第2話


「会議、お疲れさまでした。今日は特に長かったですよね。部長のイビリ。でも、先輩本当に字、汚いですよね? ノートとか後で読み返すの困らなかったですか?」

 地獄の会議から解放され、ボロ雑巾のような精神状態で席に着くと、不幸にも自分の部下になってしまった『佐々木 百合』に声を掛けられた。言葉とは裏腹に、メガネの奥に除く瞳には一切の悪意が無く、純粋な疑問と好奇心が浮かぶ。

 彼女にとっては不幸かもしれないが、自分にとっては、彼女が部下であったことが幸運だった。彼女の性格は妻によく似ている。自分とは対照的に几帳面で細かく、しっかりしていた。そして何よりも、自分を見下さずにサポートしてくれる。

「ノートは取らなかったんだよ。正確には小学校3年生の時にノートをとることをやめたんだ。板書をうまく書き写すことが、どうしても出来なくて」

「えっ!? それからずっとですか!?」

「ああ」

 百合の目が目に見えて見開かれる。

「中学も、高校も、大学生の時もですか!?」

「ああ、そうだ」

「え!? じゃあ、テストの時とかどうしたんですか? てか、その前にノート提出とかはどうしたんです?」

「授業の内容は書かなくても、しっかり聞いてさえいれば覚えられたんだ。ノート提出はしなかった。どんなに怒られても。出来なかった」

「やっぱり先輩凄いですよ!」

 声のボリュームを上げた百合。

「凄くない。全然そんな事はないんだ......」

――代わりに、大抵の事が致命的に人より劣るのだから。

 書類を書けば多量の誤字脱字、自分で何度読み返そうと、分からない。手書きの書類は特に苦手だ。自分の名前ですら、枠に収めることが出来ない。

 探し物は、たとえ目の前にそれが有ろうと見つからない。無いと思い込んだものは見えないし、存在しないに等しいのだ。この特性が何をやるにしても、あり得ないケアレスミスをし、あり得ない結果を引き起こす。自分だって。自分のような人間に仕事を頼みたくない。

 百合が僅かに顔を近づけてきた。そして、声のボリュームを明らかに落として口を開く。

「先輩、前から思ってたんですけど、やっぱり病気の事、会社にちゃんと話した方が良いと思うです」

 視線を百合から外す。いつかは言われると思っていた。

「考えてみるよ。ありがとう」

 そんな事をしたら何が起きるのか。自分はよく知っている。怒り続ければ、いずれは治ると思われていた方がマシなのだ。確認不足や不注意は、手抜きだと思われていた方が。

 出世もせず、馬鹿扱いされている方がマシなのだ。その方が周りの者が『あいつはあいつに相応しい扱い方をされている』と思ってくれるのだから。

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0.5 おおば あおい @matuilove

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