第7話
今日春は小さな頃から死体や死骸が好きだった。
血液の色や内臓の赤みをとても綺麗だと思ったし、動いているものが自分の手によって動かなくなる事が妙に嬉しくて溜まらなかった。
そんな自分を両親は憐み、そして無償の愛を注いでくれた。
無償の愛は時に人を狂わす。
いや、狂ったからこそのそれは無償の愛だったのかもしれない。
「大丈夫、あなたがどんな子でもお母さんは愛してるわ」
子供らしい遊びをしない、虫を殺したりするのが異常に好きな異常な子供の自分を母はそう言って愛してくれた。
「例え血が繋がってなくてもお前は俺の大事な息子だ」
母親がレイプされて生まれた自分に父はそう言って愛情を注いでくれた。
自分の頭がおかしい自覚はずっとあって、そんな頭のおかしい自分を心から愛する両親もまた頭がおかしいと何処か客観的に思う。
愛しいもの程殺したくて、壊したくて、傷つけたくて堪らなくなるのだ。
そんな人間は狂っていると言うことが狂った頭でも分かった。
初めは虫。
それはでもどんな子供でも一度はあるだろう無邪気な殺しから始まった。
蟻を踏む。
羽をもぐ。
捕まえた蝶を針で刺したり、トンボの目の色が綺麗で欲しくなって頭を千切ったこともあった。
カエルを捕まえて、家からこっそり持ってきたナイフで切り裂いた時、初めて赤い血の綺麗さと臓器の綺麗さを知る。
それから、今日春の中でキレイなものの中にビー玉と血液と肉がその日追加される事になる。
(お腹の中には綺麗なものが詰まってる)
きっとそれは両親にも今日春にも、隣の幼馴染の優一にも詰まっていて、なんて素敵なことなのだろうと思った。
大好きな者たちには綺麗なものが詰まっていて今日春は、みんなが益々大好きだと思えた。
商店街のペットショップで見つけた赤茶の毛並の猫。
くるくると回る大きな瞳が可愛い子猫。
鼻と手足の肉球はピンクで腹の毛は白かった。
可愛くて、愛しくて、欲しいと言ったら親が購入してくれた。
愛しくて、愛しくて、一緒に食事をし、一緒に眠り、一緒に遊んだ。
可愛くて、可愛くて、仕方なくて――。
きっとこの猫にもあの綺麗なものが詰まっているのだと思うと見て見て見たくて、見たら自分はもっとこの猫を好きになるという確信と、でもそんな事をしたら取り返しがつかないという事がもうちゃんと分かっていて、分かっているのに溢れるその衝動を堪えなければと子供ながらに思っていたのに。
――我慢しきれなくて、
愛しくて、愛しくて、今日春は猫を殺した。
愛しくて、悲しくて、歓喜して、絶望しながら笑う。
死体になった猫は生きてる時の数倍可愛く愛らしい。
そう思ってしまう事にどうしようもない虚無感だけがそこにあった。
いつかこの気持ちが猫で無く他の誰かに向ってしまうのではないだろうかと言う恐怖。
その恐怖は徐々に大きくなり、そして恐怖と同時に不安が確信へと近づくのも分かった。
怖くて、怖くて、楽しみで、
階段で優一の背中を押す。
優一の家の階段は少し急で、遊びに行こうと先に階段を下りていくその背中を両手で思い切り押した。
同じ年なのに自分より少し大きい優一の背中は触れると暖かくて、突き放した瞬間、肩甲骨が綺麗にTシャツ越しに浮き上がる。
彼は悲鳴を上げる間もなく、階段から落ちた。
身体が曲がって、一回転して背中から落ちる。
大きな音と衝撃、驚きで見開かれた瞳と無防備な手足が死体みたいだった。
その時の感覚を今でも覚えている。
足の先から電流が走り抜けて、脳髄が痺れたような感覚がした。
脳みそが痺れて、痺れた脳でただその姿が愛しくて恋しくて堪らなかった。
きっと血が流れていたらもっと愛しい。
腸を裂いたらもっと恋しい。
目玉をくり抜いたらなんて可愛い。
心臓を取り出したらきっと素敵。
手足を切ったらもっと美しい。
鼻を削いだらなんてかっこいい。
舌を切ったらそれだけで――……。
吐き気がした。
自分の思考に、
泣きそうになった。
それでも顔は笑顔を作っていた。
いつか殺す。
きっと殺す。
大切だから、
愛しいから、
両親はいい。
だって、彼らも頭がおかしい。
こんな自分をそのままに育てた責任はきっと彼らにもあるだろう。
そうして息子に殺されたならそれは仕方ない事のように思う。
町の人も、自分の行動に見て見ぬ振りをする。
早く県なり国なりに通報すべきだ。
こんな人間は一生拘束されて鍵の掛かる扉がついた病院に隔離されるべきなのだ。
知らない振りをするのは何よりも罪が重いと今日春は思う。
でも、優一は違う。
何も悪くない。
しかし、何も罪がないからこそ一番愛しくそう思えば思うほど、今日春は一番彼を殺したいと思ってしまう。
助けて欲しい。
誰でもいい。
何時か殺してしまう。
何時か殺す。
何時かコロシタイ。
でも同じぐらいずっと一緒にいたい。
本当はただおだやかに過ごしたい。
春には桜、夏は蝉の声、秋は紅葉を楽しんで、冬は雪で遊びたい。
ただ生きたいだけなのに、普通に生きたいだけなのに、それがどうしようもなく不可能な事だと自分で分かってしまう事が悲しくて仕方なかった。
何時か殺してしまう。
何時か殺す。
何時かコロシタイ。
したい。
したい。
したい。
シタイ。
シタイ。
シタイ。
死体。
死体。
死体。
死体。
(生きて――いけないのに)
両親を町の人をなにより優一を殺してしまったら、今日春なんて生きていけないのに。
なんで、こんな風に生まれてしまったんだろう。
そう悲しむ思考はあるのに、死体に、臓器に、血液に、歓喜してしまうのは何故だろう。
もっと異常だと罵ってもらえたなら、早く自覚し多少はまともに生きれたのではないか。
いっそどうせ、レイプでできてしまった子供なら、おろしてしまったら良かったのではないか。
「いたた――…」
優一が身体を起こす。
痛みに顔を歪めて、
ああ、生きていると安堵し、けれど今日春はまた不安になる。
生きている。
今はまだ、
でも、
「いたい」
そう呟く。
「痛いのはこっちだ」
優一は少し飽きれた様子で溜息混じりに行った。
「いたいよ」
俯いて言えば、たちまち彼は心配そうな顔をして今日春の方へ歩み寄ってくる。
逃げたらいいのに、
嫌ってくれたらいいのに、
(ああ、でも――)
逃げたら嬉しい。
きっと追いかける。
追いついて、切り裂きたくなる。
いたい。
胸が痛い。
苦しい。
何か鋭く長いもので肺を突き刺されているように胸が痛む。
痛い。
イタイ。
居たい。
ここに居たい。
ずっと、こうしていたい。
イタイ。
イタイ。
居たい。
遺体。
遺体。
遺体。
遺体。
遺体。
「――で、死んだ自覚が無くて、死人は何度でも死ぬまでの行為を繰り返すって言う話さ」
さっきから自分ばかり話している気がする。
町に着いてからやっと出会った町人の少年は押し黙り、道案内をするだけだった。
俯いて黙々と歩くその顔は黒い髪の毛でよく見えないけれど、ときたま覗く黒い瞳は底なしの穴でも眺めているようで少し背筋が寒くなるような不気味さを感じる。
この月白町はネットの大型掲示板のオカルト板で一時期話題になった。
なんでも、昔大きな殺人事件があったが、目撃者も居なければ調査をした警察も次々と原因不明の死に方をし、結局無理矢理事故で事件を括り調査を引き上げたとか。
そこはこの世とあの世の境目で、行ったものは帰ってこれないとか。
事件に関しては確かに昔あったようで図書館で調べた昔の新聞に載っていたが、結末がどうなったのかまでは辿り着く事が出来なかった。
連日のように騒がれていた筈のその事件はある日ぱたりと報道されなくなったようで、どの新聞の端にもこの町の事件の事は記されていなかったのだ。
他にもいかにもな感じの怖い話この町にはある。
多分、そのどれもが解決が不確かなあの事件が発端なのだろうけど、来てみたらなんてことはないただの田舎町と言う印象だった。
そもそも本当に実在した事に驚く。
(小さすぎるせいか、地図に載ってないんだよなぁ)
でもこうして実際に自分が来れていると言うことは、町は確かに実在するのだろう。
(これでこの世とあの世の境目とかそういう系は無しだな)
オカルト雑誌の記事なんかを書いているが、徹平自身は現実主義者だし、オカルト的な事は余り信じていない。
自分の目で見て、聞いて触れた事しか彼は信じる気はないし、この仕事をして結構になるが大体は些細な事に話の尾ひれが着いて脚色された作り話だった。
(今回もハズレか)
もっともハズレでなかったなら徹平の命はないだろう。
ここの噂は命に係わるものばかりだった。
月白町は行ったものは帰ってこれないだとかも言われているようだ。
でも、もしそれが本当だとしたなら、じゃあこの町の話しを一体誰がそう伝えたと言うのだろう。
そう知られていると言う事が、何よりその話がデマだと言う証拠だったので、それに関してはあまり心配していなかったが――。
ともかく安全に取材できそうで、それはそれで良かったようなジャーナリストとしては不満のような複雑な気分だった。
「そう言えばさ、さっきの並木道はなんか名前あるの?あれ桜の木でしょ?咲いたら綺麗なんだろうねぇ」
あまりに会話が無くて気まずいので、そう少年に話かける。
「ことりさか」
少年はぽつりと言った。
まだ声変わりのしていないような高めの声だ。
「子取り坂!?」
インパクトある名前に思わず声がひっくり返る。
なんて、オカルト向きの名前なのだろう。
ある日、その坂を通った子供が行方不明になった。
目撃者はいない。
不信なものは何もなかった。
しかし、そこにある桜並木の桜が一本、季節外れの華を咲かせていた。
そしてそういう事件がその後何件も起こり、いつの間にか子取り坂と言う名が付いた。
なんて作り話はいかにもチープで自分の担当の記事らしくていいだろう。
こういう記事はある程度嘘臭くなくてはいけない。
信じられない。
理解できないものはいつだって恐怖の対象なのだ。
大袈裟なぐらいが丁度良い。
(最悪これで今月の記事はいいかな)
月白町は確かに妙な感じのする町ではあった。
まず、人とあまり合わない。
ここで、人が生活しているんだろうと言う感じもあるのだが、不思議とそこに人はいないのだ。
(ハーメルンの笛吹男でも来たみたいだ)
鼠退治を依頼された男が村人に裏切られ、村の子供全てをどこかへ連れて行ってしまったと言う話。
この町はそのハーメルンの笛吹男にたった今遭遇して、町の人全員連れ去られたみたいな異常な静けさがある。
まだ湯気がたつスープがテーブルの上に置いてあるのに人だけがいない――というような感じだ。
人が居た痕跡はあるのに、不思議と遭遇しない。
いくら人口が少ないにしてもこれは少し普通じゃないと思った。
(まぁ、これはこれで何にかネタになるかもな)
実際は本当にただ偶然、人と会ってないだけなのだろうけど、そんな何でもない事を脚色して、いかにもな感じの記事を書く事は結構得意な方だ。
「ここだよ」
少年が立ち止る。
そこは古いホテルのようだった。
白い外壁で、客室数は結構ありそうな大きなホテル。
掠れていて、看板の文字は読めないが、温泉が売りだったようで親子が温泉に入る絵なんかも描かれている。
それはよくある心霊スポットの廃墟そのもので何の面白味も感じなかった。
「入る?」
聞かれて、徹平は頷く。
大方、落書きやホームレスなんかが住み着いているだけだろうが、写真に撮ったら何か映るかもしれない。
それが真実であれ嘘であれ、生地をその分埋めれば編集長は満足するし、それだけ文字も書かなくてすむ。
白黒の不鮮明な写真を載せ、人の影っぽいもの顔っぽいものに赤いマルを付けるだけで人の想像力が恐怖を自ら作り出すのだ。
なんて楽な仕事だろうか。
徹平はこの仕事が天職だと思っている。
好奇心は強い方だし、嘘を真実のように語るのは昔から得意だった。
珍しいものは好きだし、写真を撮るのも嫌いじゃない。
(嘘書いてりゃ金になるなんてラッキーだね)
他でもないオカルト雑誌だからこそ出来る事だ。
書く記事に責任を負う必要はない事が何よりも魅力的だ。
だって確認しようもない事が大半なのだから。
ガラスの回転扉はいかにも時代遅れな昔のホテルと言った感じだった。
軋みながらもちゃんとそれは回転し、中に入ることができた。
赤い絨毯に、ロビーのソファや机はそのままの状態で置かれていた。
赤い絨毯には所々黒い染みがあって、なるほどこれを見た誰かが「ここで昔大量殺人があった」なんてでっち上げても説得力があった。
湿り気を帯びた生暖かい空気が生臭い空気が不気味さを掻きたてている。
徹平は適当に写真を撮始めた。
青い空に色とりどりのゴンドラが浮かんでいた。
「俺、これに乗ってみたい」
優一が珍しく自分からそう言ったので今日春は少しびっくりした。
幼稚園の年中の時の話しだ。
二人でテレビを見ていて、遊園地のCMで映った観覧車に優一が興味を示したのだ。
「こんなのきっとつまんないよ?」
今日春は元から、普通の子供が喜ぶこと、興味を持つことに関心が無かったので、何故優一がそんなものに乗りたいのかがよく分からない。
そんなものより、トンボの透明でキレイな羽を毟ることや、蟻をつま先に体重をかけて一匹一匹潰す事の方がドキドキして好きだった。
「だって天辺から見たらきっと綺麗だよ」
優一が目を輝かせて言う。
一体何が綺麗なのか今日春には分からない。
(多分、ビー玉とか、虫の羽とか、血の方が綺麗だと思うけど)
そう思うと確かめたくなって、今日春は優一の腕に思い切り噛みついた。
「いっ―――痛い!痛いよ!」
優一が暴れて今日春の頭を叩いてきたけれど気にせずに思い切り犬歯をその肌に突き立てる。
ブッツ――。
何かが切れるような音がして、途端に舌に塩辛く、鉄臭いものが口内に広がる。
今日春がかぱりと口を開け、優一の腕を解放するとくっきりと半円の歯型に赤い鮮血が
滲んでいた。
(お母さんが持ってるルビーと同じ色)
それはとても綺麗で、これ以上綺麗なものなんて今の今日春には想像ができなかった。
「痛いよ!きょうちゃん」
優一は涙を浮かべてそれから母親に言って手当してもらっていた。
優一の母は笑いながら「お友達を噛んじゃ駄目よ」と嗜めて、優一は何故か母親のその言葉に不機嫌になっていた。
血は綺麗。
真っ赤でドキドキする。
お肉の色も綺麗。
桃色でドキドキする。
その二色が今日春は好きだ。
でも優一がいつか観覧車に乗りたいと言うなら自分も乗ってみたいと思った。
その頂上で見たものが本当に綺麗なら、血よりも肉よりもその景色が好きになれるかもしれない――と。
「じゃあ、いつか一緒に乗ろう?」
今日春の言葉に優一は嬉しそうに歯を見せて笑うと大きく頷いた。
ざっと写真を撮り終えて徹平は一息ついた。
「で、ここで何があったか知ってる?」
振り返って少年にそう聞けば、少年は相変わらず黒く暗い瞳のまま無感情な表情をしていた。
「人が、たくさん殺された」
人気のない廃墟のこのホテルに少年の声が、少年の声だけが、やたらリアルに生々しく徹平の鼓膜に響いた。
また再び、ぞくり――と背中が寒くなる。
妙な噂の立つこの町より、恐ろしげな名前の付くあの並木道より、そしてこの廃墟と化したホテルより、今目の前にいる少年の方が不気味で恐ろしい感じがする。
そこでようやく、徹平はこの少年の存在が見た目から異質だと気がついた。
少年は白の拘束着のような服を着て、手は動かないように固定されているようだった。
初めはそういうファッションなのだと勝手に思い込んでいたのだが、それにしてはやたらとしっかりした作りで彼が歩く度に鳴る拘束衣の金属が触れ合う音からも重さが感じられた。
身長は徹平よりもずっと低い、中学生ぐらいに見えて、髪の毛は短いところや長いところがある妙なヘアスタイルだった。
顔は整っているようで、なんだか子供の頃見た日本人形を思い出す端正さだったが、やはり三白眼のつり上がった瞳に収まる眼球があまりに黒くて、深い深い穴を覗き込んでいる気分になる。
何よりこの少年の持ってる雰囲気、空気が異質なものがあった。
仕事上、いろんな人間と出会うことが多い徹平だがこんな空気感を持つ者に会ったのは初めてだ。
ホテルを出て今度は隣に隣接された遊園地へと向かう。
結局あれ以上、事件の事を聞けないまま、誰が持ってきたのか分からない梯子を上って遊園地の柵を越えると園内へと入る。
そして彼は大きな観覧者の前で足を止めた。
赤、青、黄色、オレンジ、ピンク、紫、緑、黄緑――色とりどりのゴンドラがついたそれは晴れ渡った青空によく映えていた。
春風が吹く度にゴンドラは揺れてギシギシと軋んだ音を出していた。
少年は一番上の赤いゴンドラを睨み付けそれから
「事件の事聞きたい?」
くるりと振り返りそう問い掛けてくる。
その唇には笑みが浮かんでいて、それは徹平が初めてみたこの少年の感情のある表情だった。
「――ねぇ、聞きたい?」
小首を傾げて訪ねてくる少年のその言葉が脳に到達した瞬間、頭の中でけたたましく警告音が鳴りだした。
聞いてはいけない。
見てはいけない。
関わってはいけない。
本能がそう言っていた。
今すぐ逃げだしたくて後退りするが、膝が震えて上手く動かない。
「むかしむかしあるところに」
まるでおとぎ話でも語るように彼は話始めた。
例えば、生まれながらに盲目でも、目が見えたらどんなにいいかと考えるだろう。
例えば、生まれながらに聾でも、声や歌を聞く事ができたならと思うはずだ。
例えば手が足が、無い人生を送る人間だって普通の人のように不自由なく過ごせたらと思うに違いない。
太ってるものは痩せたいと思い、痩せすぎなものは太りたいと思う。
人は何か欠けてるものがあるなら取り戻したいと思うのが当たり前の生き物で、取り戻して平均的な幸せを手に入れたいと願って生きているのだ。
だから生まれながらのシリアルキラーは殺さないで生きていけるならどんなにいいだろうとずっと思っていた。
幼い頃は感じなかった他人と自分の違いが、成長と共に大きく溝は深くなっていく。
人と自分は違うと言うことが、自分は狂っているに変わるまでにそう時間は掛からず、狂った頭で狂気を感じながら、ずっと平穏に憧れ続けていた。
だって――。
「好きなものほど殺したい」
もし、ただ殺すだけで満たされるならただ嫌いなものだけをひたすら殺していくのに、愛しいと思えば思うほど、恋しいと感じれば感じるほど、殺したいくて殺したくて殺したくて――……。
死んだ者ほど愛しい。
子供じゃないから、殺したら、死んでしまったら、もう取り返しがつかないことぐらい分かっているのに、それでも殺したくてたまらない。
冬だった。
二十時頃、月の位置ままだ低くてすごく大きく東側に見えていた。
血の色みたいな赤い月がすごく綺麗だと思った。けれどやっぱり一番綺麗なのは血や肉の色だと思ったのを覚えている。
この狂ってしまった価値観を美的感覚を誰か壊してはくれないだろうか。
(観覧車……)
そうだ、観覧車にいつか乗ったらその天辺で優一が言う綺麗な景色を見る事ができたら、この狂った価値観は治るのかもしれない。
そしてその夜、いつも桜の手入れをしている林のおばあさんを殺した。
林のおばあさん家は小鳥坂から二十分ぐらい歩いた場所にある。
おばあさんは平家で一人暮らししていた。
子供や孫は町の外に出ていってあまり帰ってこないらしい。
田舎町の防犯なってあってないようなもので玄関の扉には鍵がかかってなかった。
月明かりだけを頼りに今日春は青い闇の中で寝室を探す。
一番奥のお座敷の部屋でおばあさんは眠っていた。
穏やかに幸せそうに、その寝顔を見てとても愛しくてたまらない気持ちが溢れてくる。
そして溢れる感情のまま
ナイフで肋骨の隙間を突くように、今日春はおばあさんの心臓を一突きした。
おばあさんは驚いたように瞼を開けたけれど同時に呼吸を止めた。
「夢だよ」
大丈夫、これは夢だよ。
酷い夢、酷い悪夢だから――……。
瞼をそっと閉じ、ナイフを引き抜いた瞬間に大量の血が流れだした。
「……~~~っぁ」
それはやっぱり
綺麗で、
綺麗で、
綺麗で、
涙が出た。
「うっ、うっ、うう」
なんで綺麗だと思ってしまうのだろう。
なんでこんなにも満たされてしまうのだろう。
悲しいのに、苦しいのに、殺してしまったらそれで終わりなのに、嬉しくて幸福でたまらない。
だんだんと冷えていく身体が、だんだんと硬直していく肉が、青くなっていく肌がとても素敵だと思ってしまう。
狂ってる。
狂ってる。
狂ってると分かってるのに、止められない。
もっと他に、もっと好きな人を殺したらと思ってしまう。
もっと好きな人を殺したら、きっともっと幸せなんだと考えてしまう。
苦しいのに怖いのに悲しいのに辛いのに。
「そうして、シリアルキラーは次々と町の人を殺してしまいました」
おしまい。
そういって少年は話を締めくくった。
「ホテルが出来た時、町の人はみんな反対したのに建てられちゃったのは、みんなが外の人からは見えないものだったからだよ。自分にない物が欲しいと思うのは幽霊も変らないんだね。生きてる人を見るとみんな羨ましくてたまらなくなっちゃうみたい」
みんなが辛そうだから自分が全て殺したのだと少年は笑いながら言う。
彼の底なしの穴みたいな黒い瞳が狂気にぎらついていた。
馬鹿らしい、作り話だ。
この少年はイカレテる。
だから、狂った作り話を自分にしてみているだけに違いない。
単なる妄想だ――そう思うのに、どうしようもなく恐怖しているのは何故だろう。
「死んだ自覚のない死者は生前の行動を繰り返すってさっきお兄さん言ってたよね?あれ正解だよ。本当なんだ」
死んだ自覚のない人間、例えば自殺は死んだと気がつかない事が多いらしくて、飛び降りなら何度も飛び降りるし、首つりなら苦しんでずっと足をバタバタとさせる。
飛び込み事故で、電車に飛び込みそうになった人を助けようとして飛び込んでしまったと言う話はこれが関係してるんじゃないか徹平は思っている。
「でもね。行動を繰り返すんじゃないんだ。死んだ人間はまた一から生まれる所に帰って、死ぬ瞬間に戻ってくる」
少年が何を言いたいのか徹平にはよく分からなかった。
「だからこの町の人はみんな、死んでまた戻って死んでを、ずーっと繰り返してるんだよ」
何時の間にか彼は拘束衣を脱いでいて、その両手には爪の先に刃物が付いた武器のようなものを装着していた。
たしか昔の格闘ゲームにあんな武器をキャラクターがいた。
スピード重視で軽くて、そう丁度こんな風に
(猫、みたいに)
「お兄さんもその一人」
ああ、また一周したと今日春は思った。
町の人をみんな殺して、その後にできたホテルの従業員も客もみんな殺した。
そして、その後この町をまれに訪れる記者達もみんな殺して、彼でようやく一周だ。
また最初から始まる。
「いつか先に進めるかな」
観覧車、一番下のゴンドラの扉を開ける。
後少しで見れそうなのに、観覧車からの風景を見たら変わる気がして、今は動かない観覧車に動いている間に乗る事ができたなら。
「一緒に乗ろうって約束したのに」
まるで運命のように、この町に観覧者が作られたのに――約束は未だ果たされていない。
ゴンドラの中にあるのは子供の頃から今日春の面倒を見てくれた幼馴染の遺体だ。
今日春が町の中で最後に殺したその一番大切で一番殺したくなくて一番殺したかったもの。
もう、ただの骨になってしまっているけれど、腐っても、虫が湧いても、骨になってもやっぱり愛しい。
時間が戻る。
一から始まる。
今日春はもう、自分が生きてるのか死んでいるのかさえ分からない。
次の場面が誰を殺す場面で、誰と話す場所なのかも、何回も何回も繰り返してるから頭がおかしくなってそもそも、一はどの場面からなのか生まれる瞬間か、それとも、何の変哲もない朝か、春か夏か秋か冬か、もう頭グルグルして分からないけれど。
「約束したから覚えてる」
約束だけは忘れない。
観覧車に乗ると言う約束、優一を忘れないという約束。
何時か、繰り返すこの世界でそれでもいつか本当に観覧車から綺麗なものを見る事ができたら繰り返す自分のこの世界で、ようやく人を殺す事なく過ごせるのではないかと夢みている。
焦がれている。
欲しいのはただ穏やかに流れる時間。
人を殺さないでいられる自分。
笑い声。
悲鳴にときめかない心。
断末魔に歓喜しない頭。
優しい両親と優しい友人。
大切なものを本当に大切にできる自分。
(もう殺したくない)
(もっとたくさん殺したい)
優一を殺したあの夜――もう今日春の頭大分おかしくなっていて、理性なんてとっくに壊れていた。
月がやたらと高くにあって、空の黒がいっぱいに広がっている。
それが凄く絶望的な気持ちにさせた。
駄目だった。
駄目だった。
駄目だった。
殺したくないのに。
殺したくて堪らなくて。
眠る優一身体に馬乗りになっての首を絞めた。
「――っ、!?きょ」
信じられないと言う顔。
なんでそんな顔をするのだろう。
今日春はずっとずっと優一を殺したっかった。
苦しそうな顔が愛しい。
もっと見たくて、もっと力を込めて締め付ける。
首を絞める今日春の手を優一は爪を立ててひっかいた。
苦しいともがくその身体お抑えつけて、体重全部をかけて締め上げていく。
何本も何本も、優一の爪は今日春の手に傷を残してでもそれがぱたりと力を失って下に落ちていく。
胸に耳を当てると心臓の音がしなかった。
死んだ――。
「アハハハハハハハハハ!」
そう思った途端に腹の底から笑いがこみあげてくる。
殺した。
殺した。
殺した。
全て、
幸福で眩暈がする。
腹を裂けば凄まじい血の匂いに頭がクラクラとした。
心臓も、肺も、腸も、内臓全てが鮮やかにキラキラと輝いて見えてやっぱり優一の血が、内臓が、今まで見たものの中で一番綺麗だなんて思うのだ。
こんな状況で、頭の中はどうしようが一杯なのに、それでも嬉しくて嬉しくて、死んでいく優一の身体が愛しくて愛しくて。
今日春にとっての世界全てがこの瞬間に無くなったのだ。
これが笑わずにいられるだろうか。
約束も守れないのに、死んでしまった。
終わってしまった。
「やだ」
嫌だ。
「嫌だよぉ」
涙が溢れる。
今日春は子供のように泣いたけれど、もうこの町に誰も慰めてくれる人は居なかった。
一人ぼっちは余りにも寂しくて
加藤(かとう)優一(ゆういち)はその日、濃い血の匂いで目が覚める。
もっともそれは優一にはよくある日常で、平和な一日の始まりに過ぎなかった。
布の擦れる音、人の気配。
「おはよう」
起き上がってそう告げれば、それはベッドの下、床の上に背中を丸めてしゃがみ込んでいた。
黒猫のような黒髪の小さい頭がくるりと優一の方を向く。
不揃いの前髪の下からのぞく三白眼の目を細め、ねめつけるように優一を見ると少し小首を傾げて口を開いた。
「コレっていつまで動いてると思う?」
そんなことを挨拶もそこそこに聞いてくる。
彼の手元には人間の拳ぐらいの大きさのボールのようなものが転がっていてさっきから仕切りに彼はそれを指先で突いているように見えた。
彼の名前は隣(ちかし)今日(きょう)春(はる)。
優一の家の隣に住む幼馴染だ。
「遊び場からもってきたのか?」
溜息混じりにそう聞く。
部屋の電気は消えているから今日春は優一にはよく見えなかった。
でも大体それがなんだか分かってしまう。
(人の部屋に持ち込むなよ)
内心でそう思うが直ぐにそんなこと言ってもこの隣人には通用しないだろうと言葉を飲み込んだ。
「夜中はよく来る」
そして、会話は噛み合わない。彼は今、優一との会話より目の前の物体に夢中なのだ。
こちらの言葉など聞いていない。
加えてこちらが今起きた所だとか、ここは優一の部屋であって彼にとっては他人の部屋で不法侵入だとか、そんなことは彼は気にしない。
「頼むから、それここで潰す――」
「あっ、止まった」
「潰すなよ」と言う筈だった言葉は頬ついたぬめる生暖かいゴムのようなものの感触に遮られる。
手に取ってよく見ればそれは赤い肉片で、震えるように微かに振動していた。
「一応聞こう。これは何なの?」
嫌な予感しかしない。
と言うか、多分これは
「心臓」
今日春は今更何を聞くのかとでも言いたげにきょとんと目を丸くして答えた。
それだけで、それが何のだなんて聞かなくても分かってしまう。
人の心臓だ。
そう、今日春は優一の隣人で幼馴染で殺人鬼だった。
彼の殺人衝動はナチュラルボーン。
生まれながらのシリアルキラーなのだ。
ふと、違和感を覚えた。
「なぁ、今のやりとり前にもあったか?」
デジャブする感覚。
「さぁ」
聞いてみるもののそっけなく返されてしまう。
「優一」
「ん?」
「観覧車に乗りたいね」
なんでこの生き物はそう突拍子もないのだろうと思わずため息が漏れる。
「乗りたいって言っても、お前――町の遊園地の観覧車は止まってるから乗れないぞ」
優一の言葉に今日春は唇を噛み何かを堪えるように眉を顰めながら、それでも笑って
「うん――でもいつか、一番上までいきたいんだ」
今日春の声が泣く寸前の子供みたいに震えていたような気がしたのは気のせいだろうか。
「さて、散歩いくか」
とにかく、今日も平和な一日が始まる。
となりのシリアルキラー 桐崎 @neogro69
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