カンナと良広

第51話「エゴのために人権を奪い尽くす」

「何見てるの?」


良広の視線に気付いたカンナは、部屋に入るなり不機嫌そうに言った。良広と光介が話している間、カンナはこの部屋にいたはずであるが、部屋には温もりが感じられない。見れば暖房器具のコンセントが束になったまま、隅のほうに追いやられている。光介が物置から出したまま一度も使われていないようだ。いつの間にか、窓の外はひどい吹雪になっていた。雪が横に流れていくその様は、降っているというよりは吹いているといったほうが正しい。そんな外の風景を見ていると重力など感じず、大きな川の流れの中に置いていかれたような錯覚すら起こさせる。しかし、時々窓ガラスに吹き付けられる雪が爆ぜる様な音を小さく立てて、その錯覚を打ち消していく。


「よく風邪ひかないよな」


感心した様子で良広が思わず呟くと、「ひくわけないだろ、バーカ」と早速暴言がとんだ。まるでここが自分の家であるかのように、まあ、座れよと促した。カンナは腕を組んで壁に背を預けたままだ。


「で、何しに来たの?」


今更聞くまでもない事を質しながら首を傾げる割には、カンナが良広の反応を待っている様子はない。


「カンナサマを崇め奉り、御利益を得に来たんだね」


とカンナは冷笑を浮かべるのだ。


「でも残念。僕はカンナサマだけど、人間以外の何者にもなれない。それなのに、他人は僕をまるで人間ではない生き物のように見ているんだよ」


カンナは壁にもたれながら、「大森一家はその最たるものだ」と畳の上の良広を見下ろした。


「カンナサマに酔ってる気がするんだよな、お前って。カンナサマや血華である以前に、その態度が悪いんだと思うぞ」

「なるほど、良広は僕が本当にただの人間として生きていけると言うんだね。でも、咲を助けるために僕を犠牲にしに来たお前なんかに、説教される筋合いないよ」

「やっぱり、お前は咲を助けられるのか? 咲は元に戻るのか?」


カンナは「さあ」と大げさに肩をすくめて鼻で笑った。


「良広、もし咲の命と僕の命が引き換えだったらどうする?」


良広は言葉に詰まった。それを見たカンナは喉を鳴らした。


「もし、僕がお前の言うように普通の人間として生きていける奴だったとしたら、僕がカンナサマだったから、血華だったからっていう言い逃れは出来なくなっちゃうんだよ?」


先ほどまで冷笑をたたえていたカンナの口元から、笑みが消えて、無表情になる。真っ黒で大きな双眸が、まっすぐに良広を見下ろしている。白い肌が、その黒さを十分に引き立たせる。まるで首を吊った死体に見下ろされるような感覚を覚えた良広は、思わずカンナから顔をそむけた。


「僕を、殺す?」


 カンナは自分で言ったその言葉につかさず「いや」と首を振った。


「血華は殺せない。だったら、僕の人生と引き換えに妹が救えるとしたら、良広はまるで苦渋の決断をした悲劇の主人公のように、僕を犠牲にしてなお偽善を振り回す の?」


息継ぎが惜しいといわんばかりにそう捲くし立てたカンナは、頬をわずかに上気させた。


「酔っているのは、お前のほうだ」


と恍惚と笑んだ。笑いながら、今にも泣きそうな顔だった。カンナの目は充血して、息が乱れている。それでもカンナは人に涙を見せない。カンナは咲が今まで頼って来たであろう男を目にして、どうしようもない怒りと失望を味わっていたからだ。咲の隣にいたのが自分だったら、咲に蝶を近づかせたりしなくて済んだのに、咲をこんなに苦しめることにはならなかったのに、と。


 良広は何も言い返せなかった。咲を助けるためにカンナサマの力に頼ろうとしたという事実は、もう覆すことは出来ない事実なのだ。どうして良広がこうして咲と北海道にいるかといえば、カンナサマが咲を助けられる最後の可能性だと思ったからだ。


「いいお兄さんでいたいよね? 助けた相手に感謝されるっていい気分なんだろう?でもお前はそのために、僕の人生を壊しに来た。お前はエゴのために他人の人権と いうものを奪いつくす、地獄蝶と同じなんだよ」


良広は再び言葉に詰まった。俯く良広の上で、カンナの表情は嘲笑に歪んだ。苦しめ、と言わんばかりに。咲や自分の苦しみを良広にも味あわせて、カンナは大森家に復讐した気になっていた。そんなことをしても、もうどうしようもないというのに。しかし、カンナがカンナサマとして生きてきた十七年間と、良広たちが生きてきた十七年間は天と地ほどの差があった。カンナが味わってきた苦しみの月日を、大森家は家族仲良く笑って生きていたのだ。咲一人を守れもせずに。だからカンナは目の前にいる良広が憎くて仕方がなかった。それが、肉親に対する甘えだということに、カンナは気付かなかったのだが。

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