第73話 兄上、ボーナスをくれ

 地球はボーナスが支給される時期だ。しかし魔界にボーナスの概念はなかった。


 ないなら作ればいいじゃない!


 という前向きな発想を胸に秘めて我輩は魔界の城へやってきた。見事な石材の芸術品とも呼ぶべき城内を歩きながら、もしも我輩がボーナスを貰うとしていくらだろうかと皮算用する。やっぱり月給の三ヶ月分ぐらいは出るんだろう。だって二等書記官だし。高級官僚だし。


 臨時収入にワクワクしながら執務室の扉をあけると、オーダーメイドスーツでビシっと決めた兄上が万年筆を忙しそうに動かしていた。彼は手元を動かしたまま、目線だけで我輩を見るなり一言。


「帰れ」

「まだなにも言っていないのだが」

「お前がニヤニヤしているときはロクでもないことを考えているときだ」

「とんでもない。魔界に素晴らしい習慣を伝えにきたのだ。いいか兄上。地球にはボーナスという素晴らしい賃金制度があって、なんと年に二回、月給の三ヶ月分が支給され――ごふっ!!」


 兄上が我輩をぶん殴った! しかも全力で殴るものだから水平に吹っ飛ばされて芸術品みたいな城の壁をぶち抜くと、森林の木々をへし折りながらさらに飛ばされ、山の岩肌に激突して木っ端微塵に砕いて、川に墜落してようやく止まった。


 痛い、ギャグにならないほど全身が痛い。くっそー、なんて兄上だ。可愛い弟が素晴らしい賃金制度を教えてやったのに、いきなり殴るなんて。


 すっかり腹が立ったから、城に空いた穴から直接執務室に戻った。


「兄上。せめて話を最後まで聞いたらどうなのだ?」

「なら話してみろ。ただし今月のお前はぜんぜん働いていないという条件を頭に叩きこんでからだ」

「よし叩きこんだぞ。だから我輩に月給三か月分のボーナスをくれ――ごふっ!!」


 ひどい今度は蹴った! さきほどの反対側へ吹っ飛ばされた我輩はやっぱり城の壁をぶち抜くと、妖精の森を破壊しながらさらに吹き飛ばされ、渓谷の岩盤を砕いてゴルフのパターみたいに転がると――火山の火口へ落下した。


「あっつううううううううういいい!」


 実の弟を殺す気か! っていうか絶対火山に落ちるように計算して蹴ったろう!


 くっそー、兄上め。意地でもボーナス制度を作らないつもりだな。だが我輩は諦めが悪いので、もう一度城に空いた穴から執務室に戻った。


「なぜボーナス制度を認めないのだ兄上」

「そういうお前は、なんでボーナスにこだわる」

「もっと遊ぶ金がほしい」


 可愛い弟が正直に伝えたのに、兄上はとっても嫌そうな顔をした。


「……たとえボーナス制度を整備しても、貴族階級に支給するつもりはない。むしろお前が飢えた国民にボーナスを与えてこい。これも貴族の義務だ」

「断ったら?」

「もう一度殴られたいのか?」


 我輩は尻尾を巻いて執務室から逃げだすと、そのままの勢いで城を飛び出した。


 なんだなんだ、ちょっとぐらいボーナスくれてもいいではないか。ぶつぶつ文句をいいながら城下町を歩いていると、道端で遊ぶ子供たちが我輩を笑った。


「二等書記官さん、またお兄さんにぶっ飛ばされてやんの。それも二回も。ぜんぶ見てたぞ」

「むぅ……我輩ってばかっこわるいなぁ……ところで、このあたりに飢えた子供はいないか?」

「このあたりはいないんじゃない? もっと遠くの地域とかならいそうだけど」


 それもそうだな。首都に近ければ近いほど税金の再分配も滞りなく行われるし、司法も行き届くから治安だってよくなる。


 だったら首都から、もっとも遠く離れた都市へいこう。きっと飢えた子供がいるはずだ。


 我輩は翼を広げて魔界の空を飛ぶと、首都からもっとも遠く離れた地域へ移動した。


 田舎中の田舎だ。ただでさえ魔界は大自然に包まれているのに、ここは森と谷しかない。主な産業は林業と農業であり、このあたりで収穫される野菜は味も栄養も抜群と評判であった。


 近くの畑で農民が働いていたので質問した。


「作業中に失礼する。このあたりに飢えた国民はいないか?」

「たくさんいますよ。税金の負担が重いんです」

「税金が重いだと? 飢えるほどにか? すまないが帳簿を見せてくれ」


 農民に案内してもらって村長宅へ入ると、金庫に保管してあった帳簿を見せてもらった。収穫済みの野菜の価値から逆算すると、明らかに税額が多すぎた。つまり農村を管理する行政官の不正である。


 行政官を逮捕する前に、農村の自衛を考えなくてはならない。


 我輩は年老いた村長に接触した。


「村長、算術は得意か?」

「申し訳ありません、うちの村には学問が得意なものがいなくて……」

「恥じる必要はない。農業に打ちこめば打ちこむほど勉強する時間がなくなったのであろう」

「おお、わかっていただけますか」

「うむ。首都から算術の得意な人材を送りこむから、若いやつに覚えさせるといい」


 これで農村は税額の計算を自らやれるようになるだろう。もし不正が行われても早期発見が可能になるわけだ。


 さて、あとは不正を実行した行政官の逮捕だな。我輩は行政官が暮らす地方の都市部へ飛ぶと、あらゆる手続きを無視して行政官の部屋に突入した。


「げっ、二等書記官、なぜこんな田舎に!」


 オーガ族の行政官が腰を抜かした。本来は鬼みたいな顔をした強面の種族だが、この男は不正で肥えているため迫力がなくなっていた。しかも部屋は高価な絵画だとか、芸術品の壺だとか、あきらかに身分にふさわしくない豪奢な品で溢れかえっていた。


 我輩は、高価な絵画の縁を尻尾の先でなぞった。


「なぜもなにも、お前が不正で私服を肥やしていることはわかりきっているぞ。お縄についてもらおうか」

「…………あなたが二等書記官である保障がどこにもない。きっと魔法で化けた偽物であろう。成敗いたす! であえー、であえー、ここに侵入者がいるぞ!」


 どこからともなく行政官の部下たちが何百人と現れて、我輩を包囲した。全員が武装していて殺気だっている。本気で我輩を殺すつもりだ。


「バカめ、雑兵が何人集まろうと我輩の敵ではない」


 我輩は魔法で縄を生み出すと、一瞬で関係者全員を逮捕――すぐさま転送魔法で首都の裁判所へ送ってしまう。


 あとは証拠品も裁判所に送っておくと、量刑の判定が正確に行われるだろう。


 不正の証拠となれば、やはり金庫に隠すだろう。巨大で頑丈な金庫の分厚い扉に手をかけると、腕力のみで強引に剥がした。


 とんでもない量の金貨が金庫の奥で光り輝いていた。その隣には裏家業の帳簿まであった。どうやら不正で蓄財した財産を使って怪しい商売を行い、所得を倍に増やしたらしい。なんて図々しいやつだろうか。なんて図々しい、図々しい……。


 ――――ところで、不正で蓄財した金貨を裁判所へ転送しても、怪しい商売で倍に増やした分は手元に残る。


 ――――――わ、わ、我輩、商売で増えた分を盗もうなんて思ってないぞ。本当だ。本当だってば。みんな信じてくれ。


 だが我輩はボーナスをもらえない身分だ。それに悪い行政官を逮捕したんだからボーナスを貰っていいはずだ。商売で増えた分の全額とはいわないから、ちょっとだけ……ちょっとだけだから! パーフェクトグレードのガンプラと、新作のゲームと、今月の漫画を購入できるだけの額でいいから!


 がしっと何者かが我輩の肩を掴んだ。


 我輩、油の切れたロボットみたいな動きで振り向くと――やっぱり兄上がいた。


「途中まではかっこよかったのにな……我が弟よ」

「ち、ち、違うのだ兄上! 我輩本当に真面目に仕事をしていて! …………でもちょっとだけボーナスがほしいなーって――ごふっ!!」


 またぶん殴られた我輩は吹っ飛んで、気づいたら税金を水増しされた田舎の農村に倒れていた。


「二等書記官さん。お怪我は大丈夫ですか?」


 村長が水を持ってきてくれた。


「大丈夫、これは名誉の負傷だ。ところで税金だが、悪い行政官が不正に蓄財していた。もうすぐ不正の分が戻ってくるから、村も潤うだろう」

「なんと! ありがとうございます! せめてものお礼に、村で取れた野菜を持っていってください!」


 我輩は、瑞々しい野菜を山ほどプレゼントしてもらった。


 おお、鍋にしたらうまそうだ。なら、これが我輩にとってのボーナスなのかもしれない。

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