インタビュー

鶏の照焼

第1話

 相沢誠はこの日、某雑誌の独占インタビューを受ける事になっていた。午後八時、彼は指定されたホテルの一室で、そのインタビュアーが来るのを待っていた。

「失礼します。相沢誠さんのお部屋でよろしいでしょうか?」

 その内、ドアの外から声が聞こえてきた。若い女性の声だった。誠はすぐにそれに反応した。

「はい。そうですよ」

「ああ良かった。私、本日インタビューを担当させていただく、A社の松崎と申します。入ってもよろしいでしょうか?」

「ええ。構いませんよ」

 女性が来るとは思わなかった。齢四十を越えて色恋の一つもせず、芝居一筋に生きてきたこの男は、年若い女性が自分に会いに来たというだけで軽く緊張していた。彼は女性に免疫が無かったのだった。

「では失礼します」

 そんな誠の緊張をよそに、松崎と名乗るその女性はいそいそと室内に入ってきた。音も立てずにドアを開け、恐る恐る入ってきたその女性は、誠と同じくらい緊張しているように見えた。

 無理もない。相沢誠は演技派の中堅俳優として、世間に広く名を知られていた。大御所ではないにしても、彼は相応に実績を積んだプロ中のプロであったのだ。

 そんな男と一対一で対談する。誠と並べば彼の娘のように見えるほどに若かった松崎の緊張と心労は、推して知るべしであった。

「そう固くならずに。気楽に行きましょう。肩の力も抜いて」

 そんな松崎の心境を悟った誠は、まず場の空気を和ませる事にした。こうまでカチコチになっては、まともなインタビューなど出来はしないだろう。誠は松崎にそう諭し、自分の横にあった席に座るよう促した。

「で、では、失礼します」

 それでも松崎はまだ固かった。ぎこちない動きで誠の隣に座り、大げさな程に丁寧な仕草で持っていた鞄を横に置いた。その目は視線が定まらず、額にはうっすらと汗が滲んでいた。

 しかしその一方で、彼女はその顔に僅かながら微笑みを湛えていた。誠は目敏くそれに気づき、慎重に彼女に尋ねた。

「どうかしましたか? 何か笑っているように見えるのですが」

「ふえっ?」

 見抜かれるとは思っていなかったのか、松崎は素っ頓狂な声を上げた。誠は笑みを崩さず、機嫌良さそうに続けて言った。

「ああいや、失礼。答えにくいなら、無理して言わなくてもいいです。ただ何となく気になっただけですので」

「ごめんなさい。気分を悪くされたのでしたら謝ります。悪い意味で笑ったんじゃないんです」

 松崎は大慌てで弁解した。それから彼女は伏し目がちに誠の顔を見つめ、恥ずかしげに彼に言った。

「その、私、相沢さんのファンなんです。だからこうして本物と会えて、その、どうしていいかわからなくて」

 松崎は本気で気が動転しているようであった。誠も誠でいきなりそんな事を言われて驚いたが、嫌な気持ちにはならなかった。それどころか、若い女性からファンであることを告げられて、彼は非常に良い気分になっていた。

 彼は女性に免疫が無かったのだ。

「そうなんですか? いや、嬉しいなあ。あなたみたいな若い人がファンになってくれるなんて、本当に嬉しいですよ」

 そして彼はポーカーフェイスが作れなかった。だから誠は素直に自分の感情を見せた。そして松崎もそれを見て、素直に喜んだ。彼女のそれもまた、人を疑う事を知らない笑みだった。

「でも、私のような年寄りのファンなんて、あなたも物好きですね。もっと若い人を好きになってもいいのでは?」

「まあ、物好きとは言われましたね。同意してくれる友人もあまりいませんでしたし。でも、それでも私はあなたが好きなんです。一人の役者として、あなたのファンなんですよ」

「そこまで言われると、本当に役者冥利に尽きるってものですよ。いや、ありがとうございます」

 どちらも裏表の無い人間であった。

「あなたとなら、気持ちよくインタビューに答えられそうです。今日は有意義な日にしましょう」

「そうですね。時間も限られていますし、早く始めるとしましょうか」

 だから波長の合う二人は、一気に親密になった。それまでお互いが持っていた緊張は全く無くなり、インタビューは非常にスムーズに進んだ。

 それからというもの、誠と松崎の会話はとても盛り上がった。それはもはや仕事の枠を超え、プライベートで会っているかのように楽しげなものであった。

「あれの一件なんですけど、実はそういう事になってましてね」

「本当ですか? そんな複雑ないきさつがあったんですね」

「あの時は本当にどうしようかと思いましたよ。今までの人生で一番のピンチと言ってもいい状況でしたね」

「それはもう、災難だったとしか言えないですね」

「いやまったく。でもあんな事があったから、今の自分がいると思うと、そんなに悪いことでも無かったとも思えるんですよね。過ぎたことだからそう言えるのかもしれませんが」

 誠の口は非常に滑らかだった。彼はこれまでの人生の中で起きた事をべらべら喋り、松崎もまたそれを一言一句聞き逃さなかった。彼女の手は休むことなくメモ帳への筆記を続け、インタビューの時間はあっという間に進んでいった。





「あら、もうこんな時間」

 そして松崎が気づいた時には、既に終了予定時間の十分前になっていた。彼女のメモ帳には今日聞いた内容がびっしりと書かれており、それはまさに大収穫といっても良いくらいの量であった。

「今日は本当にありがとうございました。おかげでとても多くのお話を聞くことが出来ました」

「そうですか。こちらこそありがとうございます。とても楽しかったです」

 実際、誠にとってこの一時は非常に充実した時間であった。彼は約二時間もの間、まさに時間を忘れたように松崎と話し込んでいたのである。

「いやあ、時間が経つのは早いものですね。本当ならもっと話していたいのですが」

「そういう訳にも行きませんよ。時間は限られているんですから」

 誠の言葉に松崎が答える。誠も「そうですね」とすぐそれに同意し、しかしそれでもなお名残惜しそうな顔を見せた。

「でもやっぱり、もう少し話したかったな。こんなに女の人と話し込んだのは初めてですから。ここで切り上げるのは、なんだか勿体なく思えて」

 どこまでも女性に免疫の無い男であった。たった一度のインタビューでここまで上機嫌になってみせた誠を見て、松崎はクスクスと笑みを浮かべた。

 それから松崎は何かを思いついたように閃いた表情を見せ、そしてそのまま誠に言った。

「なら、また別の日に会うっていうのはどうでしょうか?」

「え?」

 寝耳に水だった。呆然とする誠に、松崎は続けて言った。

「ですから、また時間が空いた時に会うんです。今度は仕事じゃなくて、プライベートで」

「それって」

 デートの誘いだろうか。鈍い誠でもそれくらいは予想する事が出来た。そして誠が松崎を見ると、彼女もまた僅かに頬を赤らめていた。

 松崎も緊張していた。

「その、もしお嫌なら断っても構いません。でも私は、もう一度あなたと会いたいなって、思ってるんです。二人きりで」

 たどたどしい口調で松崎が告げる。誠は驚いたまま何も言えなかった。しかし誠は勇気を振り絞り、金縛りを抜け出して彼女に尋ねた。

「それは、その、つまり?」

「……」

 誠は重要な部分を言い出せなかった。そして松崎も何も答えなかった。ただその顔は真っ赤に染まっていた。

 松崎も自分のそれが「お誘い」であることを自覚しているのだろうか。そう考えた誠は、自らも顔を赤らめていった。

 そして暫く、無言の時間が続いた。空気が微妙に重たくなり、重石が乗っかったように二人の唇は固く閉ざされた。

 先にその沈黙を破ったのは誠だった。

「どこで会いましょうか? 公園とか、レストランとか?」

「え」

 松崎が一気に表情を輝かせる。自分のお誘いを受け入れられたと思い、彼女は一気に機嫌を良くした。そしてその松崎に、誠は言葉を続けた。

「自分としては、あなたと会うことに問題は無いです。お互い時間の空いたときに会うというのはどうでしょう?」

「は、はい。もちろん構いません。それに私、公園とかよりももっと良い場所を知ってるんです。そこに是非あなたを招待したいなと思っていまして」

「へえ、どこなんですか?」

「それは秘密です。行ってからのお楽しみということで。とにかくもっと素晴らしい場所なんです」

 二人とも完全に出かける方向で話を進めていた。親子のようにしか見えない二人はとんとん拍子で打ち合わせを済ませていき、さらにはお互いの電話番号とメールアドレスまで交換した。

「まさか自分がここまでするとは思いませんでしたよ」

「誠さんって、女の人とアドレス交換とかしないんですか?」

「仕事としては何度かしましたけど、プライベートでこういうことをするのは初めてなんですよ」

「なら、私が一番最初の人って事なんですね? 嬉しいなあ」

 誠から番号をもらった松崎は、子供のように喜んでみせた。そしてその顔を見た誠も、つられるように笑みを見せた。

「でも、そう簡単に会えますかね? お互い忙しいでしょうし」

 そして不意に誠が呟く。松崎は笑みを浮かべたまま、彼に向かって言った。

「会おうと思えばいつでも会えますよ」

「そうですかね?」

「そうですよ。私はいつでも会えるんです」





 松崎が帰った後も、誠はその部屋で暫し放心していた。これまでの出来事は全て夢ではないのか。彼はそんな事すら思い始めていた。

 それほどまでに、彼にとってあの時間は現実味のない時間であったのだ。

「俺が女の人とねえ」

 ぽつりと呟く。自然と笑みがこぼれてくる。今日はひょっとしたら眠れないかもしれない。明日もドラマの収録があるが、それに影響が出ないようにしなければ。

 それでも心が安まる気配は無かった。それほどまでにこの一件は彼にとって刺激的であり、今まで味わったことのない幸福感を彼にもたらしていた。

「失礼します」

 ドアの外から声がかかってきたのは、まさにその時だった。誠がドアに目を向けると、そこから続けざまに声がかかってきた。

「私、A社の安田と申します。本日相沢さんのインタビューに参りました。入ってもよろしいでしょうか?」

「え?」

 誠は驚いた。それでも彼は、その安田という女性を室内に招き入れた。

 入ってきたのは眼鏡をかけた地味な女性だった。そして安田は誠の姿を見た後、恭しくお辞儀をした。

「今回は独占取材に応じていただき、ありがとうございます。これから短い間ですが、どうぞよろしくお願いします」

「あ、あの、ちょっと」

 誠は彼女の言葉に動揺した。そして彼はそのまま、安田にたった今インタビューが終わった事を告げた。

「え?」

 今度は安田が驚く番だった。そして安田は困惑した表情を浮かべたまま、誠に尋ねた。

「あの、本当にインタビューを受けたのですか?」

「はい」

「その、松崎という人から?」

「はい。何かあったんですか?」

「ええまあ、松崎はうちの同僚なんです。それで」





「松崎は三日前、自宅で首を吊ったんです」

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インタビュー 鶏の照焼 @teriyaki

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