第5話「そういった血筋なのか」

 その日の夜、咲の異常行動を知ることもなく、良広は両親と共にテーブルに着いた。その場の空気から、父親に例の封筒が見つかってしまったのだと察した。案の定、いつも食事が用意されているテーブルの上には例の封筒が入った箱が開いた状態で置かれていた。蛍光灯の白い光が箱の内側の銀色のステンレスに反射して、まさに真実が白日の下に晒されていた。ついに見つかってしまったかという想いと共に、ようやく見つかったかという矛盾した安堵が心のどこかでわだかまり、良広はどれだけ自分がこの秘密をプレッシャーとして抱えていたのか思い知らされた。


 そしてちらりと階段のほうに視線を送った後良広は父親に向き直った。


「父さんには悪かったと思ってる。母さんと共犯だと思ってもらってもかまわない。でも、咲に心配かけたくなかったんだ。そっとしておいてやりたかった」


真剣な良広の隣では、母親が済まなそうにうなだれていた。父親は話し手である良広と目を合わせることはなくそんな母親を終始見続け、否、にらみ続けていた。良広が口をつぐめば水を打ったように静かになり、壁掛け時計の秒針の音がじれったそうに次の言葉をせかすのだった。しかし、次の言葉はなかなか誰も口にしない。母親は猫背をさらに丸めて、しきりに太ももの上で重ねた両手の指を、蚕のように動かしていた。


「すみません。私は自分がしたことが恐ろしい。ただ、咲のためにこのことは黙っておいてほしいの」


蚕が声を発したと母親の指先に気をとられていた良広は思ったが、その過細い声はようやく顔を父親に向けた母親のものであった。それを待っていたかのように今まで石像のように座っていた父親も、一つの大きなため息と共に「全くお前は」と言った。声は控えめだったが、それでも怒気は隠しきれなかった。


「良広にも謝ったらどうだ。俺は、お前を信じてここまで来たのに裏切られた。お前は俺に何か不満でもあったのか? それとも、そういったなのか」

「父さん」


あまりの言いように思わず良広がたしなめる。

 

 確かに母方の家には、かつて結婚後に異性と関係を持つ者が多かったらしいが、それと母親の不倫を関係付けるのは飛躍し過ぎだ。良広が幼いときにも同じ話題で母方の親戚と両親との間でひどくもめて、両親と幼い良広、それに生まれたばかりの咲は東京にも程近い、と言ってもまだまだ田舎の現在の家に移り住んだ。良広はそう聞いていたが、詳しいことを聞こうとすると両親がそのたびに茶を濁すので詳しいところまでは分からなかった。妻のことを淫乱魔だと言われた父親が逆上して誰かに怪我を負わせ、その後駆け落ち同然で母方の実家を出てきたらしいがこれもどこまでが本当なのか怪しいところだ。


「これから、どうするんだよ」


これ以上余計な話はいらないと言わんばかりに、良広は一番知りたいことを思い切って切り出した。離婚は有り得るのか。脅迫文にある多額の要求をどうするのか。母親が自分の落ち度を父親に知れることを心配して脅迫の一件を警察には届けていなかったので、これは被害届けを出すことが先決であろう。この箱いっぱいの封筒や、父親の会社への電話のことも報告してしまえば警察も無下にはしないだろう。どうやら父親もそう考えていたらしく、翌日母親は警察に相談しに行くこととなった。


「それで、咲にはどうする気? できれば言わないでほしいんだけど」


良広のこの言葉に、会話が途切れた。

 

今度は父親までもが眉間に深い皺を作って俯いてしまった。


「今回のことで離婚はしない。だから、咲にも言う必要はない」


父親がゆっくりとそう言った。母親は夢から覚めたように顔を上げて良広と共に父親を見つめたが、再び怒気を盛り返した「だが」の一言に二人とも身を硬くした。


「今度また同じようなことがあれば、お前は一人でこの家から出て行け。その時は即離婚だ。良広も次は隠したりしないように」


寛大な父親に良広も母親同様感謝と約束を口にしたが、きっと自分はまた同じ過ちを繰り返すのだろうと良広は後ろめたかった。悪いことだと分かっていても、誰かを傷つけるとしても、良広は咲をかばうのだろうと。ともあれ良広はやっと安堵の息をつくことが出来たのだった。


 しかし良広の中では、父親が口走った「そういう血筋」と言う言葉が引っかかっていた。何故母親の実家から出てきたのか。「そういう血筋」だから実家にいられなかったのだろうか。理由はうやむやのままで釈然としないままだ。

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