第29話


 ホームルームが終わった直後、春也はるやの席へ向かって同級生達がまたたく間にむらがった。クラスにいる八割近くの同級生が春也の周りに集まっている。外から聞こえる雨音をき消すほどの、生徒達の騒ぎ声。みんな春也の引っ越しに大騒ぎだ。気持ちは痛いほどよく分かる。


 出来ることなら、私もあの輪の中に入りたい。

 私だって春也に問い詰めたい。「なんで引っ越すの?」って。

 でも体が震えて動けない。いや、動かしたいのに動いてくれなかった。それほど私の心に大打撃を与えたのだろう。

 春也の元に駆け寄りたいのに、駆け寄れないもどかしさ。

 いつもより春也の存在が遠く感じる。胸の奥が…………とても、苦しい。


 周りの春也に話しかける声が大きくなっていく。同時に廊下に響く、駆け足の音。多分、クラスの誰かが他の教室にいる知り合いに伝えたんだろう。二年二組の教室は普段以上の賑わいだった。


 後ろから誰かが近づく足音がする。けど今の私には振り向く気力さえ、残っていなかった。

 誰かが軽くポンと肩を叩く。

「麻奈、大丈夫ですか? あまり顔色が良くないですが……」

 眉を寄せながら、覗き込むように私を見る梨子。



 私はため息を吐いてから「大丈夫……」と答えるのが精一杯だった。顔を上げた時に一瞬梨子と目が合ったけど、すぐに視線を戻す。

 梨子は私の様子に気がついているみたいで、悲しげな声が聞こえてくる。

「春也君、引っ越しするみたいですね……」

 梨子の声も震えていた。振られたとはいえ、好きだった男の子が突然引っ越しすると告げられたんだ。誰だって衝撃を受ける。


「まさか引っ越しするなんて……私、知らなかった」

 春也の姿が見えないのは分かっているのに人だかりの先に春也がいるのは分かっているせいか、どうしても俯いてしまう。


「…………麻奈」

「春也……なんで教えてくれなかったんだろう。ってそればかり頭に浮かんできて、自分でも感情のコントロールができないの。駄目だって分かっているのに、どうしようもなくて……私、どうしたらいいの」

 喋る声が震えてしまう。目からは自然と涙が溢れ出る。

 梨子がそっと私の右肩に片手を添える。

「春也君が何故言わなかったのかは分かりませんが……春也君なりに何らかの事情があったのかもしれません。どちらにせよ、まずは春也君と二人でゆっくり話し合った方がよろしいかと……」


 梨子……。


 私はグスッと鼻水を啜り、片手で涙を拭う。顔を上げて、梨子に目線を向けた。

「うん、そうしてみるよ。ありがとう、梨子」


「どう致しまして。話し合えると良いですね」

「そうしたいのは山々だけど、今はちょっと……無理かも」

 視線を春也の席に移す。その先には先程よりも集まった人だかり。中には他の教室にいるであろう生徒らまでも集まってきている。

「今は難しそうですね。無理もありませんよ。春也君はこの学校の人気者ですから……必然的に人が集まってしまうものです。昼休みになってから一度声をかけて見ては?」

 梨子の提案に、私は賛成する。

「そうだね、そうしてみるよ。昼休みが駄目だったら、放課後にも声をかけてみようと思う」


 話していたところに、一限目開始を知らせるチャイムが鳴り、教室の扉が開く。一限目担当の先生が教材を持って教室に入ってきた。他クラスの生徒達は慌てて教室から出たり、クラスメイトは慌ただしく自分の席へと戻っていく。

 私や梨子も急いで一限目の授業の準備を始めた。無情にも先生の声が響く。

「授業、始めるぞー。皆、席に着け」




 ーーあれから、昼休みに声をかけようと試みました。もちろん惨敗でした。

 時刻はホームルームが終わった直後の放課後。窓の外に目を向ければ、しきりに降っていた雨は止んでいる。


 声をかけるどころか、一歩も近づけなかった。さすが神崎中学校の人気者だけあって春也に声をかける人が後を経たない。

 そりゃあ、人気者の春也が引っ越すんだもん。みんな気になるよね……放課後になった今でも、教室に現れる生徒が減るどころか増えていく。

 どれだけ待てば、春也に近づけるんだろう。

 教室に響く喋り声と教室を歩き回る足音が合わさって、私の心を孤独にさせる。はぁ、とため息を吐いた。

 机の中から教科書やノート類を取り出し、鞄の中に仕舞い込んでいく。

 私は思わず作業の手を止める。ふと、冷静になって状況を飲み込む。


 いや、待っていても状況が変わるわけじゃないんだ。自分から行動しないと変わらない。胸の内に残るモヤモヤを解消するためにも、春也ときちんと話し合いをしよう。ちゃんとしたお礼も言えてないし。


 鞄に必要な物をすべて入れ終えると、ファスナーを閉めて片手で鞄の持ち手を持った。握った手に自然と力が入っていくのが感覚的に分かった。大丈夫、私ならやれる。今は感情を抑えて麻奈。冷静になってきちんと春也の話を聞くんだ。

 私は椅子から立ち上がり、一歩椅子の真横に立ってから椅子を机の中に入れる。よし、これで準備は整った。


 今度こそ、春也に話しかけるんだ。絶対に。


 人だかりの中を掻き分けながら春也の席へ辿り着く。小さく深呼吸して、気持ちを整える。

「春也……話したいことがあるの。時間は取らせないから一緒にに来て欲しいの……お願い」


 やっとだ。やっと話しかけることが出来た。話しかけることが出来たからと言って春也が来てくれるとは限らない。バレンタインの次の日から春也とまともに話せていないもどかしさが私をさらに不安にさせる。


 春也は私をチラ見した後、

「…………分かった」

 少し悩んだ様子で了承の返事をもらった。

 私は良い返事が貰えたことにひとまずホッと胸を撫で下ろした。


 良かった……拒否されなかった。今までの今日だから拒否されるかもって不安があったけど、なんとかなりそう。でもこれで話し合いが出来る。なんで教えてくれなかったのかその理由が分かると良いけど……。


「春也くぅ〜ん、行っちゃヤダァ!」「そんな、春也君!」

 椅子から立ち上がり鞄を手に持った春也に、周りの生徒から悲壮な声が飛び交う。私には「独り占めするな」みたいなブーイングをしっかり受け取った。


 いや、独り占めしてないよ!?

 むしろやっと今声をかけることが出来たんですが!?


 周りの声をよそに、淡々と準備をしている春也。椅子を机の中に入れる。

「さっさと教室を出るぞ」

「う、うん」


 生徒達の野次やじに、私は春也を連れて教室を出る。

 私の三歩前を歩いていた春也が振り向く。

「で、どこに行くんだよ」

 私は声を振り絞るように言った。

「屋上に、行かない?」



      *



 ーーここに来るのはあの時以来だな……。


 あの日、春也と口論してから一度も来てなかったな。ここに来るのはこれで二回目か。

 三方向に囲まれた鉄のフェンスに、グラウンドに飛び交う生徒達の

声。沈みかけた太陽の光が体に当たり、なんとも言えない幻想的な空間を生み出していた。屋上には私と春也以外誰もいない。

 良かった、これなら落ち着いて話が出来る。殆どの生徒が部活に行ったり帰宅したりするからこの時間に屋上に来るなんてありえないもんね。


 私は春也の後ろ姿を見つめる。

 春也にも部活があるから長居はできない。手短に終わらせよう。


 春也が私の方を向いた。

「話って何だよ」


 一瞬だけ目が合い、心臓がドキリとした。わかりやすいほどの不機嫌顔だ。

 どうしよう。話しかけるのが怖い。私の中で話し始めるのを躊躇いそうになるけど、ここで引いたらまた春也に話聞けないまま終わっちゃう。同じことを繰り返す訳にはいかない。


 生唾を飲み込んでから、視線を合わせる。

「春也…………転校するって、本当?」


 数秒の静寂が訪れたのち、春也は思い悩んだ顔で答える。

「あぁ、そうだよ」


 私は思わずギリリと歯軋りを立てた。

「どうして……、どうして教えてくれなかったの。転校すること」


「麻奈には……関係ないだろ」

 目線を外したまま、私を見ようとはしない春也。どうして、私を見てくれないの。目の前にいるのに。

「それでも話して欲しかった……」

 春也は力一杯歯噛みしてから、叫ぶように言った。

「だからと言って、麻奈に話したところで転校がことになる訳じゃねぇだろ!」


「私はっ!」と前のめり気味に、春也に一歩近づく。

「私は……春也の力になりたいの。あの時のお礼が、したくて……」

 春也が怪訝けげんそうに私を見つめる。

「…………お礼?」


 ようやく、私を見てくれた。私は力強く頷いた。ここぞとばかりに言いたいことを伝えようと試みる。

「う、うん! 春也と鈴蘭さんがいなかったら、私はお母さんと仲直りできていなかった。だから! 今度はっ、私がーーーー」

 言えたと思ったのも束の間。


「ウルセェ!!」


 は、るや……?

「ウゼェんだよ、そういうの! 俺がいつ、助けて欲しいと言ったか!? 行ってねぇだろ! 俺のこと何も知らないクセして知ったような口聞くんじゃねぇよ!」

 ショックのあまり言葉を失う。まさかそこまで言われると思ってもいなかった。春也の怒号が脳内で何度も再生されて、私の心を抉っていく。


 自然と私の瞳から涙が溢れ、頬につたう。

「そ、んな……、そんな、怒鳴らなくてもいいじゃない! ずっと心配していたのに……春也の馬鹿!」

 はっ。しまった。またやってしまった。でも、一度出た感情が止まることはない。

「はぁ!? 勝手に心配していただけだろうが! 心配されても嬉しくねぇんだよ! 麻奈は赤の他人だろうが! 俺がどう思って過ごしていたか知らねぇだろう!」

「それは……そう、だけど」

「お前に俺のこと知ってほしくなんかねぇ! ムカつくんだよ! お前を見ていると!」

「……そこまで言わなくてもいいじゃない!」

「ウルセェ!! 何度も言ってるだろ! うざいんだよ!」

「ひどい……春也なんか、春也なんか……大っ嫌い!」

 しまった、そう思った時には既に遅し。春也の顔が徐々に強張る。

「あぁ、俺もお前のことが大っ嫌いだよ」

 春也はそう言い残して屋上を去って行く。同時に、私はその場にへたり込む。終わった。また。やってしまった。

 私の中に疼くまる不安は消えることはなく、後悔の波も合わさって複雑に波打っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遅めのバレンタイン~ツンデレ少女は短気な少年に恋しているけど、恋のライバルが学校一の美少女なんて勝ち目がないです!~ 星原ルナ @runa_hoshihara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ