第35話「おんぶ」

 気付くとカンナは自分の部屋にいた。体のあちこちが痛い上に力が入らない。どうしたのだろうと頭を廻らせると、首に違和感があった。摘んでみるとそこには金色の鎖があった。胸に手を当てると十字型の硬い物が乗っているのが分かった。カンナがよく状況が理解できずにいるところへ、ノックもなしにドアが開いて、健司が現れた。


「大丈夫か、カンナ」

「一体、どうして……?」

「それはこっちが聞きたい。お前が校舎内をめちゃくちゃに走り回った挙句、保健室の前で気絶したと先生が言うから迎えに行ったんだ」


不死身の体といっても、精神病までは加味されていないということなのだろう。あくまで外傷に対してしか血華の身体は影響されないのだ。だとしたら神経質でプライドの高いカンナにとってこれは生き地獄でしかない。教師たちはカンナを病院へ連れて行こうとしていたが、血華には如何なる薬よりもロザリオが効くことを知っていた健司は強引にカンナを連れ帰ったのだ。


 布団の中でロザリオを強く握り締めたカンナは舌打ちをし、深く溜め息をついた。


「ナガサキアゲハが全部地獄蝶ってわけじゃないのに、見分けがつかない。でも、いた。それも一匹じゃない」

「カンナサマの地獄蝶はかなり力が強いとされているからな。もしそれが本当なら他の地獄蝶がその力、霊力のようなものに引き寄せられているんじゃないのか?」

「それは有り得るけど、蝶は血華の魂と契約しているから、自分の華が分からないはずはない。僕が恐ろしいと思ったのは、虫けらのままだと言うのに華にひきつけら れる貪欲さだよ」


カンナは自分の手首に視線を走らせた。そこには細かい青い筋が見える。


「僕、もう学校には行かないよ」


ポツリと呟くようにカンナは言った。


「お前がカンナとして生きようとして出した答えなら、それでいいよ」

「僕を刺させたんだってね」


用意していたかのように、カンナは血の気の引いた顔で健司に言った。薄く笑んだその顔にはいつもの毒々しさがすっかり抜けていた。いつだったか、祖父母に聞いた。父親が一人息子を、それも愛妻の忘れ形見の赤ん坊を、他人に刺させた。カンナはこれを聞いた時、自分はやはり母親を殺し、そのために父親にも嫌われたのだと思った。自分はカンナサマだけど、もしかしたら父親は本当は自分を憎んでいたんじゃないか。そんな風に考えた。


 しかし健司は穏やかな眼差しをカンナに向けたまま、頷いた。カンナはそれを見て、静かに問う。


「清美の子供がカンナサマでなかったのが、そんなに妬ましかった?」


妹の子供である咲と、カンナサマである自分を交換したかったのではないかとは、さすがにきく勇気がカンナにはなかった。


「清美は父さんの妹だし、カンナはたった一人の息子だ。どっちも大事だよ。でもあの時父さんは清美をどうしても許せなかった。あいつは自分では気付いていなかっ たかもしれないが、カンナがカンナサマだと聞いてとても嬉しそうな顔をしたん  だ。そのくせカンナのことを迷信で片付けようとする。実際には迷信の一言で片付けられない問題が山ほどあるって言うのにだ」

「でも、自分の子供刺させるのって尋常じゃないよね」


一体そんなことまでして、守りたかったものは何だろうかと、カンナは不思議に思う。


「親子っていろいろ似るらしくてな、若い頃、父さんも実はお前みたいに神経質で大変なことが重なってちょっとおかしくなっていたのかもしれない。今思えば、もう 少し冷静だったならと反省しているよ。すまなかったな」


健司はカンナに向って頭を下げる。


「覚えてないことに謝られても仕方ないよ。それで、何しようとしたの?」

「自分の子供がカンナサマでないと喜ぶ割にカンナサマも血華も蔑ろにしている清美達に、分からせてやりたかったんだ。カンナサマは本当にいて、こうやって苦しん で生きていること」

「酷い兄貴だな」


つまり、カンナのために父親として最初に起こした行動が、カンナのことを深く相手の心の中に刻ませることだった、と言うわけだ。


「でも、決して妬んだんじゃない。父さんにはカンナじゃないと駄目なんだ」


カンナはその言葉にわずかに頬を赤らめた。健司はそれにつられて目を細めていた。


「じゃあ、僕のお願いきいてくれるよね? 確かめたいことがあるんだ」


もう一度だけこのままで外に出たい、とカンナは首からロザリオを外した。


「大丈夫なのか?」

「起きられないから、おんぶ」


相変わらず鈍いな、とぼやくカンナを、健司も負けじと相変わらず口が悪いな、と言いつつ背負った。久方ぶりに背負った息子の体は、身長はずいぶん伸びたというのに十年前より軽く感じられた。

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