第60話 三匹の動物を追って(2)~野生の掟~

 三匹の動物を追いかけて、我輩は牧場へやってきた。夕暮れの赤い日差しが、牧草地と厩舎を照らしている。使い古した柵の向こう側に、もこもこした動物の集団が集まっていた。


 アルパカの群れだ。といっても現在追いかけているアルパカが暮らす群れではない。


「アルパカの群れにおたずねする。このあたりに三匹の動物がやってこなかったか?」


 我輩が質問すると、アルパカのボスが興味津々に近づいてきた。


「さっきまでいたぞ。魚を食べるヘンなやつだったから追い返したけど、知ってるアルパカなのか?」

「個体としては知らない。だが種族としては知っている。彼は魔界のアルパカだ。地球のアルパカと比べたら、重なる特徴は多々あるが、厳密に分類すると別の動物だ」


 住んでいる世界が違えば、食べるものも違うし、運動量も異なってくる。当然生態系だって完全に一致するわけではないのだ。


「そういうことは早くいってくれよ。あいつ、ヤバイ病気のアルパカかと思って、牧場を追い出しちゃったよ。違う種族の特徴だってわかってたら、一晩ぐらい泊めたってよかったんだ。まぁ牧場の人間たちが嫌がるかもしれないけどね」


 アルパカのボスが、ちょっとだけ後悔したように口元をぎゅっと歪めた。


「第三者の我輩がいっても気休めだが、ボスの判断は間違っていない。群れを守らなければならないからな」

「難しいよな。群れと群れの関係性はさ」

「……そうだな。頭が痛くなってくる。これからトラブルだらけだ。魔界と高山で外交しなければならない」


 魔界のアルパカが生息する地域は、特殊だった。魔界は統一されているから、高山も支配圏内には入っているのだが、とある理由から外界との交流を断っていた。


 高山に関する細かい事情は後に語るとして、なぜサルのウキ助に同行しているアルパカは地球にいるのだろうか。なにか面倒な事情が裏に潜んでいるはずだ。かといって見捨てるわけにはいかないだろう。おそらくアルパカはなにもわからずに地球へやってきてしまったはずだから。


「よくわからないけど、なんとかしてやったほうがいいんじゃないか? 人間たち、サルたちを本気で狩る気だから」


 アルパカのボスが、山の斜面を見つめた。


 厄介なことに殺気だった人間たちが牧場に集まっていた。サルとタヌキは牧場にとっては餌を奪う害獣だ。魔界のアルパカにいたっては牧場から逃げ出した個体だと勘違いしたんだろう。


 彼らは銃を持っていないみたいだから、やりすごしたほうがいい。視界に入らないように人間たちを迂回していくと、彼らの会話が聞こえた。


「今の時期だと、クマがうろうろしてるでしょうな。どうしますか?」「それでもサルとタヌキは狩っておきたいな。あと逃げ出したアルパカも捕まえておきたい」「それがですね、さっき数を数えたら、一匹もいなくなってないんですよ」「……え、じゃあ見間違い? じゃあ、無理して追わなくてもいいかなぁ、どうするかなぁ」


 どうやら人間たちは、クマに遭遇するリスクと、害獣を狩る利益を天秤にかけたようだ。そしてアルパカが逃げ出していないことに気づくと、クマに遭遇するリスクを重くみた。


「罠を増やしておこう。サルとタヌキなら引っかかるだろ」


 追跡を諦めてくれたようだ。しかし罠を“増やしておこう”という発言が気になった。いざ山の斜面を調べてみたら、意味を理解した。トラバサミが設置されていた。しかも血痕が点々と残っている。


 三匹の誰かがトラバサミにかかって出血したのである。だが人間を責めるわけにもいかなかった。彼らは彼らで牧場を守るために必死だ。もはや人間と動物の利益をかけた争いといっても過言ではないだろう。


 早く三匹に追いつかないと、今後が心配だ。我輩は急いで血痕を追った。


 ずんずんがさがさ。なにかが暴れる音が聞こえた。そちらへ向かうと、サルのウキ助が食欲で暴走したクマに追われていた。どうやら自ら囮になって、アルパカとタヌキを逃がしたようだ。勇敢なやつである。


 サルのウキ助を助けるのは簡単だ。しかし動物同士の争いならば首を突っこんではいけない。サルもクマも、食うか食われるかの野生の掟と隣り合わせだからである。


 我輩は、ハラハラドキドキしながら、ウキ助が逃げるのを見守った。まるで野生の王国を撮影したドキュメンタリー番組で、肉食動物が草食動物を狩る風景を傍観する行為に近かった。


 ウキ助は、何度かピンチを迎えたが、おしっこを撒き散らすという動物ならではの機転を利かせて、ついにクマから逃げた。


 これによって野生の掟により、一つの結論が生まれた。大型のクマが獲物を取り逃がした、ということである。


 我輩はクマと交渉することにした。


「そろそろ追いかける体力も減ったころだろう。あのサルに話があるから、しばらく邪魔しないでもらえるか?」

「バカをいえ。あいつは貴重な餌だし、おしっこまでかけていったんだぞ。許せるものか」


 クマは、おしっこをひっかけられたことで、すっかり頭に血が上っていた。


「気持ちはわかるが――」

「なにが気持ちだ邪魔すんな!」


 クマが黒々とした巨大な手を振り上げて、我輩を殴ろうとした。このまま素直に殴られてしまうと、クマの手が傷ついてしまう。グレーターデーモンの皮膚は頑丈なのだ。


 ひょいとクマの一撃を紙一重で回避。彼の手首を優しく掴んで間合いを詰めると、耳元で囁く。


「野生に介入することが無粋な自覚はある。しかしサルと会話する時間をもらえないだろうか」

「お前はなんなんだ! 勝手に人の山に入ってきて、勝手な理屈ばかりいいやがって! 食べるものがないんだよ、今年の山は! 腹が減ったんだ、おれは腹がへった! なんか食わせろ!」


 クマの腹がぐぅぐぅと鳴った。空腹で体力が削れているらしく、だんだんと動きが鈍ってきた。もしかしたら最後の力を振り絞って、サルのウキ助を追っていたのかもしれない。


「正論すぎて、我輩には、なにも言い返せない」

「だったら、今すぐ、山を出ていけ……」


 クマが疲れた顔で座りこんだところで、ぱちぱちと火の粉が爆ぜた。どこかで山火事が発生したようだ。原因は特定できないが、サルのウキ助がやらかした予感があった。


「火事、火事だぁ……」


 クマは火に怯えていた。野生動物にとって山が燃えるのは絶望の瞬間だろう。寝床も餌も焼かれて、最悪命まで焼かれてしまう。


「火の手はあちらの方角から上がった。反対側に逃げろ。山火事は我輩が消してくる」

「…………火を消してくれるなら、サルをこれ以上追わない」

「任せろ。あと、逃げる体力を回復させるために、これを食べておけ」


 我輩は転送魔法を使うと、かつてサルの群れにも与えた栗を大量に取りよせた。


「おお! ありがてぇ、ありがてぇ……」


 クマは一心不乱で栗を食べた。よっぽど腹が減っていたらしく、火が迫ってくるのにおかまいなしであった。


「クマよ、我輩はよくないことをやっている。栗のことは忘れてくれ。山火事が本来は起きないはずの事態だから、特別措置をやっているにすぎない」

「栗をくれたからには今日のことを全部、山の神様のお告げだと思っておく」


 体力を回復したクマが、火の手と反対側へ逃げたところで、我輩は翼を広げて夜空へ飛んだ。


 火災は勢いよく広がっていた。放置しておくと山の麓まで炭化してしまうだろう。場合によっては牧場まで被害に遭うかもしれない。


 火の中心には、サルとアルパカとタヌキがいた。彼らの言葉と慌て方からして、やはりサルのウキ助が火を起こして取り扱いに失敗したのだ。


 つまり山火事は我輩の責任である。自責の念にかられるが、まずは消火しなければ。


 水の魔法を使うと、炎上した木々へピンポイントに水をかぶせていく。大雨を降らせたら土砂崩れを引き起こしてしまうかもしれないので、燃えた木だけを水の皮膜で包んで、燃焼に必要な酸素を奪ったのだ。


 無事鎮火したが、黒く炭化した森林を空から見下ろして冷や汗をかいた。いつもなにげなく使っている火だが、すべてを燃やしつくす火災を引き起こすことだってあるわけだ。そんな恐ろしいものを動物が使うなんて間違っている。やはりウキ助と腹を割って話す必要があるだろう。


「もしかして……神様なのかい?」


 サルのウキ助が、おそるおそる聞いてきた。


「我輩は暮田伝衛門である」


 魔界の名乗りではなく、地球で手に入れた名前を名乗った。ウキ助に火を与えてしまったのは、地球時代の我輩がやった責任だからだ。

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