第3話 日本人の宗教観?(3)

 では次に仏教である。


 そもそも、初期仏教はネパールの世界観にある「輪廻」と「解脱」という考えに基づいている。つまり人は生まれながらにして、何らかの課題や問題に一生を通じて苦しむことになる。そして、生まれ変わった(輪廻転生)したとしても、人生の苦しみから逃れる事が出来ない。そのループから脱出する、すなわち解脱することが、仏教の初期目的である。


 その目的の為に、いろいろな修行をして、人間として高まっていくというのが目標となるわけである。つまり、神がどんな人でも極楽に連れて行ってくれるよ、という現代のようにお気楽極楽なものでは本来ないのである。


 だが、そのような性質のものであったとしても、仏教の日本人への親和性は比較的高いと考えられる。それはなぜかというと、仏教が、神道同様、現世の問題を現世で解決する為のものと捉える事が出来るからである。


 仏教は、前述の「修行」の方法を考えていく段階で、いろいろな既存宗教の「だめな例」や「極端過ぎる例」も学び、一つの体系を作り上げた。その過程で、G.ポリアの著書「いかにして問題を解くか」にあるような、体系的な物事の考え方というものを、仏教は知らずのうちに、たくさん行ってきた。そもそも教えや、存在自体が学問的要素を多分に有しているのである。


 このことを裏付ける内容として、釈迦が仏教をいかにして開祖するのに至ったのかを考えると、仏教に、学問的な要素があることを納得できるであろう、一つの状況が浮かびあがってくる。


 元々、釈迦は地方豪族(ラージャ)の生まれで、将来を期待されてふんだんに教育も受け、今の一般常識で照らし合わせたとしても、何不自由のない生活をしていた。だが、何不自由なく何不自由なく高等教育を手に入れ、何不自由なく妻を娶っても、自分の歩みたいと考える人生を歩むことが出来なければ、それは「思い通りにならないこと」であり、釈迦にとっての、この世の苦しみ、悩みの根源であった。その上、人間であるからして、等しく老いも、病も、死も訪れる訳である。


 そんな折、29歳の時に家を出て、この問題にどういう解決方法が存在するのかを捜す旅──すなわち、彼にとっては念願の「出家」を行ったのである。この手法たるや、学生が先生に師事するというより、半ば「体当たり取材」に近いものを感じるのであるが気のせいだろうか。


 まず、釈迦は出家した後、バッカバという仙人を訪れ、苦行を観察した。しかし、仙人は「死後に天上に生まれ変わる」ことを最終的な目標としていた。つまり、天上界での生命が尽きれば、また輪廻に戻ってくると釈迦は考えた。


 次に、アーラーラ・カーラーマという思想家の元を訪れた。釈迦は彼から、坐禅によって自我意識を消失させる方法を習った。いわゆる空無辺処(あるいは無所有処)という境地である。これが最高の悟りであるとアーラーラ師は思い込んでいるが、人の煩悩をこれでは救えないと釈迦は考えた。


 最後にウッダカ・ラーマプッタという仙人を訪れる。この人も坐禅の達人。非想非非想処定という坐禅法を釈迦に教える。人の煩悩すらも届かないところまで自我を消失させる、真の坐禅と考えたのだろうが、これもまた釈迦にとって、真の悟りを得る道ではないと覚った。要は、何にせよただの禅という自我消失のためのキーテクノロジーに頼っているだけではないか、とでも考えたのだろうか。


 まぁ、斯くして二人の仙人より、高度な瞑想法を会得するわけであるが、ここでさらに彼は体当たり取材を敢行、旧来の「バラモン教」流の苦行を行う。しかも5人の修行僧を従えて、である。


 当時のバラモン教の苦行はかなりサイケなものであり、不眠断食はもちろん、片足立ち、逆さ立ち、逆さ宙づり、川や池に潜って長時間息を止める、炎天下の坐禅、凍った川での沐浴……何かの罰ゲームかと思うぐらいの内容が並ぶ。肉体を徹底的にいじめ抜くことで、奇跡を起こす超人的な能力が身につく──なんか今ライフハックという声が聞こえただろうか。気のせいだと思いたい。


 まぁ、そんなことをしていれば当然死の直前どころか、本当に命を落とす人もたくさんいる。幸い釈迦はそんなことにはならなかったが、出家してから6年も経つのに、悟りなんか開けやしない。つまり悟りを開くという上で、苦行という修行法が無益ではないかと気付くわけである。


 その後、彼は乳粥を貰ったりしてひとしきり体力を回復した後、ある川の西岸にある菩提樹の下にやってきて、岩の上に座って、瞑想に入り、そこで悟りの境地に達するのである。ただの苦行・禅ジャーナリストという立場から、思想家・釈迦として独り立ちした瞬間である。


 この体当たり具合、いかがだろうか。日本人には、そもそも一人の人間として親近感を持つタイプの人間ではなかろうか。


 最後に、冒頭で上げたポリア流の問題の整理を行ってみる。ポリアは著書「いかにして問題を解くか」の中で以下の4つのことを、問題を解くための必要なことだとしている。


 1.問題を理解しなければならない。

   …人生についての悩みの根源が何であるかを釈迦は持ち前の学力で

    理解していた。

 2.データと未知のものとの関連を見つけなければならない。

    関連がすぐにわからなければ補助問題を考えなければならない。

   …既存の方法があることもわかっていたが、実践しに行くことが

    出来なかった為無知であった。事前に相当リサーチはしたものの、

    出家への思いを募らせていた。

 3.計画を実行せよ

   …体当たり取材、苦行、瞑想、そして悟りを開く。

    その上でさらなる境地について、検討、実践を重ねる。

 4.えられた答えを検討せよ

   …弟子とともに修行し、入滅。


 通常4.の状況では、考察をして、それを体系化してまとめるという作業が発生するわけであるが、彼──釈迦はそのようにしなかった。なぜだろうか? その理由は簡単で、バッターで言うところのイチローになっている事を、釈迦自身が理解していたからである。バットコントロールの奥義について、たとえ文字で説明しても、他人がそれを呼んで会得できるかというと、それは無理難題である。それと同じように、悟りを開くに至った境地を文字の形に残す事は、ほぼ不可能であると認知していたからである。


 だが、弟子の中にはそれをメモにのこしているひとがいて、そして、それをおのおのが釈迦の入滅後、伝え始めた。それが今に伝わる仏教の姿である。最終的にこの問題はどのように解けたのだろうか。その一つの解として、仏陀入滅より100年あまりが経過し、十二因縁という考え方が誕生したときの内容をお伝えする。


──人々は、輪廻によって生死を繰り返し、老いたり死んだりすることによる苦悩を受ける。そして、死が訪れる原因は、そもそも現在生存しているからであり、その生存の原因をさらに探れば、執着、欲望、感受、感触、感覚の機能、心と物、精神活動、生活活動が見いだされ、それらの最初の原因は、「」(無明)にある。

 つまり、人間は根本的な無知によって、生命活動の低下が徐々に生じて、あらゆる苦悩が生じるため、それを滅すれば、あらゆる苦悩が滅する──


 この様な背景から、「お金がない家の子はお寺に預けられていた」「読み書きそろばんのために寺子屋にいかせていた」ということは、仏教上のミッションとして考えた場合も、そもそも理にかなっていることがわかるだろう。根本的無知を滅する目的なのである。そしてそれは現世の問題を、現世で解決する力になるだけでなく、将来の解脱にも寄与するのである、と解いているわけである。

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厨川和真の日々是日記 厨川 和真 @lunark

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