第86話 食べ物の恨みは怖いんだ

 深夜、我輩はジュースを飲むために冷蔵庫を開けた。暗い台所に冷蔵庫の光が広がる。だがジュースのペットボトルより目を引かれるものがあった。


 ショートケーキがワンホールで置いてあった。イチゴが艶々であり、生クリームがふわふわであり、実にうまそうだ。


 しかし名札が貼ってあった。


 陽子&エミリア。


 そういえば二人の妻が共同で購入していたなぁ。彼女たちが寝る前に『ケーキは砂糖の塊だから夜に食べると太る。明日の朝に食べるから食べないように』と伝えてきたのを思い出した。


 ……でもおいしそうだなぁ。


 ……食べちゃおうっかなぁ。


 ……ホールで買ってあるんだし、ちょっとぐらい食べてもいいのではないか?


 誘惑に負けた我輩がケーキに手を伸ばしたところで――台所を覆いつくすほどの殺気が膨らんだ。


「暮田さん」「伝衛門さん」


 陽子さんとエミリアが、我輩の背後で仁王立ちしていた。陽子さんはナギナタ装備、エミリアはエルフの剣を構えていた。お、恐ろしい姿だなぁ。今までは陽子さんだけだったが、エミリアまで加わると向かうところ敵なしといった感じだ。


「す、すいませんでした…………!!」


 我輩はジャンピング土下座をして、へこへこと額を地面にこすりつけた。結婚してまだ一ヶ月ぐらいだが、二人の妻には逆らえないことを痛感していた。


 そんなどこのご家庭でも起きているようなパワーバランスはさておき、今日のところは許してもらった。だが信用を失ってしまったので、冷蔵庫を分けることになった。


 いつも使っている家族共用の大型冷蔵庫と、陽子さんとエミリアが使う小型冷蔵庫の二つだ。


 だがしかし、冷蔵庫を別々にしたことで我輩の好奇心が刺激されるだけであった。ほら、隣の芝生は青く見えるというではないか?


 ちょっと見るだけだから。ちょっとだけ。別に食べるわけじゃないから。我輩はそーっと手を伸ばして、陽子さんとエミリアの冷蔵庫を開けようとした。


 だがノブのところに張り紙があった。


『もし勝手に冷蔵庫をあけたら、あなたの大切なガンプラが一つ壊れます』


 え、マジで!? 嫌な予感がして振り向いたら、我輩のガンプラを人質にとった二人の妻がいた。


「今、あけようとしましたね?」「油断もスキもあったもんじゃないわ」


 陽子さんとエミリアは、今にもガンプラを地面に叩きつけそうであった。


「すいませんでした! なんでもしますから、どうかガンプラの命だけは! というか、V2アサルトバスターガンダムとウイングガンダムゼロはパーツがもろいから、もっとデリケートに扱ってくれ!!」

「ガンダムのことは詳しいのに、女性の食べ物事情は詳しくないんですね」


 ぐさっと刺さることをいわれてしまった。ちょっと反省である。今後は女性の食べ物事情も詳しくなっていこうかな。


 こうして一夜明けた。スズメの親子がぴーちくぱーちく騒ぐなか、陽子さんとエミリアの絶叫が響いた。


「ケーキがなくなってますっ!」「伝衛門さん! あれほどいったのに!」


 小型冷蔵庫には空いた皿だけが残っていた。皿の底にスポンジと生クリームの残骸すら残っていないあたり、おそらく舐めとったんだろう。


「いや待て。本当に我輩ではないぞ」


 まずは否認である。本当に食べていないのだから認められるはずがない。


「嘘おっしゃい」「そうやって嘘つくの、よくないわよ」


 二人はガンプラを人質にとって、我輩に迫った。


「違う! 本当に本当で食べてないのだ!」


 濡れ衣を晴らすために、我輩がひとりで真犯人を探すことになった。囮のケーキを小型冷蔵庫に設置。監視カメラを戸棚に隠して隣室で待機した。


 数分後、監視カメラに黒い影が映った。まるでアイススケートみたいにすすすーっと床を滑ると、がちゃりと冷蔵庫を開けて、むしゃむしゃとケーキを食べていく。


 我輩は黒い影に近づくと、光の魔法で照らした。


 半透明の魂だった。なんと人間霊である。どうやら事情がありそうだなぁ。


「あー、そこの幽霊、なぜ我が家のケーキを食べる?」

『ぼくは、独身のまま亡くなった甘いものが大好きなおじさんです。あなたたちが幸せに結婚生活を送るのが妬ましいので夫婦喧嘩させてやろうと思いました』

「そ、そうか……難儀な幽霊だな……」

『うらめしやー!』

「どうしたら成仏するのだ」

『うらめしくなくなったら、成仏します』

「トンチみたいなこといわないでくれ……」

『じゃあ、腹いっぱい、ケーキ食べたいです』

「よしわかった。この時間だとコンビニしか空いてないから、それでいいなら」

『大丈夫です。最近のコンビニはなんでもうまいですから』


 おじさんの幽霊を成仏させるためにコンビニケーキをおごった。手持ち無沙汰だから我輩も自分の分を買って食べた。


 幽霊は無我夢中でケーキを食べる。あれだけ我輩たち夫婦を恨めしいといっていたのに、そちらのほうは気にならないようだ。


「あー……もしかして、生前はあまり食えなかったか?」

『ええ。あまり裕福ではなくて』

「なら、近所のご家庭の団欒が憎かったか」

『……そうですね。もしご飯がたくさん食べられたら、新婚が憎くなかったかもしれません』


 ぱぁーっと発光すると、幽霊は成仏した。やはり独身であることが化けた原因ではなく、飢餓が原因だったのか……。腹が減ったままではつらかったろうなぁ。


 そんなことを考えながら自宅へ戻ると、二人の妻が待っていた。


「冷蔵庫のプリン空っぽですけど?」「その口についてるクリームはなに?」


 ……まさかこの展開は。


「待て! 我輩、犯人のかわいそうな幽霊を成仏させたばかりで、本当に食べていないぞ!」

「言い訳無用!」「おしおきするわよ!」


 久々にボコボコにされた我輩は「なんでこうなるのだー!」と絶叫した。


 ――後日談。監視カメラの映像を見せたことで、二人の誤解は解けた。それから我が家では小型冷蔵庫に甘い食べ物を一つだけ買い置きしておく習慣ができた。いつかまた空腹の幽霊が迷いこんだときに飢えを満たせるようにと。

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