第32話「ロザリオはどうした」

「カンナって花、知ってる? 皮肉な花もあったもんだよね、本当に」


カンナは喉を鳴らして笑った。この暗い笑いが、カンナが冗舌を披露する合図であることを健司は知っている。


「彼岸花と同じ赤い色が血みたいだからか。それとも、カンナが仏陀の血から咲いたという伝承のことを言っているのか?」

「違うよ」


カンナは満足げな笑みを浮かべ、「元々は葉の部分を観賞する花だったから」、と答えた。


「もう本来の姿なんて忘れられている、血の花」

「何が言いたい?」


健司は強くたしなめるように言った。たとえカンナが健司のことを父親だと認めていなくても、カンナがいくらカンナサマとして接してこようとも、父親の威厳を示し続ける。これは健司がカンナのためを思って、決心したものである。


「僕がカンナサマでなかったら、の僕のこと」

「気にしているのか?」

「どうしてそんなくだらないこと、僕が気にしなくちゃならないのさ。有り得ないこ と、そう、決定事項にとやかく言う愚行は卑しいね」


そう言ってカンナが立とうとした時、健司はカンナの首にロザリオがないことに気付いた。


「ロザリオはどうした?」


瞠目して問う健司に、カンナは薄く笑って答えた。まるで健司を馬鹿にしたような態度だった。しかしそれはささやかなカンナの自虐行為でしかない。カンナは自分がカンナサマだということを自負しているが、それと同時にとても繊細だった。もう、小中学校の頃のような思いはしたくない。しかし、自分がカンナサマであることは変えられない。助けてほしい。かまってほしい。でも、そんな言動をしたらカンナサマとしての自分が弱弱しく思えてしまう。だから、カンナは健司に気付いてほしかった。自分が蝶の危険にさらされていることを。学校で嫌な思いをしていることを。本当は泣きたかったことを。しかし、カンナのカンナサマとしてのちっぽけな自尊心が、それを口に出させてはくれなかった。


「盗られた」


カンナは出来るだけ横柄に言う。まるで、たいしたことではないようにふるまう。


「どうして代わりの物を着けないんだ」

「命令するなよ、いいじゃないか。大体、学校の規則では装飾品の類は好ましくないらしいよ。呪? 祟り? 今時馬鹿みたいだね。いっそのこと、全部なくなっちゃ えばいいんだ。千房もその他大勢も、全部」


カンナは何かに魅入られたように恍惚と笑んだ。しかしその後、カンナは俯いて震えだし、健司の前から姿を消した。このカンナの様子を怪しんだ健司は、密かに高校に電話を掛けてカンナが盗難に遭ったことなどを話してみた。すると健司が危惧していた通り、荒みきったカンナの学校生活が見えてきた。カンナはほとんど他人と接することはなく、話しかければ無視するのが常であった。そして相手が少しでも癪に障れば健司に話すような嫌味、あの顔には似合わない汚い悪口雑言をその相手に向かって吐いていた。そのためカンナはあっという間にいじめの対象になっていた。健司はロザリオを盗まれたと聞いたとき、体育の時間に着替える際、落としたのを誰かが持って行ったのだろうと考えたが、それは大きな間違いであった。盗んだ犯人は人の目を気にして犯行を行ったのではなく、カンナの目の前で堂々とカンナの首から持ち去っていたのだ。


 現場を目撃していた生徒が、教師に話したことによると、今日の朝カンナは廊下で五、六人の生徒に絡まれ、いつも首から提げていたロザリオのチェーンで首を絞められたのだそうだ。金属の細い鎖で首を絞められたのだから、カンナもある程度苦しかったはずだ。しかし血華であるカンナは、異常なほどに丈夫な体の持ち主であるために、チェーンのほうが切れてしまったのである。その後、便器の中にロザリオを捨てられたカンナはそれを拾うことが出来ず、そのまま帰宅したのであった。


 生徒に呼ばれた教師はトイレでたたずむカンナを気遣い、ロザリオを拾おうとしたのだが、カンナはその恩をいつものように仇で返した。


「先生、それはもう要りません。あいつ等はサドというクズです。嫌ですね、同性の身に着けている物に興味があるなんて。学校に来る暇があったら病院に行くことを薦めてはいかがですか? 先生もそんな汚れ物に興味がおありなら、どうぞ。差し上げますよ」


自分の為に便器の中に手を伸ばそうとしてくれる教師に向かって、カンナは冷笑を浮かべながらそう言って踵を返し、無断早退してきたのである。これには健司のほうが謝るしかなかった。


「カンナ君は学校を辞めたいと言ってきているのですが」


電話を変わったカンナの担任が、思い切ったようにそう切り出した。


「いつからですか?」

「はっきり言うようになったのは最近ですが、入学当初からそれをほのめかすようなことは言っていまして」


健司は小さく溜息をこぼした。担任もこんな生徒は受け持ったことがないと困り果てている様子である。担任は私もクラスを持つようになって長いのですが、と苦しい胸の内を語った。担任なりにどうにかカンナをクラスに馴染ませようと手を尽くしたが、カンナの心はどこを叩いてみても硬く閉ざされていた。とにかく成績はいいし、口数は少ないし自分から行動することといえば無断早退・欠席くらいだから教師にとってはまさに「触らぬ神に祟りなし」といった存在であった。設問に対する正しい答えが出せるのに、対人となると相手を冷遇することで返答に換えてしまう。そしてそれは誰に対しても一貫し、相手がどう手を変えても変化しない。まるで心が仮死状態になっているような、恐ろしささえこの担任教師にもたらしたという。

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