第90話 カキ氷を求めて北極へ

 カキ氷――魅惑的な氷菓の名称だ。氷を薄く削って器に積み重ねたら、そこへシロップをかけるだけで魅惑の味が完成する。猛暑日に食べれば砂漠のオアシスのごとく光り輝くことだろう。


 なんでカキ氷について長々と語ったかといえば、地元商店街の貸し出しスペースに露天が出店していて、そこがカキ氷屋だったからだ。


「お客さん、ずいぶん毛深いね」


 露天の店主が、我輩のグレーターデーモンな肉体を興味深そうに見た。


「うむ。ロシアからやってきたからな」


 定番の嘘をつぶやきつつ、購入したばかりのカキ氷を口にした。やはりうまい。猛暑日だとすぐに溶けてしまうのが難点か。


「最近のロシア人は、尻尾もついてるのかい?」

「うむ。冬場のロシアはとても寒いからホッカイロになるし、夏場なら保冷剤を入れておけばいい」

「なるほどなぁ。生活の知恵ってわけだ。ずいぶん夢中にカキ氷を食べてるけど、ロシアじゃカキ氷は売ってないのかい?」

「各種冷菓はあるが、明確な形でのカキ氷はないだろうな」

「そうかい。めちゃくちゃ寒い地域のカキ氷に興味があったんだが残念だ」


 たしかに我輩も興味があった。もしかしたら極寒の地でカキ氷を作ったらうまいのではないか? それも極寒の地にある純粋な氷を削れば、もっとうまいかもしれない。


 善は急げだ。我輩はカキ氷機を抱えると、翼を広げて空を飛び、北極へやってきた。


 北半球の八月は夏場だが、北極はやっぱり冷えていた。足元が氷なんだから当たり前か。だがみんなも知ってのとおり我輩は強力なグレーターデーモンだから防寒装備など不用だ。


 適当なサイズの氷を拾うと、手で回転させるタイプのカキ氷機を使って、ゴリゴリ削っていく。


 この瞬間が、たまらない。氷の削れる音まで極上品だった。


 そんな贅沢な音に引かれて一匹の白クマが姿を現した。なかなか立派な体格で、我輩を恐れていない。きっと白クマの中でも勇敢なやつだろう。彼は「ぐおんぐおん」と低い声でなにかを訴えていた。こんなこともあろうかと翻訳入れ歯を持ってきて正解だった。


「白クマよ。もう一度いってくれ」

「その食べ物、おれにも食わせてくれ」


 どうやら白クマはカキ氷に興味津々のようだ。


「申し訳ないが、地球のルールからして野生動物に餌を与えてはいけないのだ」

「だがその氷はオレの縄張りのものだぞ」

「むむむ。これは一本取られてしまった。なら氷だけ。シロップはダメだな」


 我輩は氷を削るとシロクマに与えた。これならルール違反にはならない。彼の縄張りの氷を与えただけ――そもそも氷も水もなんの味だってしない。


 そんな我輩の小ざかしくも卑怯な罠に、白クマが気づいた。


「おい。氷の味しかしないじゃないか」


 白クマは不満げだった。


「当たり前だろう。氷を削っただけなのだから」


 我輩もシロップなしのカキ氷を食べた。うん、水の味しかしない。だが真夏にひんやりした氷を食べると気分がすーっとした。


 しかし万年氷の大地で暮らす白クマはふてくされてしまった。


「期待して損した」


 その場に座りこんでしまった。だが諦めが悪いのか、じーっとシロップのボトルを見つめた。


「もしかして……それをかけたら、うまいんか?」


 ドキっとした。なんて鋭い白クマなのか。我輩はシロップのボトルをかばった。


「ダメだ。動物が人間の食べ物の味を覚えたら無用な争いが起きる」

「お前は勝手におれのテリトリーに入ってきて、あまつさえ氷まで食べたのに、こっちにはなんの施しもしないつもりか?」

「うーん、しかしなぁ……」

「ちょっとだけでいいから。一口だけでいいから。なぁ頼むよ。食べてみたいんだよ」

「むぅううううううう…………」


 我輩、以前失敗しているからなぁ。サルに釣りと火を教えてしまって大自然のルールを破壊してしまった。


 かといって白クマの縄張りに無断侵入して氷を食べたのも事実だ。


 この二律背反の難問を解決する絶対唯一の答えを見つけた!


 我輩もクマになればいい!


 そうすれば動物が動物にシロップを与えたことになるからルール違反にならない!


 こんな完璧な答えを生み出すなんて、もしかして我輩天才なんじゃ。自分の才能が怖い。我輩は四つんばいになると、白クマみたいにがうがう鳴いた。


「いいかシロクマよ。今だけ我輩はクマだ」

「おういいぜ。さっそく食わせてくれよ」


 我輩は白クマっぽい動きでカキ氷にシロップをかけた。ただし少量だ。動物の味覚に人間用の味付けは刺激的だからな。


 さっそく白クマは食べたのだが、花火が弾けたみたいに表情を明るくしてから――すっかり味を占めた。


「うめぇ! なぁもっとくれよ! こんなんじゃ足りねぇよ!」

「ダメだ。いくら動物同士といえど限度がある」

「なんだよケチケチするなよ。こんなうまいもの食べたことないぜ。頼むよ、なぁ、動物の仲間なんだろ?」


 …………あ、なんかまずい流れ。具体的にはそろそろ誰かに怒られるパターンだ。


「よくわかったな、我が弟よ」


 いつのまにか兄上が我輩の背後に立っていた。力強い尻尾と翼が不機嫌に揺れていた。


「ち、違うのだ兄上。これには事情があるのだ。そう深い事情が」

「……ところでお前は動物になったらしいな」

「う、うむ」

「ならシロップを使うのは不自然だな」


 兄上がシロップを奪い取った。それもすべての種類を。


「なにをするのだ! まだカキ氷パーティは始まったばかりなのに!」

「本日採取した氷を食べ終わるまで帰ってはいけないぞ。もし帰ったら私がお仕置きする」


 ちなみに北極の氷だが、我輩の巨体で抱えられるほどに持ち出してあった。


「全部食べろといわれてもシロップなしでは氷の味しかしないではないか! 飽きるに決まっているだろうが!」

「北極で悪さをするほうが悪い!」


 兄上はシロップセットを奪うと魔界へ帰ってしまった。


 なんてことだ……こんな山ほどの氷をシロップなしで食べろというのか。ちょっとした罰ゲームだな。


 白クマが我輩の肩を軽く叩いた。


「苦労してるんだな」

「白クマ……」

「手伝ってやるよ、動物が氷を食べるだけならお前たちのルールに反しないんだろ?」


 こうして白クマに手伝ってもらって我輩は残っていた氷をすべて食べた。満腹だ。それにもう氷には飽きた。どれだけ暑くなろうとしばらく食べたくない。


 ――後日、貸し出しスペースで例のカキ氷屋にあった。


「お客さん、本当に北極までいったのかい?」

「うむ。もうカキ氷はコリゴリだ」

「氷だけあってコリゴリだって? オヤジギャグか。こりゃあ一本とられたなぁ。一つ無料でサービスしようじゃないか」


 本当にコリゴリだったのに、店主はカキ氷を我輩に押しつけた。


 まさか捨てるわけにもいかないので我輩は心を無にして食べた。


 ……もうカキ氷は一生食べたくない。兄上のバカ。

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