第80話 ジャイアニズムを越える者

 夏といえば麦茶だ。冷蔵庫でキンキンに冷やしておいて、帰ってきたら飲む。いくらグレーターデーモンな我輩でも、暑ければ水分を失う。たとえドラゴンのファイヤーブレスに平然と耐えられたとしても、長時間浴びていたら乾燥してシワシワになってしまうわけだな。


 だから真夏日に長屋の外壁を掃除して、すっかり水分を失った我輩は、作りおきの麦茶を飲もうとした。


 だが部屋に戻るなり失敗に気づいた。


「いかん。空っぽではないか」


 麦茶ポットは、空っぽのままで流し台に放置したままであった。


 そうだ思い出した。昨晩飲み終わって空っぽになったから、あとで洗おうと思って流し台へ置いたのだが――風呂に入ったら忘れてしまったのだ。


 よりによって真夏日に外仕事をした日に忘れるなんて、運が悪すぎるだろう。


 まいったなぁ、今すぐ飲みたいのに。


 かといって、わざわざ小売店でペットボトルの麦茶を買ってくるのはもったない。せっかく水出し用のパックを買い置きしてあるんだから、それを使わないと損だろう。


 手早く容器を洗うと、すぐさま麦茶パックと水を入れた。当たり前だが入れた直後は全然色が出ていないから、冷蔵庫で冷やしながら待つしかない。


 だが何分待てばいいんだ? 三分、五分、十分か?


 冷蔵庫の前で体育座りして待っているわけだが、だんだんイライラしてきた。


 我慢できなくなって冷蔵庫を開けたが、ぜんぜん色が出ていなかった。


「おのれ麦茶パックめ、我輩を怒らせたな!」


 容器をぶんしゃか振って強引に色を出そうとしたら、蓋の隙間からどばーっと水が漏れてしまった。


 あぁ、イライラする!


 雑巾で床を拭いていると、がらりと玄関が開いた。引っ越してきたばかりのエルフのエミリアが金髪を揺らしながら手を振っていた。


「はぁーい伝衛門さん。地球には引越しの際にプレゼントを渡す習慣があるみたいだから、日用品を持ってきたわよ」


 ペットボトルの麦茶(2リットルお徳用)であった。コンビニで買ってきたばかりらしく、しっかりと冷えていて、ペットボトル容器はわずかに汗をかいていた。


 だが今あれを飲んだら、冷蔵庫の前で待ちぼうけした時間が無駄になってしまう。


 我輩は決断した。


「よし、2リットルペットボトルは冷やしておいて後で飲もう!」

「今飲めばいいじゃない。さっき外で仕事してたんだから、喉乾いてるでしょ?」

「いいや、負けた気がするから飲まない」

「なにに負けたのかしら…………」


 とにかくエミリアの麦茶は冷蔵庫で冷やした。


 するとエミリアが首をかしげた。


「伝衛門さん。いま、冷蔵庫のなかに麦茶パックの容器が見えたのだけど?」

「ああ、それの味が出るのを待っている最中なのだ」

「わけのわからないこだわりね」

「だが我輩には、わけのわかるこだわりなのだ」

「ふーん、よくわかんないけど、一緒に待ってあげる」


 がしゃーんっと戸を破壊する勢いで玄関が開くと、ナギナタを構えた鬼がやってきた。長屋の管理人である花江殿だ。本日は最初から好戦的であり、エミリアをぎろりとにらんだ。


「泥棒ネコの退治にきました」

「ちょっと待ってよ花江さん。あたし引っ越し祝いを持ってきただけよ」

「わたしは知っています。引っ越し祝いと称して自分をプレゼントする作戦ですね。薄い本で学習しました」

「薄い本ってなによ……」

「えっちな同人誌に決まっているでしょうっ! そんなこともしらないんですか、このおっぱい泥棒ネコはっ! 出演していそうなくせにっ!」


 ……真夏日に口論されると暑苦しい話題でもあるので、さっさと仲裁することにした。


「待ってくれ花江殿、エミリアは本当に引っ越し祝いの麦茶を持ってきただけだ。なにもやましいことはない」


 すると花江殿は、ナギナタを引っこめた。


「まぁそういうことなら、わたしもちょうど喉も渇いていたので、よしとしましょう」


 しかしエミリアが、さらっと毒を吐く。


「あら、あたしは伝衛門さんにプレゼントしたのであって、花江さんにはプレゼントしてないわよ」

「わたしのモノはわたしのモノ、長屋のモノもわたしのモノ」


 花江殿はジャイアンもびっくりの強奪理論を展開すると、勝手に冷蔵庫を開けて――なぜか麦茶パックの容器を一気飲みしていく!


「あぁあああああ! 我輩が楽しみにしていたのに!」


 我輩の絶叫は手遅れであり、花江殿は本当に喉が渇いていたらしく、数秒で空っぽにしてしまった。


 なんてことだ…………我輩の待ち時間が全部無駄になってしまった…………。


 エミリアが勝ち誇った。


「花江さんマイナスアピールね。あたしが買ってきたのはペットボトルで、麦茶パックのほうが伝衛門さんが楽しみにしていたやつよ」

「な、なんですって!」

「ほほほ、ざまぁみろね。これで伝衛門さんとの結婚はあたしが一歩近づいたわ」

「だったらこんなもの!」


 すっかり暴走した花江殿は、なんとエミリアが持ってきたペットボトルの麦茶を流し台へゴボゴボと捨てはじめた。


「え、えええええええ!?」


 我輩とエミリアは仰天した。花江殿が、こんなに無茶苦茶やる人物だとは知らなかった。いや片鱗はあったのだが、まさかここまでだったとは。


 花江殿は空になったペットボトルをゴミ箱へ投げ捨てると、ナギナタを構えた。


「さて暮田さん。もう二度と水出し麦茶は作らないことですね。あんなものを作ったからトラブルが発生したんですから」

「し、しかし……」

「ダメなものはダメなんですっ!」


 有無を言わせず水出し麦茶が禁止になってしまった。


 しょうがないので、我輩はウーロン茶を水出しで作ることにした。


 すると数日後、花江殿とエミリアが同時にやってきた。


「わたしの作ったやつウーロン茶がおいしいですよ」

「いいえあたしのウーロン茶よ」


 二人は自室の冷蔵庫が満杯になるほど水出しウーロン茶を作ったらしい。


「……我輩に、どうしろと」


 我輩はおろおろしていた。


「どっちがおいしいか判定してください」

「あたしのに決まってるわよね」


 二人の女性は怖い笑顔で水出しウーロン茶のフタを開いた。


 我輩は逃げることにした。命の危機を感じたからだ。


 しかし二人に尻尾を掴まれると、まるで拷問のごとく水出しウーロン茶の試飲をさせられてしまう。


 がぼがぼがぼがぼ…………く、苦しい。これっぽっちもうまくない。もうしばらく自宅での水出しの飲料は作らないことにしよう。

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