第39話 金属加工が得意なスライムは宇宙飛行士の夢をみるのか?

 今日も魔界から友人がやってきたのだが、ちょっとした事情があって来訪時間を夜にしてもらった。


「ぶくぶくぶく……どうもおひさしぶりでーす」


 スライムのスラスケ殿である。スライムはスライムでもドラクエみたいなファンシーなやつじゃなくて、触れたものを溶かすアメーバだ。4リットルぐらいの青い液体がぐちょーっと平面に伸びて、金平糖みたいな目玉が浮いていた。液体が発する匂いはパイナップルそっくりである。ちょっとおいしそう。


「なぜスラスケ殿は地球へ?」

「ぶくぶくぶく……せっかくの長期休みなので、地球の金属を食べたいんでーす」


 スラスケ殿は金属加工のスペシャリストだ。彼の液体は金属の分解に特化しているため、伝説の魔法金属だろうと加工しやすいように溶かしてくれる。だからこそ夜間に来訪してもらった。人間が触れると火傷するし、金属を分解するとき毒ガスが発生するからだ。もちろん我輩はノーダメージ。


「まさか地球にきてまで仕事の勉強を?」

「ぶくぶくぶく……金属加工は知識の蓄積が必要不可欠なのでーす。加工の難しい金属は食べるだけでは溶けてくれないこともありまーす」

「なんと天晴れな。ではまず身近なやつからいってみようか」


 お財布から一円玉を取り出した。アルミニウムである。ぽいっとスラスケ殿に投擲すれば、じゅーっと一瞬で溶けた。


「ぶくぶくぶく……アルミニウムはすきっと喉越し爽やかですーね。もっと珍しい金属はありませんーか?」

「もっとか……これとかどうだろうか」


 古くなった携帯電話を丸ごと投擲した。希少金属の塊である。さすがに一瞬では溶けなくて、まるで難しい数式を解いていくように、じわじわと原型が失われていく。


「ぶくぶくぶく……たくさんレアメタルが含まれていましたーね。勉強になりまーす。もしよければ科学の最先端な現場で使われたやつを欲しまーす。宇宙船とか」

「経験も味に含まれるというわけか」

「ぶくぶくぶく……いかにもそうでーす」


 しかし宇宙船のパーツは入手困難だろう。使用済みのスペースシャトルは貴重な実験の材料になるだろうし、未知の微生物が付着していたときに備えて隔離してあるだろうし。


 我輩が困っていると、スラスケ殿がまるであわてたように泡を増やした。


「ぶくぶくぶく……いえ、無理にとはいいませんーよ。手に入らないならあとは普通に観光したいでーす」

「すまないな。宇宙船は無理だ。ちなみにどこを観光したいのだ?」

「ぶくぶくぶく……種子島宇宙センターがいいでーす」

「宇宙が好きなのか?」

「ぶくぶくぶく……いつか隕石を食べてみたいんでーす」


 スライムらしいロマンチックな夢であった。いつか魔界で宇宙船を作るときがきたら、スラスケ殿のような夢を持った勤勉家が活躍するのだろう。種子島宇宙センターでの経験も、土台になるはずだ。


 遠出するためにスライムの持ち運びに使う透明な容器にスラスケ殿を流しこむ。まるで青いゼリーである。こいつを両手で持つと、翼を広げて東京の夜へ飛び上がった。


 蛍光灯、自動車、東京スカイツリー、タンカー、すべて科学で光っていた。人類はここまで進歩するものなのか。花江殿に召喚された当初、発光するものすべてが魔法に見えたのも、無理はないだろう。


 魔界もいつか科学が発展するんだろうか。しかし便利な魔法や強靭な肉体があるから、ゆるやかな歩みだと思う。おそらく生命が進化するのは、不便を感じて乗り越えるときだろうから。


 そんなことを考えながら、南西へ飛んでいく。種子島宇宙センターは鹿児島にあった。我輩の飛行スピードなら数十分だろう。


 スラスケ殿が金平糖みたいな目玉を容器の下部へ移動させて、地表を見つめた。


「ぶくぶくぶく……なぜ地球の人々は宇宙で暮らさないのでーす? これだけ科学が発展しているのーに」

「予算の問題もあるだろうし、思った以上に宇宙空間が過酷だったのだろう」

「ぶくぶくぶく……スライム用の宇宙服は作ってもらえますかーね。我々モロに液体なので宇宙空間に弱いのでーす」

「魔王殿が納得すれば作ってもらえるだろう」

「ぶくぶくぶく……魔王様と対面すると考えるだけで怖くて怖くて蒸発しそうになりまーす」

「そのときは我輩がなんとかするさ」

「ぶくぶくぶく……ありがとうございまーす。そのときは二等書記官さんも、一緒に宇宙へいきましょーね」

「だが宇宙には空気がないらしいな。とても寒いと聞くぞ」

「ぶくぶくぶく……グレーターデーモン族なら余裕で耐えられますーよ。魔法使えますーし」

「我輩が宇宙にか。ふむ。面白そうだ」


 夢を語ったところで、種子島宇宙センターへ到着した。いまは発射計画がないのでスペースシャトルが地表に出ていない。空白の打ち上げ台は出番を待って、夜空に向かって拳を突き上げている状態だ。


 容器を逆さにして、ばしゃっとスラスケ殿を外気へさらした。


「ぶくぶくぶく……あぁ、敷地の石ころから薬品の香りと化合物の味がしまーす。ここは本当にすばらしい場所でーす」

「何度も打ち上げをやればロケットエンジンの燃料が染みつくだろうな。人間にとっては有害なのだろうが」

「ぶくぶくぶく……我々にとっては、栄養の塊ですーね。肉体にも知識にーも」


 スラスケ殿は敷地の石ころや草木を分解して、知識を飲み込んでいく。しかし最終的には宇宙科学技術館をじっと見つめていた。宇宙関連の博物館である。ならばスペースシャトルに直結する展示物が飾られているだろう。


 しかし夜間だから無断で入るわけにはいかないし、そもそもスライムが入って大丈夫なのかわからなかった。


 ――からんっとなにかが落ちた。


 まさかのスペースシャトルの外装のかけらである。


「オレも宇宙に興味があるんだ。なんでバカみたいに広いんだろうってな」


 なんと魔王殿がコウモリの姿で我輩の肩に着地した。どうやら博物館に忍びこむために変化したようだ。


 我輩はコウモリな魔王殿をたしなめた。


「魔王殿。まさか盗んできたんですか」

「そこのスライムが欲しがってたからな」

「しかし盗みはいけません」

「ショーケースの隅っこにかけらが落ちてたんだ。経年劣化で本体から落ちたやつだろ。どうせ職員が掃除するとき捨てるって」

「まさか魔王殿から経年劣化なんて難しい単語が聞けるなんて……」

「おいコラ。いくらオレでもそこまでバカじゃないぞ」


 ちなみにスラスケ殿は、スペースシャトルのかけらの前で、お預けを食らった犬みたいにじーっと待っていた。盗品だから食べるのを躊躇しているのだ。さすがに紳士である。


 だから我輩が一声かけた。


「スラスケ殿。食べていいぞ。我輩も透視の魔法で博物館を調べたが、展示物に壊された形跡がない。本当に経年劣化で落っこちたやつだ」


 待っていましたといわんばかりに、スラスケ殿はスペースシャトルのかけらをぐわっと包みこみ、ゆっくり味わうように溶かしていく。


「ぶくぶくぶく……あぁ、これが宇宙ですーか。広大ですーね。科学者たちが知識を総動員して立ち向かっても、手も足もでませんーね。いつかは魔界でも挑戦したいですーね」


 ぽんっと魔王殿が変化を解いて、いつもの顔を隠した人型に戻ると、スラスケ殿を見下ろした。


「おいスライム。宇宙へいってみたいのか?」

「ぶくぶくぶく……は、はい」


 スラスケ殿の金平糖みたいな目玉が、砂粒ぐらいのサイズに萎縮した。魔王殿が怖くて震えているのだ。


「あそこ、広いばっかりでなんにもないんだぞ。それでもいってみたいのか?」

「ぶくぶくぶく……も、もしかして宇宙へ行くのは悪いことなんでしょうーか……?」

「そうじゃない。二等書記官の魔法は錆びてるみたいだから、特別にオレが連れていってやる」


 いきなり魔王殿は魔力の泡で我輩とスラスケ殿を包みこむと、びゅーーーーーんっと重力に逆らって飛び上がり、一秒もかからずに大気圏の外へ出てしまった。すぐそばをスペースデブリが流れて、どこかの国の衛星が太陽の光を反射してキラキラ光っていた。本当に宇宙空間であった。


 さすがに魔王と名乗るだけあって、とんでもない力だ。人間たちが重力を振り切るためにどれだけ苦労したと思っているのか。空気のない空間で生存するためにどれだけ知恵を振り絞ったと思っているのか。


 きっと魔王殿にとって科学は小細工なんだろう。強靭な肉体と便利な魔法さえあればすべてこなせてしまうから。


「どうだスライム。夢はかなったか?」


 魔王殿は、喧嘩の強さを自慢するガキ大将みたいな調子だった。というか魔力の凄まじさを自慢したかったけだろう。単純な男である。


 だがスラスケ殿も、ある意味で負けていなかった。


「ぶくぶくぶく……恐れおおくも、自分の力で宇宙へいくのが夢でーす」

「なんだぁ? スライムが自力で空を飛ぶのか?」

「ぶくぶくぶく……宇宙船を作って飛ぶんでーす」

「難しいこと考えてんだな。ちなみに難しい陳情があったら全部一等書記官に話せ。予算がどうとか権利がどうとか全部あいつがどうにかする。オレには難しくてさっぱりわからん」


 魔界が平和になったのは、このバカなのか賢いのかよくわからない男が統治するようになってからだった。もしかしたらバカなところがあるから平和なのかもしれない。完璧な人物が統治したら、不完全な生命を迫害するだろうから。


 ――こうしてスラスケ殿を魔界へ見送り、魔王殿が城へ戻って、我輩も長屋へ帰った。


「暮田さん。こんな夜遅くまでどこいってたんですか?」


 花江殿が管理人室から出てきた。黒い髪がぺたんっとカチューシャみたいにへこんでいるのは、ヘッドフォンを装着してゲームをしていたからだろう。おそらく音声を聞かれたくない乙女ゲームである。宇宙から乙女ゲーム。日常生活に戻ったことを実感して、少しほっとした。


「ちょっと宇宙へ」


 我輩は空で瞬く星の海を指差した。


「そういえば開発中のVRゲームで宇宙空間を体験するものがありましたね。秋葉原で試作機が動いてるとか」

「まぁ、そんなところだ」

「でも人類って宇宙にいってどうするんでしょうか。わたし、ハワイか沖縄ならいってみたいです」


 夢と現実の高低差は、人それぞれということなんだろう。

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