろう?
異世界モノでもファンタジーでもSFでも、どれほど人間に近く、人間的であろうと、その感性が人間と同じなのかどうかはずっと議論が続いている。悪い言い方は以前になされた議論を知らないからこそ、何回もその議論が復活している。
では、ロボットはどうだろうか。人間的であるようにつくりはするだろう。だが、その中ではどうなのかはわからない。
にもかかわらず、この作に限らず、人間的なロボットが前提になっているのはなぜだろう。
議論にせよ、これにせよ、結局人間の限界なのだろう。