第26話 柴犬の花子

 迷い犬探しています。よくあるポスターで、電柱に貼ってあることが多い。無事に迷い犬が見つかって剥がされるポスターもあるだろうし、発見されないまま風化していくポスターもあるだろう。


『柴犬の花子。六歳メス。耳が垂れていて、幼いころの事故で尻尾が短くなっている。なお人懐っこいので、名前を呼ぶと尻尾を振る』


 我輩は、ためしに「花子」と名前を呼んでみた。


「わんわんっ」


 尻尾を振っていた。やはり目の前の柴犬は迷子の花子であった。ポスターに記載してある連絡先に電話してみたのだが、お使いの電話番号は現在使われておりません、と自動メッセージが流れた。ちなみに市外局番からして大阪在住のはずだ。引っ越してしまったんだろうか。


「花子。お前は、なんでこんなとてつもない距離を冒険したのだ?」

「わふ」

「ふーむ、我輩、動物と会話する能力はないのでなぁ。無機物を操作する魔法なら得意なのだが」


 魔界に帰れば動物と会話する能力を持った知人がたくさんいるが、そんなことより飼い主のところへ帰してやるほうが先決だろう。


 どうやって飼い主を探したものかと悩んでいたら、ファンファンファンっとパトカーがやってきた。がちゃっとドアが開いて、見慣れた警察官が降りた。


「久々だな左翼の過激派。まさか犬泥棒をやるなんて思わなかったぞ」


 我輩を何度も誤認逮捕した――いや一部我輩が悪いこともあったのだが――とにかく警察官だ。丸顔の団子鼻でアンパンみたいな顔をしていた。人間の皮膚をイースト菌でふっくら仕上げたら彼になるだろう。


「本当に久々だな、地球の衛兵こと警察官。我輩は迷い犬を発見して飼い主に連絡しようと思っていたところで、盗んだわけではないぞ」

「犬泥棒はみんな同じことをいうんだ」

「お前も毎回同じことをいってるな」


 なお冤罪であることは調べればすぐにわかった。丸顔の警察官は肩をすくめて謝ってきた。


「悪かった。お前は風貌が不審人物だからつい疑っちゃうんだよ」

「その仕事姿勢は、逮捕権を持った公務員として問題ではないのか?」

「細かいことはどうでもいい。大事なことは迷子の犬だ」

「同意だな。警察の力で飼い主を探してくれたまえ」

「実はもう調べたんだけどさぁ……飼い主、老夫婦だったんだけど、病気で亡くなってたんだよ」


 なるほど。ポスターを貼ってから花子が発見されるまでの期間で、亡くなってしまったのか。だから電話番号が消えてしまった。世知辛い話である。


「なら花子はどうなる?」

「遺族にも連絡したんだけど、犬を飼う気はないっていうから、お前が飼えばいいさ。動物を通じて心がやわらかくなれば、左翼の過激派も脱却できるだろうし」


 理由はめちゃくちゃだが、とにかく花子を長屋へ連れ帰った。


 わしゃわしゃとタオルで短毛の体を拭いてやって、水と餌を食わせたところで、非常にまずい点に気づいた。


 長屋〈霧雨〉の禁止事項。動物を飼うのは禁止。花子はまごうことなき動物である。

 

 ふと視線に気づいて振り返ると――花江殿が、我輩の部屋の戸をわずかにあけて、じーっとのぞいていた。慌てて花子に沈黙の魔法をかけて鳴き声を封印してしまうと、こたつに隠した。


「は、花江殿。我輩になにか用件が?」

「暮田さん。獣くさくないですか? 部屋の外まで臭いますよ」


 まずい。花子が臭っているのだ。ずっと迷い犬をやっていたから野生たっぷりの臭いになっていた。


「失礼した。我輩が、かれこれ一週間ぐらいお風呂に入っていないからだな」

「げっ……今すぐ入ってくださいっ! 不衛生なのはいけませんっ!」


 花江殿は鼻をつまんで、管理人室へ逃げ帰っていった。


 まるで我輩が不潔な生活習慣を持っているかのような印象を持たれてしまったが、花子の命は守れたからよしとしよう。だが隠したまま犬を育てるのは難しいだろう。犬は吠えるし餌を食べるし糞だってする。


 現実的に考えるなら、他の飼い主を探したほうがいいのかもしれない。

 

 しかし花子が、つぶらな瞳で、我輩を見つめていた。

 

 あぁかわいい。なんてかわいいのだ。この子を他の誰かに渡すなんて無理だ。自分の手で育てたい。

 

 しかし長屋は動物禁止。


「はぁ……なぁ花子。なんでお前は大阪から東京まで冒険してきたのだ? 我輩に会いにきたのか?」


 花子は名前を呼ばれて嬉しいのか、ぶんぶんっと尻尾を振るばかり。そろそろ魔界の友人に頼んで犬の言葉を翻訳してもらおうかと思ったところで、とつぜん花江殿が入ってきた。


「ごめんなさい暮田さん。お風呂騒動のせいで回覧板渡すの忘れてましたよ」

「うわああああ! ノックぐらいしてくれ!」

「あら、なにか問題ありましたか?」

 

 目の前で花子が尻尾を振っているのに、花江殿は怒らない。それどころか関心を持っていない。まったく花子に目線を合わせないのだ。様子がおかしい。


 我輩は探りを入れることにした。


「いや、長屋に犬がいたら、困るかなぁーと」

「当たり前です。うちの長屋は動物飼うの禁止ですからね」

「……見えてないのか?」

「はい?」


 なんと、花江殿には花子が見えていなかった。


 だが丸顔の警察官には見えていたはずだ。


 誰かに幻惑系の魔法をかけられた気配もない。グレーターデーモンである我輩が、催眠や幻覚などの敵対行動を取られて気づかないはずもない。


 真相を確かめるべく、花子を抱きかかえて、丸顔の警察官が勤務する交番へいった。


「え、俺と過激派以外には迷い犬が見えてないって?」


 丸顔の警察官は、出前のソバを食べる手を止めた。


 ちなみに、同じ交番に勤務する他の警察官たちも、やはり花子が見えていなかった。


 だんだんオカルトの臭いがしてきたところで、丸顔の警察官が駐車場のパトカーを見た。


「……そういえば俺がお前を逮捕しにいったの、胸騒ぎがしたからなんだよ」

 

 もしかしたら、花子が大阪から東京まで冒険したことに意味があるのかもしれない。我輩と丸顔の警察官にだけ見えているのは。


「いつもの警察官、お前の名前は?」

「間島。間島純一」

「よし間島。一緒に大阪へいこう。亡くなった飼い主夫婦を調べたほうがいい」


 さっそく我輩は間島を背中に乗せて、花子を胸に抱いたまま空を飛ぼうとした。だが花子がわうわうと暴れて嫌がった。それからパトカーに向かって数回吠える。どうやら車で移動したいらしい。もしかしたら犬は空の旅が怖いのかもしれない。


 丸顔の間島も明日は非番ということなので、パトカーで大阪へ向かうことになった。しばらく国道を走ったところで、また花子が吠えた。電柱だ。なんと花子を探す迷い犬ポスターが貼ってあった。どうしてほしいのだろうか? ためしにポスターをピリっと剥がしたら、花子が我輩の手の甲をぺろっと舐めた。


 どうやら自分を探すポスターを剥がしてほしいらしい。


「間島。花子のポスターの位置、把握してるか?」

「あー……実はパトロールやってる警官なら、地元の迷い犬ポスターの位置を把握してるんだよ。たとえ違法な位置に張ってあっても、権利者からクレームが入らないなら見て見ぬフリをしてる」

「なるほど……では花子のやつを剥がしながら大阪へ向かうか」

 

 ポスターの数だが、東京近隣は少なかった。だが大阪へ近づくほど増えていく。


 パトカーの警察無線で、各地域のパトロール警官たちに花子の迷い犬ポスターの位置を教えてもらって、きっちり残さず剥がしていく。


 ポスターを剥がした位置を地図に記していくと、一筆書きになった。これは飼い主の亡くなった老夫婦が、生前に大阪から東京に向かって貼っていった軌跡なのである。かなりの枚数が張られていた。ずっと花子の帰りを待ちわびていたんだろう。


 ざっと二百枚ほどポスターを回収したところで、大阪へついた。すっかり夜が更けていた。もうすぐ日付も変わるだろう。大阪は笑いと人情の町なんていわれるが、ネオンに照らされた夜景からもハレの情緒を感じた。


 いきなり花子が盛大に吠えた。方角を示しているようだ。そちらへ向かって移動していくと、高速道路の高架下だった。だんだんと花子の吠え方がせつないものに変わっていく。


 パトカーを降りて茂みに近づくと、なんと花子の遺体が横たわっていた。


 なら我輩が抱いているのは動物霊か……実をいうと、途中からそんな気がしていたのだ。


「つまり動物霊だと認識できる我輩と、警察無線でポスターの位置を調べられる間島の前にだけあらわれたのだな、花子は」


 花子は満足したらしく、ふわーっと半透明になると、お迎えにやってきた老夫婦の幽霊と一緒に昇天していく。


 老夫婦がぺこりとお辞儀した。どうやら花子の迷い犬ポスターを剥がしたことを感謝しているらしい。花子も亡くなったことがわかっているのだから、迷い犬探していますのポスターが残ったままでは、成仏できなかったのかもしれない。


 我輩と間島は、いつまでも大阪の夜空を見上げていた。

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