その4

「ほう、その段平で、床を疾る『死紋』を斬ったか。――見事、と感心している場合では無いな。『死紋』の名、何処で知った?」

「ミヴロウ国から、あんた達の討伐の依頼を承けた時だ」

「依頼?――そうか、シャ・ハから逃げ出した時、あの保安官と一緒に邪魔した、ミヴロウ騎士団の隊長イチエが言っていた、最強の援軍とは貴様か?」


 問われた鞘は面映ゆそうに頬を指先で掻く。


「最強かどうかは知らんけど……。超振動の波紋を起こし、あらゆる物体を粉砕する『死紋使い』がいる、暗殺者集団『ズォ』。僕はイチエさんと合流して、シャ・ハに潜伏するあんた達を討伐する事になっていたが、――どうやら逃げ延びて来た様だな」

「落とし前だけは着けて来たがな。……俺もよくよくツイていないらしい。イチエの弟子に、同じ技で『死紋』を破られるとはな」

「イチエさんに『示現流』を教えたのは僕だ」


 今の一言には、流石にドーエンも瞠らずにはいられなかった。

 動乱の幕末、多くの勤皇志士達を斬り伏せた天然理心流の使い手である新撰組局長の近藤勇が、「薩摩の初太刀は必ず外せ」と常々隊士達に言い聞かせ怖れた、その古流剣術の名は『示現流』。

 剣を持つ右手を振り上げ、柄に左手を添える蜻蛉構から打ち下ろされる渾身の一太刀は、二太刀を無用とする必殺の剣であった。

 無論、示現流の伝承など知らぬドーエンが驚いたのは、シャ・ハで自分を撃退したあの剣の使い手の師が、こんな少年であった事に、である。

 やがて仰天するドーエンの顔に、絶望ではなく、余裕が戻ったのは、鞘が持つ日本刀の刀身が、次第に塵と化して行った為であった。


「渾身の一刀を以てしても、『死紋』に勝る事が叶わぬとは――」


 ドーエンが装備する胸当てが『死紋』を生み出す魔導器具である、と鞘は看破する。そして今の自分は丸腰であった。ドーエンが正体を知った者を果たしてこのままにするものか。


「――カタナ!援護を頼む!」

「……援護?何で?」


 応えるカタナの口調は、まるでこの危機が見えていないかの様な飄々としたものだった。

 否、鞘の方が、いつの間にかカタナの姿を見失っていたのである。


「あれ?カタナ?何処に隠れているんだ?」

「何処……って、ずうっと鞘の肩に座っていますわ。先からどうしたのです?皆、ぼうっと立ち尽くしたきり、悲鳴や呻き声を上げて…?」


 愕然とする鞘が聞いた姿無きその声は、確かに肩から聞こえて来た。


「そんな莫迦な?!この惨状が見えないのか?」

「惨状?皆さン、ご無事ですよ」

「そんな――夢みたいな事――」



 じぶんにはみえて、ほかの人にはみえないモノって、なぁんだ?



 鞘には見えて、カタナには見えないモノ。


 鞘は、まさか、と思った。


 ドーエンは既に、鞘に襲い掛かっていた。

 ところがドーエンは突然、鞘を掴み掛かる寸前で、顔に驚愕の色を浮かべて立ち止まった。


「――まて。……そうだ……そうだよ!誰なんだ、お前はっ?!」


 困惑するドーエンの視線は、鞘の背後に居た自らの妻へ注がれていた。


「今です!」


 セラの声に誘われる様に、鞘は飛び出した。

 何故、躊躇いも無くそうしたのか判らなかったが、消失している筈の――あろう事か鋭利な刀身をいつの間にか取り戻していた日本刀を、鞘は当然の様に薙いだ。

 銀光の疾風が駆け抜けたドーエンの胴は、二つになった。



 カタナは瞬いた途端、平穏だった筈の食堂が、破壊と死屍累々の無惨な光景に変貌した事に、暫し唖然となった。


    *    *    *


 赤頭巾の少女は、自分を産み落として直ぐ他界した母の墓と並ぶ父の墓前に手を合わせていた。

 若い頃から村の治安を預かる保安官という仕事を務めていた為か、とても厳格な男であったが、私利私欲の為に人の尊厳を踏みにじる悪には決して屈服しないその精神は、まだ年端も行かぬ愛娘にも理解出来る崇高なものであった。

 両親の墓前に立つ前に、父を殺した憎き八人の殺し屋達の墓にも花を添えて手を合わせた姿を見れば、彼女に父の気高い精神が確かに伝わっている事が判るだろう。

 墓前で祈る少女を、離れた木陰から見守る様に伺っている緑色髪の青年は、その穏やかな光景に微笑むと、踵を返して去ろうとした。

 青年が、墓地の路地に沿って植えられていた、楡の木に背凭れしている鞘に声を掛けられたのは、それから十歩進んだ時であった。


「セラ――否、〈夢見人〉と呼ぶべきかな?」

「レム、で結構です」


 〈夢見人〉レム。

 自分が支配する夢を相手に見させ、その夢の中で斃してそれを現実にする魔技を使う殺し屋の通り名である。

 しかし決して金だけでは動かぬその殺し屋は、どの組織にも属さず、己の信念の元に人知れず仕事をする為、裏の世界では伝説的な存在になっていた。


「夢を見ない神霊のお陰で、その伝説にお目に掛かる事が出来たよ。――昨日の夕方、僕に謎掛けたのは、何かの罠かい?」


 レムは微笑むだけであった。


「……私はあの娘の父親に一度、命を救われた事があります。私を殺し屋と承知の上で、です。道は違えど、私は彼を尊敬しておりました。

 せめてご健在の内に借りを返したかった。――貴方を謀った件、どうなさいます?」


 レムに問われて、鞘は腰に下げていた日本刀の鯉口を切ってみせた。

 須臾の間、二人の時間は静止した。

 ふっ、と微笑む鞘が、刀の柄に手を掛けて鯉口を閉じると、時間は再び流れた。


「……八人の男しか居ないハズの殺し屋集団に居た、九人目の女、か。――『死紋』は確かに恐ろしい技だ。

 あんたの協力がなけりゃ勝てなかった強敵だった。気にしないさ」

「貴方に、借りが一つ出来たみたいですね」


 苦笑するレムに、鞘は頭を振ってみせた。


「ていうか、大体、今こうやってあんたと話している事だって、あんたが見せている夢じゃないと言う保証は無いんだ。勝負なんか着けられ――?」


 それは一瞬の事だった。鞘が瞬いたまさにその一瞬に、レムの姿は消えていた。


「……してやられたな」


 鞘は立ち尽くすばかりだったが、不思議と恐怖心は湧かなかった。


            完

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魔導狩人 =夢見人= arm1475 @arm1475

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