第7話「私も早くああなりたい」

「何だ、咲。今日は学校休みか?」


私服の咲に話しかけると「うん。学級閉鎖、って言うか学校閉鎖」と軽い口調で答えが返ってきた。今の時期に学校閉鎖といえばインフルエンザが常であるが、今年全国で流行しているのは風邪とは似ても似つかない原因不明の奇病だった。

 

 咲がテレビをつけると、どの局でも奇病の報道を続けていた。良広が気に入っていたニュース番組でも奇病が流行り出す前までは環境問題の特集を組んでいたが、今となっては奇病の特集に切り替わってしまっていた。連日、ほとんど同じ報道内容のニュースに嫌気がさしたのか、咲はすぐにテレビをほったらかしにして自室へと戻っていった。良広が開いた新聞も似たようなものである。調査しても何ら進展がないため新しい情報がない。症状が不気味なため、様々面白おかしくまるでホラー小説でも書くようにまくし立てるものもあった。資料として使えるものとなると、かろうじてウイルスの専門家だの遺伝子学や生物学の権威だのがコメントを寄せ、どこから持ち出したのか過去に少しでも似た事例を持ち出しては予想と見解を示しているものだけだった。それでもさすがにはっきりとした結論を出しているところはほとんどなく、詳しい調査結果を待ちたいとしていた。

 

 しかし今日は、昨日の夜に事態が悪転した。そのため各誌が奇病に割いた欄は大きかった。

 

 ついに奇病で入院していた患者の一人が亡くなったのである。しかもその死に方があまりにも壮絶であったため、マスメディアは競って怪奇さを盛り上げている。

 

 気づいたときにはすでに全国的な広がりを見せていた原因不明の病気。患者は全て女性。しかも患者たちの唯一の共通点が、処女ということのみだった。そのため当初原因は、未使用の子宮にのみ感染する病原体の類だとされていた。政府もこの病原体の確認と感染ルートの割り出しに力を注いでいるのだが、やはり何も分からないままだった。


 そしてついに、一人目の犠牲者が出た。 

 

 死んだのは一人暮らしのOL。まだ二十五歳という若さだった。この女性の遺族は奇病の原因の早期究明を願い、遺体の一部を捜査に協力するため調査資料として提供することに応じたようだが、遺体は女性が死亡した直後から急速に腐乱しているという。あるマスメディアにいたっては遺体の状況を「人の死と言い難き死」と表現するほどだった。

 

 亡くなった女性の名前は、鈴木麻美すずきあさみ

 

 アパートの二階に住んでいて、体調不良で職場を休んだ日の夕方突然発狂。下の住人が尋常でない様子に気づき、救急車を呼んだ。その頃には奇病は世間に認知されていたため、すぐに奇病患者が多く収容されている大学病院に搬送された。ただそのときにはもうほかの患者同様、肌には赤茶色の大きなしみが全身を覆い、精神的に病んでいたという。奇病患者は皆、若い女性とは思えないほど老け込んで呆けた老女のような姿で病院に運ばれてくるというが、この場合も全く右に倣ったような状況だったというわけである。


そして病院生活も一様に、搬送されてきたときが嘘のように静かに患者たちは穏やかにベッドの上で過ごす。ただどこかやはり精神的におかしくなっているらしく、何もないところを凝視して一日中笑って過ごし、食事は人間の食生活を忘れてしまったかのように肉食。夜は蛍光灯の光を嫌い、日が沈むと皆寝入ってしまう。他人に話しかけることは一切なく、ベッドから降りることも滅多になかった。


 しかしそんな患者たちが昨日に限って日が沈んでも誰一人眠らず、日中同様にベッドの上で笑っていた。そしてもう少しで夜中の十二時になろうとしていたとき突然鈴木麻美が一段と大声で笑い始め、病室を笑いながら駆け出したかと思うと窓を開けて自分から飛び降りたのだ。駆けつけていた病院関係者は、あまりに唐突で、あっという間の出来事にどうすることも出来なかったという。慌てて外に集まって外灯の光の下に浮かび上がったものを見たとき、誰もがそれが人間の遺体であるということを認めたくはなかったらしい。腹は内側から裂け、皮が外に向かって反り返っており、最初にこの遺体に駆けつけた人いわく、「初めから腐っていた」のだそうだ。そんな一部始終を見ていた同室の女性は、入院してから初めて医師に対して語りかけ、こう言ったという。


「私も早くああなりたい」


医師は背筋に冷たいものを感じながらも、奇病患者との初めての会話を進めようと言葉を返したが、それきりいつものように彼女は笑うだけだったという。


 この奇病の初期症状は、やはり普通の病とは違っていた。どれも患者を診てきた医師の憶測に過ぎないという声もあるが、まず部屋に一人でこもりきりになり、食事の際には肉しか食べなくなる。そして次第に体中に赤茶色の斑点が現れ、ついには発狂するのだという。発狂といっても暴れたりはせず、精神的にいかれてしまうのだそうだ。医師はこんな状況の人が周りにいたら注意してほしいと言いながらも、例外もあるので周りで決め付けたりはしないようにと話していた。結局は誰かが奇病かもしれないと分かっていてもどうすることも出来ないということなのである。

 

 何も打つ手のないまま日が経つにつれて妊婦のように腹が膨れ、最後には命を落とす、ということだろうか。


 深いため息をついて、良広はテレビの電源を切った。そしてふと、咲は大丈夫なのかと心配になった。部屋に籠もりがちになるのは年頃になれば誰にでもあることだ。肉しか食べない極端な食生活をしているわけでもない。確かに咲は以前より肉を好んで食べるようになり、その代わり急に野菜を食べなくなったが、それも今までしていたダイエットをやめたからだろう。肉しか食べなくなった時期もあったが、両親に怒られながらもしぶしぶ野菜も食べている。目立った赤茶色の斑点も今のところ見てはいない。まるでチェックリストにバツを書き込んでいるような気分の良広だったが、咲の学校や近所に奇病患者が多いこともあって、何か見落としているような不安は消えなかった。それでもチェックリストの結果が咲の感染を否定していることで良広は自分を落ち着かせるのだった。そうやってやっと落ち着いたところで、自分なりに奇病について考えてみた。情報は量はあっても質がなく、各分野の専門家でも答えを出せない難問である。始めから一般人の良広に答えを出そうという気はなかったが、最近では気が付けばこの奇病のことを想っていた。

 

 そもそもこれは本当に病気なのだろうか。新聞やニュース番組がもうすでに定説であるかのように報道している、細菌やウィルスによる「感染」なのか。もしかしたらもっと別な、誰も考え付かないようなものが存在しているのではないだろうか。良広の考察はいつもここで終わる。しかし繰り返し考えれば考えるほど、その「誰も考えの及ばぬ存在」に確信が沸いてきて、良広は何度もこの考察を繰り返すのだった。

 

 そうしていれば、いつかその存在に近づけるのではないか。そんなふうな思いを抱きながら、良広は冷めかけたコーヒーをすすった。ちょうどその時入った臨時ニュースで告げられた。この奇病による第二の犠牲者の存在を良広が知ったのは、翌日の新聞を読んでからだった。死亡したのは昨晩亡くなった鈴木麻美と同室の女性。「私も早くああなりたい」と医師に告げた女性だった。彼女が最後に口にした願いは叶えられたのである。


「お前も病院行ったほうがいいんじゃないのか?」


夕食時、父親が咲にそう切り出すと咲は口をとげて「何で?」と言い返し、キュウリを一枚口の中に放り込んで見せた。最近は両親の帰りも早く、咲のわがままは通らなくなっていた。よって、咲の食生活の乱れは家族総出で矯正されていた。


「馬鹿は風邪ひかないって言うけどな」

「ムカツク。そんなことばっかり言って、本当に由美の家にでも行ちゃえば?」


咲に言われて、良広は昔のことを思い出した。良広にとっては咲同様、由美は妹のような存在だった。家が近いせいもあってか、咲が初めて友達になったのは同い年の由美だった。そのおかげで咲の面倒を見ていた良広にも、由美は兄を慕う妹のようによくなついた。幼いころは本当に三人兄弟のように遊んだものだ。そのころから由美は色白で大人しい子供だった。咲と由美が中学に入学したばかりの頃までは、くだらないおしゃべりから真面目な相談までよく三人でしていた記憶がある。成長するにしたがって良広と由美は疎遠になっていったが、今でも良広を見かけるとにこやかに挨拶をしてくるので礼儀正しさも身に着いてますます大人びてきたと感じていた。


「由美ちゃんは女の子らしくて、いい子だよな。そんな妹が欲しかった」


懐かしさに浸りながら、良広はしみじみと答えた。


「変態」


いつもの二人のやり取りを、「いい加減にしなさい!」と母親が止めると、新聞をたたみながら父親は「他人事じゃない」と不機嫌そうに兄妹をたしなめる。


「咲、お前のクラスの子はほとんど全員入院しているそうじゃないか。もし少しでもおかしいと思ったらすぐに言うんだぞ」


父親は厳しい表情で家族の顔を見渡した。最後に父親の視線は母親の視線と数秒ぶつかり、無言のまま母親はわずかにうなずいた。父親の言うとおり、今現在、咲の同級生の女子のうち入院していないのは咲と由美、それから片手で足りるほどだった。確かに自分の家だけを見て安心していたのは不謹慎だったと良広は反省した。しかし、そんな反省などでは足りないとでも言うかのように、奇病の影は良広のすぐ近くまで忍び寄ってきていた。

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