第50話 切手に秘められた物語

 普段それほど交流のない知人に地球の道案内を頼まれた。とはいっても縁がないわけではない。むしろお互いに深い歴史を持っていた。


 ブラックドラゴンである。


「すまんな。地球は詳しくないんだ」


 100メートル近い巨体で都内に入ってこられると困るので、人里離れた砂浜で合流した。磯の香りと波しぶきが爽やかである。遠くには古ぼけた灯台が見えていて、海鳥たちがくるくる旋回していた。


「まさかブラックドラゴンが地球に関心を示すとは思わなかったな。てっきり魔王殿と戦うことばっかり考えているのかと」


 なぜ個人名ではなくブラックドラゴンと種族名で呼ぶかといえば、彼は突然変異で生まれた希少種であり、他に黒い鱗を持ったドラゴンがいないため名前が必要ないからだ。


 そして種族名という看板を背負っているだけあって、強大な肉体と再生力を持っていた。魔法が錆びてしまった我輩より強いだろう。もっとも争うつもりはまったくないが。


「いくら俺だって趣味の一つぐらい持ってるんだぞ」


 ブラックドラゴンの腹部にある一枚の鱗が、パカっと戸棚みたいに開いた。そこに格納されていたのはアルバムだった。ただし彼は100メートルの巨体だから、アルバムは玄関の戸ぐらいの大きさがある。


 彼がドラゴンらしい鋭い爪の先でアルバムの表紙をめくると、無数の切手が姿を現した。魔界で流通する切手が、丁寧に保管してあった。かなりレアなやつも入っていて、魔界で初めて流通した郵便物に使われた切手まであった。マニアからすれば宝の山だろう。


「だがその巨体で切手集めが趣味だったのか……意外すぎる」


 我輩が素直に驚いたら、ブラックドラゴンは童話の朗読みたいに明朗と語りだした。


「ドラゴン族は誰もが金銀財宝を集める習性を持っているわけだが、俺は切手集めが習性だった。こいつは歴史と風土を反映する宝物だ。夜な夜なアルバムを開いては、たった一枚の印紙から物語を連想するのが楽しみでな。だが魔界の切手はあらかた集めてしまったから、地球の切手を発掘したくなった」


 まるで高級な紅茶を味わうような声音であった。よっぽど切手が好きなんだろう。


「素晴らしい趣味だが、その巨体のままでは、地球の冒険は難しいな」

「まったく。巨大生物が存在しないことが地球の面倒なところだ」


 しぶしぶといった感じで、ブラックドラゴンはヒューマンサイズに変化した。レトロな着物、丸眼鏡、チューリップハット、神経質な顔。なんだか文豪の描いた探偵っぽい見た目である。


 とにかく見た目はクリアしたので、我輩とブラックドラゴンは空を飛ぶと、レアな切手が眠るであろう地域へ移動した。


 とある地方の山奥にある洋館だった。地盤が崩れていて、鬱蒼とした木々が覆いかぶさるように倒れているから、遠目からでは黒い塊にしか見えない。地元民たちも近寄らないらしく、人間の匂いがいっさいしなかった。忘れ去られた建造物というわけだ。


「なんでブラックドラゴンは、こんな山奥に洋館があるとわかったのだ?」

「魔女のおばばが物見の水晶で探してくれた。やつは好奇心の塊だから、面白そうなら手を貸してくれる」

「おばば、本当になんでも首をつっこんでるなぁ……」


 ちょっとした宝探しの気分で、ぎぃっと両開きのドアを開くと、土と埃の匂いが詰まっていた。ネズミやクモなどの野生動物の痕跡が目立つ。エントランスホールには、大昔のイギリスの女王の肖像画が飾ってあった。


 その権力者を敬う芸術品を見たブラックドラゴンが、丸眼鏡の奥で瞳を鋭くした。


「前から疑問だったんだが、なんで二等書記官は魔王に様をつけないんだ?」

「我輩は、魔王殿と約束をした。もし魔界の王として道を誤ったら、殴ってでも正しい道に引き戻すと。だから様などとつけていたら、イザというときに殴れなくなる。しかし日常生活で敬意を表さなければ序列が壊れてしまう。そこで殿だ」

「序列の外にいる俺には理解できない感性だな」


 ブラックドラゴンはあくびをした。ヒューマンになりきれていないから、ぼぉっと黒い炎が舌みたいに出てしまった。


「ブラックドラゴンだって昔からよくわからないやつだ。勇者たちと戦争していた時代も、てっきり傍観すると思っていたのだが、普通に手を貸してくれたからな」

「勇者などという無軌道な人間が覇者になってみろ。おちおち切手集めもできなくなるだろうが。だったら芸術バカの魔王が統一したほうがマシだ」


 彼にとって切手集めとは、人生においってもっとも大事な要素なのだろう。そこまで好きならば、もうちょっとやる気を出して手伝ってやろうではないか。


 重めの体重で床板を踏み抜かないように強度を確かめながら屋内を進んでいくと、金庫を発見した。かなり古い型で、現代でたとえるなら小型冷蔵庫ぐらいの大きさだった。数字の刻まれたダイヤルを回転させて解錠するシステムだが、我輩たちはなにひとつ情報を持っていない。


「どうするブラックドラゴン? 金庫の扉を破壊することもできるが」

「よせ。力の加減を間違えたら切手が壊れる。デリケートなんだ、古い紙は」

「なら人間の鍵師でも呼ぶのか?」

「きっと洋館にヒントがあるはずだ。この書きこみを見ろ」


 金庫の扉には英語で『忠誠の先に』と書きなぐってあった。


 忠誠。エントランスに大昔のイギリスの女王の肖像画があった。スマートフォンで検索してみたら、ヴィクトリア女王という名前だった。ためしに彼女の生年月日や在籍期間でダイヤルを回したが、鍵は開かなかった。


 ヒントを求めて洋館の各部屋を調べた。すると洋館の歴史がわかってきた。第一次世界大戦以前に作られていて、家主はヴィクトリア女王が即位していた時代に日本へ赴任してきたということだった。


 赴任というわりには、誰にも知られていないところが怪しい。洋館だって今日まで忘れ去られていた。なにか秘密があるはずだ。


 さらに調べていくと地下室の存在に気づく。暗く閉ざされた空間を調べてみると、クモの巣が張った机の上に、大量の暗号が置いてあった。戦前日本の機密情報であり、どうやら本国へ送付する予定だったらしい。


 我輩は機密情報を見て、館の持ち主の肩書きを読み取った。


「イギリスが日本に送り込んだスパイだな。勇者もよく魔王軍に送り込んできた」

「こそこそとした手段は好きじゃない」

 

 ブラックドラゴンはおおあくびした。


「とにかく、これだけ情報の塊があれば、金庫の番号も発見できそうだな」

「いや、見つからないだろう。暗証番号は、もっと単純なものだ」


 どうやらブラックドラゴンには、金庫の暗証番号の検討がついたらしい。なんだか負けた気がするので、我輩は地下室の機密書類を調べまくった。


 それらは、おかしな特徴を持っていた。記録が古いヤツは真面目にスパイをやっているのに、新しくなるほど適当な仕事になるのだ。そもそもエントランスに肖像画が飾ってあるのは不可思議だ。スパイが堂々と所属国をバラしてしまっては本末転倒のはず。


 我輩が首をかしげていると、ブラックドラゴンがこんな質問をした。


「家主は肖像画の女王に忠誠を誓っていた。だがその次に即位したやつが好きになれなかったら?」


 もしやと思ってヴィクトリア女王の在任期間を調べたら、第一次世界大戦以前に亡くなっていた。つまり家主はヴィクトリア女王時代は真面目にスパイをやっていた。しかし次代の王が生まれたら、やる気を失ってしまい、バレてもかまわねぇやの精神で堂々と肖像画を飾ったわけだ。


 巨大帝国はシステムで動く。自分の役割が変わらずとも、主が代わってしまうこともありえるわけだ。


 ブラックドラゴンが、我輩の尻尾を軽く蹴った。


「お前も魔王に忠誠を誓っているが、もしあいつが倒れて別のやつが王になったら、忠誠を誓うのか?」

「統治するだけの器があるならば。しかし不適格と判断したら、グレーターデーモンの名にかけて排除する」

「ふん。最近はおとなしくしていると思っていたが、どうにもグレーターデーモン特有の暴力的な官僚気質が抜けないらしいな」


 そんな批評をされてしまうと、反応に困った。自分としては普通のことを言っただけだが、他人からすれば異常な価値観なのかもしれない。


 第三者の意見が欲しいところだ。すると洋館の家主にたいして好奇心が沸いてきた。彼は金庫になにを残したのか?


 ヴィクトリア女王の在籍期間へ家主の生年月日を加算して金庫のダイヤルを回した。


 がちんっと開いた。我輩とブラックドラゴンは顔を見合わせると、ドキドキしながら扉を開いた。


 大量の手紙が入っていた。


「切手だ!」


 ブラックドラゴンは白手袋をつけると、古びた手紙を壊さないように、慎重に調べていく。あて先はイギリス本国の自宅なのだが、郵便局で流通した記録がない。どうやら封だけして金庫へしまったようだ。


 なぜ出さない手紙を書いたのか? もう亡くなった人物だから、遠慮せずに封を開いた。


『家族に会いたい。だが任務を放棄しては家名に傷がつく。でも妻と息子たちに会いたい。帰りたい。イギリスに帰りたい』


 長いスパイ生活に疲れ果てていたようだ。望まぬ主に仕えているなら、なおのことだろう。そして彼は家族と再会するという望みを果たせぬまま、異国の地で亡くなってしまった。


「二等書記官。俺は切手だけ貰う。手紙はお前がどうにかしろ」


 ブラックドラゴンは切手の部分だけ爪の先で切り取った。


「ブラックドラゴン、もう帰るのか?」

「湿っぽい話はお前の得意分野だ。俺みたいな風来坊はいるだけ邪魔だろう」


 ブラックドラゴンは肩をすくめると、魔方陣を作って魔界へ帰ってしまった。


 我輩は残された手紙を懐へしまうと、魂の匂いをたどってイギリスへ飛んだ。家主の末裔が今も貴族をやっているのではないかと思ったのだ。


 すぐさまイギリスに到着した。古風な歴史と一世代前の近代化の匂いを残した市街地があった。ビジネスを行っている中心街だけは最新型の科学がちりばめられているが、それ以外はなんとなく変化を拒む姿勢を感じた。


 そんな街の郊外にある、とある貴族の屋敷へ入った。


「あ、悪魔だ……ついにアーマゲドンが起きて世界は滅びるのか」


 四十代ぐらいの中年男性が椅子から転げ落ちて、テーブルに置いてあったワインのグラスが床に落ちてパリンっと割れた。


「我輩はお前たちの定義した悪魔とは違う存在だ。それに今日はこれを届けにきた」


 スパイをやっていた家主の手紙を渡すと、彼の末裔である中年男性は目を丸くした。


「これは……! 曽祖父の名前ではないか。遠い異国の地で任務中に亡くなったと聞いているが……」

「この手紙が任務中の国の金庫に残されていた」

「そうか……曽祖父は、ヴィクトリア女王に熱をあげていたらしいから……」

「お前は現代の女王に忠誠を誓っているのか?」

「当然だ」

「なら現代の女王が亡くなって、次に即位したやつが愚か者だったらどうする」

「そのときになったら考える」


 シンプルな答えに、我輩は感謝した。


 今を大事に生きることが大切だ。もちろん次代の王について準備は必要だろうが、深く考えすぎるのもよくないのだ。でなければ魔王殿を信頼することができなくなってしまうから。


 基本中の基本だが、ゆえに忘れがちなのである。人間も魔族も信頼の形は一緒なのかもしれない。

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