第59話「蝶のかわりに私がいるの」
「咲、気分はどうだ?」
上から覗き込んだ良広の顔に、咲の涙はとめどなく流れた。
咲は肌寒さを感じて目覚めた。今までのことは幸か不幸か全ておぼろげながら全て覚えていた。ただ咲は、都合よく全てを忘れられたら、と強く願った。由美はもういない。クラスの友人達や部活の子は一体どれくらい亡くなったのだろう。自分だけが生き返って本当に良かったのだろうか。そう思った咲はようやく友のために本当に泣くことが出来た。
「由美ちゃんが助けてくれたんだぞ」
優しい良広の声音に、咲は両手で顔を覆ってただ何度も頷いた。そんな咲の頭を、良広はゆっくりと撫でた。
「五月蝿いぞ、良広。兄馬鹿やってる暇があったら片付けろ」
ついでに服を持って来い、暖房を点けろ、腹が減った、と言いたい放題のカンナだったが、いつもの皮肉っぽい笑みがないところを見るとさすがのカンナも疲れたのだな、と良広は思う。手始めに良広は座布団をカンナの枕元に差し出した。あの藁で出来た枕は、光介と健司が墓地まで燃やしに行ったのである。カンナは手だけ出してそれを引き寄せ、枕の代わりにした。
「カンナ、一体何がどうなったんだ?」
屏風を畳みながら良広は平静を装って言ってはみたものの、未だに興奮冷めやらなかった。光介と健司が枕を持って墓地に向かってしばらくしてから、咲の死体が横たわっていたとばかり思っていた布団から寝息が聞こえてきたのだ。すると今度は死んだように動かなかったカンナの息も徐々に大きくなっていった。まさかと思って先の布団を剥いでみると、咲の体が老婆から少女に戻っていた。あのシミも、白髪も何もないのだ。夢でも見ているのではないかと、良広は本気で考えたほど、それは信じられない光景であった。
「本当は咲が死ぬとは思わなかったよ。その前に、蝶を地獄送りしちゃおうと思ってたんだ」
「地獄送り?」
「契約によって蝶がこの世に来られたなら、契約したままあの世に行って、あの世で契約を解消してしまえば、地獄に蝶を帰せると思っただけだよ」
カンナは言葉を発することすら面倒だと言いたげに、投げやりに説明した。今回の奇病騒ぎで生まれてきた蝶はカンナの蝶の穢れだ。蝶の存在自体がこの世にあっては穢れだから、コピーともクローンとも言えるだろう。そうやって自分の分身を触手のように広げ、カンナを捜していた。咲から生まれた蝶に重なった何匹もの蝶は、その広げた触手を畳んでいく過程だったわけだが、良広にはそのことには触れる冷静さはないようだった。その良広の興奮が有難いのか、迷惑なのか、カンナは考える気力さえなくなっていた。心身ともに疲れが波のように押し寄せ、今なららさぞかし気持ちよく眠れるだろうと思った。
「じゃあ、成功したのか?」
思わず声が明るくなった良広に、カンナは不機嫌そうに「見れば分かる」と言って布団に潜り込んだ。するとそれを引き継ぐように、咲が鼻水をすすりながら答えた。
「お兄ちゃん、だから蝶の代わりに私がいるの」
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