ソリトゥスを知る者は何を想う

皆麻 兎

終焉へのカウントダウン

少女は走る。

何かに怯え、逃げまとう姿は何かを恐れているようだ。

しかし、少女が視ているものはおぞましい化け物でも、凶悪な犯罪者でもない。だが、ひたすらに雲で覆いつくされた灰色の空の下、息を切らしながら建物と建物の間を駆け抜ける。

「恐れる事はないよ」

逃げ場を失った少女の前に、”それ”は現れる。

黒い髪を持つ短髪の青年。しかし、その背中には漆黒の翼が生えている。それは、文献や絵画に登場する天使のものと酷似している。翼が闇のごとく黒い事を除いて―――――

「私は…貴方なんて…知らない…!!」

少女は黒い羽の堕天使に言い放つ。

青年は少女の瞳を見据えるが、その表情に嘘はない。そして、それを確信した青年は憂いを帯びた瞳で少女を捉える。

「いずれにせよ、俺は君とあの時約束したのは事実だよ。だから俺は、こうやって現れた」

「いや…!」

「さぁ……終焉へのカウントダウンを始めよう……!」



その一週間後―――――――

「美佳ー!早く行こう!!」

「うん…!!」

友人の桐谷憤美恵に促され、主人公の少女・鼎名美佳(かなめなみか)は走り出す。

二人は自分たちが普段すごしている葉車高等学校の学生寮を出て、通学する時間帯となっていた。

 あ…

空が灰色に染まっていたのを見た美佳は、不意にある事を思い出す。

それは一週間前、謎の青年に追いかけられたという出来事だ。

 しかも、黒い羽の…いわゆる”堕天使”に追い掛け回されたって…漫画やアニメの見すぎかなぁ…??

あまり良い思いでではなかったため、思い出すにははばかれる内容だった。しかし、そんな曇りの天気はどうしてもその日の出来事を思い出してしまう美佳であった。

「美佳…大丈夫?」

「あ…ううん!大丈夫だよ。早く行こう!」

憤美恵が心配そうな表情で声をかけてきたことで我に返った美佳は、気丈にふるまう。

そうして内心曇った心持ちのまま、二人は学校へ向かうのであった。


「それにしても、本当に人気だね、あの先輩たち…」

体育の授業中、体育館で美佳は呟く。

「え?普通にかっこいいじゃない!!あの子らが黄色い声援あげるのもよくわかるわー!」

この時、美佳と一緒にいた友人は彼女と一緒にある男子生徒達を見つめていた。

体育館の反対側では一学年上である2年の男子がバレーボールの授業をやっている。その隅っこでは、黄色い声援を送る女子生徒の姿があったのだ。

「あの金髪で肌が白い人が桜木螺流倶(さくらぎらるく)先輩。で、あの茶髪でロン毛な人が久遠谷巳架(くおやみか)先輩・・・だっけ?」

美佳は、バレーボールでひときわ目立っている二人の名前を口にしていた。

「編入して3日間であれだけの野次馬作り出しちゃうから、すごいわよねー!」

「確かに、顔立ちは綺麗だとは思うけど…胡散臭いかんじがするなぁー…」

友人は彼らのプレイに惚れ惚れしていたようだが、美佳は逆にうんざりしていた。

 どうも、あの”王子様みたいなタイプ”は苦手なんだよなぁ…

美佳はそんなことを不意に考えていたのであった。

しかしこの時、憤美恵が美佳の後姿を見つめていたのは、気がついていないようだ。


放課後、部活が休みだったので、真っ直ぐ寮へ帰る事にした美佳。この日は曇りの天気だったため、夕陽が出てくる事はない。

 何だろう…今日、お昼頃から喉元が気持ち悪いかんじがする…風邪かな?

美佳はのど元に違和感を覚えながら、寮へと歩いていく。

「あれ。貴方達は…」

女子寮の入り口へたどり着いた時、彼女の視線の先には二人の男子生徒がいた。

「やぁ、はじめまして。鼎名美佳(かなめなみか)さん…だよね?」

「あ…はい。何故、私の名前を…?」

美佳に声をかけたのは、上級生の桜木螺流倶(さくらぎらるく)だ。

「…どうやら、俺宛ての荷物があんたの所に間違えて届いたらしい。その関係で、俺らは来たんだ」

隣に立っていた久遠谷巳架(くおやみか)が、不機嫌そうな声音でそう告げる。

 もしかして、名前違いで…?

美佳は不意にそんな事を考えていた。

「ご存知のとおり、君と彼は漢字が違うけど同じ名前だよね?それで、寮生の荷物って大体部屋の中に運ばれているだろうから、君の許可を取らないと…ね」

「成程。まぁ、同室の憤美恵でもよかったとは思うけど…わかりました!それでしたら、ご一緒にどうぞ」

彼らが女子寮を訪れた理由に納得した美佳は、二人を連れて寮の中へと入っていく。


「じゃあ、荷物持ってくるので少し待っていてくださいね!」

二人にそう告げた美佳は、持っている鍵で部屋の扉を開ける。

 荷物ー…

誰もいない部屋の明かりをつけた美佳は、届いているであろう荷物を探し始める。同室の憤美恵がまだ戻ってきていないために部屋は静かだが、風の音が響いていた。

「あれ、窓閉めたはずなんだけどなぁ・・・?」

風の音がした方向を見ると、部屋の窓が少し開いていて、隙間風が入り込んでいた。

「あれー…荷物ないなぁ…??」

開いていた窓を閉めた美佳は、だんだん訳がわからなくなってきていた。


「へぇー…てめぇがあいつの…か」

「えっ…!!?」

すると突然、背後から聞いたことのない声が響いてくる。

美佳は反射的に後ろを振り返るが、すぐに口を大きな手で塞がれてしまう。

「静かにしろよ。別にとって食いやしねぇっての」

抵抗しようとすると、耳元で低めの声が響いてきたために少女は体が硬直してしまう。

 何…何なの、この男性(ひと)…!!?

恐怖で凍り付いている美佳の瞳には、藍色の髪と紅い瞳を持つ青年が映っていた。見た目は美佳より年上の青年にしか見えないが、何か底知れぬ恐怖のようなものを感じる。見てはいけないものを見てしまっているような感覚を味わっていた。

「美佳ちゃん!!」

「ったく…何だって、悪魔がこんな所に?」

すると突然、扉の方から叫び声が聞こえてくる。

おそらく、なかなか出てこない美佳に気づいて螺流倶と巳架が入ってきたのだろう。

「あん?何だって天使共がこんな餓鬼の所に…?」

藍色の髪を持つ青年は、美佳の口を塞いだまま駆けつけた上級生の方を振り返る。

「おい、悪魔。大方、その子の魂を食いに来たのだろうけど…僕らの方が先約なんだ。やられたくなければ、とっとと失せてくれないかな?」

落ち着いた口調ではあるが、螺流倶は鬼気迫ったような瞳で相手をにらみつけている。

「っていうか、あんたに魂食われたら俺らもたまったもんじゃないからさ…失せろよ」

やる気なさそうな表情ではあるが、どこか棘のある言葉を巳架は相手に浴びせていた。

「ったく…今宵は飯のために来た訳じゃねぇってのに…ついてねぇなぁ…!」

美佳の口を塞いでいた手を離した藍色の髪を持つ青年は、二人の男子生徒の方に向き直る。

当の彼女は、息切れと極度の緊張により、その場に座り込んでいた。部屋の中が殺気で充満しているような雰囲気をかもし出している。しかし、何が起きたのかが全く掴めない美佳は、不意にクローゼットについている姿見に映った自分を見て驚く。

 何…この文様みたいなもの…!?

目を見開いて驚く美佳が目撃したのは、自身の喉元にある文様のような黒いものだった。それは当然、指でこすっても取れるはずがない。

「人の部屋で、何やってんのよあんたたち!!!」

驚いている一方、憤美恵の怒鳴り声によって美佳は我に返る。

その怒鳴り声があまりに大きかったせいか、その場にいた青年達は一瞬固まっていたのであった。



「えっと…じゃあ、順を追って話をしていこうか」

咳払いをしてから述べた螺流倶の台詞(ことば)から話が始まる。

同時に、彼らの視線が美佳へと注がれる。

「美佳ちゃん…ごめんね。彼の荷物が届いているというのは、君と話をするための方便だったんだ」

「それは、わかりましたが…何故、先輩たちが私に…?」

「”あんたに"というよりむしろ…俺らが用あるってのは、あんたの喉元に刻まれている”それ”だ。…で、そちらさんの用事も、同じって事だろ?」

「この文様…?」

全員の視線が自分に向き、美佳の心臓は強く脈打っていた。

「あんたはただの人間だから信じがたい話かもしれないが、俺と螺流倶は天上界から来た天使だ。そして、あんたを襲おうとしたその男は、そこの女の”相手”って所だろ?」

「えっと…??」

話が突拍子もなくて理解できない美佳は、同名の青年が顎でさした憤美恵を見つめる。

「美佳…ごめん。私ね、そこにいる李厨(りず)…悪魔と契約をしているの」

「契約…?!」

「俺ら悪魔は、特定の人間と”契約”っつーのを結ぶ。そして力を貸す代わりに死後、その人間の魂を食らう事で己の魔力を底上げすることができるって仕組みだ」

そう得意げに話すのは、美佳の口を塞いでいた青年・李厨だ。

「俺様は、契約者である憤美恵に異常が起きたのを察して戻ってきたわけだが…”奴”の事は、俺よりお前らの方が事情を知っているんじゃねぇの?」

相手を小ばかにするような口調で、李厨は二人の天使をにらみつける。

「それについては…確かに、言い訳のしようがない」

「えっと…やっぱり、話の意図が掴めないんですが…」

螺流倶が唇をかみ締める中、恐る恐る美佳が会話に割って入ってくる。

「美佳ちゃん。君はその文様が喉元に現れる以前に…黒い翼を持った男に会っているよね?」

「…っ…何故、それを…!!?」

金髪の天使にそれを指摘され、美佳は動揺する。

「彼は元々、僕らと同じ天上界の天使だったんだ。…しかし、とある罪で天上界から追放される」

「そして、堕天した後は一度地獄をさ迷ったらしいが…ある時を境に、行方知らずとなったらしい」

螺流倶の台詞(ことば)に対し、巳架が補足する。

「罪…」

その言葉を聞いた途端、美佳の脳裏に嫌な予感が浮かんでくる。

「それは、その文様を用いた術を創ったが故の罪さ。それは、君は無論の事…君とリーネアで結ばれた人間をも死に至らしめる、恐ろしい魔術だ」

「因みにリーネアとは、ラテン語で”糸”って意味。李厨がいうには、天使や悪魔はこの世界の生き物が持つ”それ”から色々なものを読み取る事ができるんですって」

会話が続く中、憤美恵も会話に入り込んでくる。

「お前らの国の言葉で”縁(えにし)”…ってあるだろ?それと似たようなもので、俺たち悪魔はそのリーネアを見て魂を食う相手であったり、契約者を選ぶわけだ」

「俺ら天使は…そんなくだらない事でリーネアは見ない」

「そうだね。僕らはそこで人間の寿命であったり、その人間が近い将来世界を導くような貴重な人間か否かを判断し、時には導く役割を担っているんだよ」

”リーネア”という聞きなれぬ言葉に対し、その一例を天使や悪魔が語る。

 日本語でいう”縁”ならば…”運命の紅い糸”なんかと似ているのかな…?

美佳は確実に理解した訳ではないが、不意にそんな捉え方をしていた。

「わかりやすい例えで言うと…そうだな。てめぇと憤美恵はリーネアでつながった人間(もの)同士だ。お前ら、この学校とやらに入学した際に初めて会ったんだろ?」

「えっと…はい。偶然、女子寮の同じ部屋になって…」

「成程な。契約者であるそこの女が術で死ねば魂が食えなくなるから、現れたという事か」

「ご名答だぜ、天使様!」

巳架の台詞(ことば)に対し、飄々とした態度で返す李厨。

光と闇――――――相反する二つの種族は、仲が悪いという事だろう。

「死ぬって…それは、私だけでなくて憤美恵も…?」

「……そうだね」

懇願するように見つめる美佳に対し、螺流倶は冷静な表情(かお)で首を縦に頷いた。

天使を見上げる少女の表情(かお)は真っ青になっていた。

「本来なら、僕らが直接人間界に出向く必要はなかったんだけれど…。そのリーネアで結ばれている人間の中には、今死なれては困る人間もいる」

「天界に残っていた研究資料によると、その術を受けた当人及びリーネアで結ばれた人間は、3か月以内に死ぬ。その数は…かけられた当人がどれだけのリーネアで結ばれたかによって変わるらしい」

「でも…久遠谷先輩。私は美佳と違って、その文様みたいなのは現れていないけど…」

「…被害者とリーネアで結ばれた人間には、文様は刻まれない。だが、心臓をえぐるような痛みを感じた事はあるだろ?」

「…はい」

巳架の説明に憤美恵が問いかけると、その答えはすぐに出る。

そして、それを聞いた憤美恵も緊張した面持ちで返事をした。悪魔と契約しているせいなのか、“自分も死ぬかもしれない”という恐怖をよく解っているのだろう。

「兎に角…このまま3か月が経過してしまえば、二人は死に、僕らとしては望ましくない結果を迎える。そのため、術者である奴を探し出さなくては…!」

真剣な表情を浮かべながら、螺流倶は決意表明のようにはっきりと述べた。

「まぁ、気に食わないが、そいつを見つけて解呪方法を聞きだすしかねぇって訳だ」

「李厨(りず)…だっけ。噂によると、“奴”は堕天した後に名前を変えていたらしいけど…知っているのか?」

「ん…?あぁ、知ってるぜ。野郎の名前はアジ。黒髪で白銀色の瞳を持った野郎だ」

「はは…。元の名前が“アジノーチェ”だから、かなり安易な名前なんだね」

美佳に術をかけた張本人の名前を聞いた螺流倶は、そう口にしながら苦笑いを浮かべたのである。




「ねぇ、憤美恵」

騒がしい会話が終わった後、二人きりになってから美佳は憤美恵に声をかける。

「天使や悪魔って…本当にいたんだね」

「そうね…。普通に生きていれば多分、知らずに終わるんだろうけど…」

美佳の呟きに、憤美恵が応える。

あれから螺流倶達から、証拠といえる天使の羽。そして、悪魔である李厨からは蝙蝠のような黒い翼を見せられた。それによって、彼らが天使と悪魔であることを認識した。

 このままだと、3か月後に死ぬ…。私だけならともかく、関係ない人達が死ぬのは…嫌だな…

美佳は不意にそんな事を思う。

正直なところ、彼女は自分の生に対して執着があまりない。それは、過去に忘れてしまうほどの大きな出来事があったからだ。

「美佳…訊かないのね?私が悪魔と何故契約したのかを…」

憤美恵の台詞(ことば)に対し、美佳は瞬きを数回する。

しかし、すぐに落ち着きを取り戻してから口を開く。

「…うん。私も人に話したくない事があるように、憤美恵にも知られたくない事とかあるだろうな…と思ってね。だから、余計な詮索はするつもりはないから、安心してね」

「うーん…。まぁ、それはよしとして…。あんたも怖いだろうけど…私だって命がかかっている訳だし!頑張って見つけようね、その術をかけた堕天使ってのを!」

「そう…だね…!!」

憤美恵に促されて、美佳は迷いを断ち切るように首を大きく縦に頷いた。



そうして、少女たちは己の命運を握る堕天使を探し始める事となる。天使や悪魔がその堕天使アジを探すのを手伝う事になるが、そこには多くの思惑や感情。そして、恐ろしい事実が隠れているという事を二人はまだ知らないのであった。

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