第40話 オフ会 いやお腐会かもしれない

 インターネットヒエログリフ《某大型掲示板》によれば、オフ会は邪悪な儀式だという。だから我輩は、長屋の管理人である花江殿を尾行――じゃなかった護衛していた。なんでもネットを通じて親しくなった腐女子仲間たちと濃厚なBL談義をするために都内でオフ会をするというのだ。


 邪悪な儀式にかよわい女一人で参加するなんて危険すぎる。だから我輩は尾行――じゃなくて護衛しているわけだ。すれ違う人間はもちろんのこと、視線にすら気を配っていく。


 近くの電柱から激烈な視線を感じた――【D&G】の社長である伝助が隠れていた。いつもは爽やかな顔が、今日は邪まな心で歪んでいた。やつも尾行――じゃなくて護衛なわけか。


 伝助もこちらの存在に気づいたらしく目が合った。ぱちりと静電気みたいに火花が散る。


「こら伝助。尾行なんて趣味が悪いぞ」

「暮田さんこそストーキングなんて犯罪だよ」

「いつも忙しい社長がなんで日中から外出できるのだ?」

「そういう暮田さんはいつも日中から外出してるじゃないか」

「我輩は花江殿と契約したグレーターデーモンゆえ、本来の業務から外されている」

「あーあー、聞こえない。悪魔とか契約とか迷信のたぐいは信じない」


 この男、まだ魔界を信じないつもりか。さてどうやってお邪魔虫を追い払おうか考えていたら、ぶるる、ぶるると伝助の懐でスマートフォンが振動した。着信である。


「伝助。さっさと電話にでたらどうだ?」

「うるさい」

「会社が困っているぞ。無視したらまた経営が傾くかもな」

「ちっ…………もしもし、え、今日の商談? 君に任せるよ。うんうん、ひたすら強気でいこう。限度額は青天井。とにかく強気で…………よし電話終了」

「……いいのかその指示」

「大事なことは花江さんが悪い虫に絡まれないように守ることだよ」

「悪い虫とはお前のことだな」

「またまた、暮田さんのことでしょう?」


 まるで刃物で刺しあうみたいに視線が交差した。なんだこいつは邪魔ばっかりして。魔法でぶっ飛ばしてやろうか。


 なんて考えていたら、散歩中の犬が我輩たちに興味津々となり、ワンワンワンっと元気に吠えた――鳴き声が気になったのか、ちらっと花江殿が振り返った!


 危ない! 我輩と伝助は口を閉じて背景と一体化した……だが犬はわんわか吠え続ける。そればかりか我輩の足にしゃーっとおしっこマーキング! まさか犬め巨体の我輩を新手の電柱だと思っているのか!?


 しかも伝助は声が漏れないように笑いをこらえていた。ムカツクやつだ。天罰が下ればいいのにと思っていたら伝助の足にもしゃーっとおしっこマーキング! やったざまぁみろ。


 犬の飼い主がぺこぺこと謝ってきたのだが、大げさに反応すると花江殿に気づかれてしまうので、気にせず散歩の続きを楽しむようにと遠ざけた。


 なんてバカなことをやっているうちに、周囲の風景が浅草になってきた。木製家屋の目立つ下町である。といってもちょっと視線を上に向ければ高層ビルや大型店舗が見えてしまうので風情も台無しだが。


 そんな昔と今が交差する下町で、オフ会のメンバーたちが合流した。


 腐女子の集まりだけあって全員女性だ。男性がいないことは幸運だが、女性だけの集まりだからこそ悪い虫がよってくるかもしれない。伝助みたいなやつが。


 ――ということをおそらく伝助も考えているんだろう。とても悪い顔をしていた。


 すると腐女子たちが「ねぇなんかおしっこ臭くない?」「それも犬のやつ」とひそひそ話していた。まさかと思って我輩と伝助は自分の足をかいだ。


 臭いっ! うわっ、あの犬のマーキング強烈すぎるだろう!


 慌てて臭いを消そうと奮闘していたら、とんとんっと肩を叩かれた。


「お二人とも、なにをやっているんですか?」


 ついに、花江殿に気づかれてしまった。いつでもぶん殴れるようにナギナタまで構えているではないか。ちゃんと言い訳しないと物理的なダメージだけではなく、不信感という精神的ダメージまでぶち込まれてしまう。


「じ、実は伝助に下町を案内してもらっていてな。いやー下町の犬は活発だなぁ。いきなりマーキングしてくるものだから?」


 伝助にアイコンタクト――適当に話をあわせないと尾行していたことがバレる。


「そ、そうなんだよ花江さん。僕と暮田さんで下町観光さ。やっぱり東京の下町は風情があっていいねぇ。犬がマーキングしてくるところなんか最高だよ」


 伝助が脂汗を流しながら適当に話をあわせた。ナイス連携プレイだ。


「だったらなるべく離れて観光してください。今日は男子禁制の集まりなので」


 花江殿はナギナタをしまうと、オフ会に戻っていった。


 ふー間一髪。しかしどうしたものか。一度尾行に気づかれてしまうと、継続するのは難しくなってくる。それに犬のマーキングが強烈だから一時撤退せざるをえなかった。


 我輩と伝助は下町の銭湯で犬のおしっこを洗い流した。


「大丈夫かなぁ、花江さん」


 湯上りの伝助が、コーヒー牛乳を飲みながらぼやいた。


「男子禁制といっていたし、大丈夫なのではないか」

「もし僕が魔法を使えたら、遠くから彼女を見守るのに」

「…………あれ、なんで我輩は魔法を使っていないのか?」


 すっかり忘れていた。遠見の魔法を使えばいいではないか。花江殿がオフ会に出るというので軽くパニックを起こして、魔法を使えることを忘れていた。


 かちりと遠見の魔法を起動したら、オフ会メンバーが浅草寺を観光する映像が脳内に映った。浅草寺は日本有数の観光スポットであり、雷門が有名だろう。本日も国内外問わず観光客たちでぎっしりであった。


「暮田さん。僕にも見せてよ」

「オカルトは信じないんじゃなかったのか」

「今日だけ信じる」

「都合のいいやつめ」


 しょうがないので遠見の魔法を伝助にも見せてやったところで、オフ会メンバーがいきなり外国人風の男に話しかけられた! いかにも女癖の悪そうな白人である!


「暮田さん、これナンパかもしれない!」

「なんだと! おのれ日本人女性は簡単に落とせると思っているわけか! 許せん!」


 我輩と伝助はびゅーんっと浅草寺へ向かい、ナンパ野郎を成敗した! ぼっこぼこのぼっこぼこである! これぞ天罰、我らはヒーロー!


「花江殿! 無事か!」「花江さん、怪我はありませんか!」


 だが花江殿がナギナタを構えてぷるぷる震えていた。


「なんで普通に道をたずねてきた人をぶっとばしちゃったんですか?」


 はい、勘違いでした。


 我輩と伝助は尾行していたことがバレて、ナギナタでぼっこぼこのぼっこぼこにされたのち、オフ会メンバーたち――いやお腐会メンバーたちのたくましい妄想力によって【悪魔とナルシスト】というタイトルでBL同人誌にされてしまう刑罰を受けた……。


 ――ちなみに電話越しに適当な指示を出した伝助の会社だが、やっぱり大赤字になったという。

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