第4話「夢、叶えてあげる」
翌朝、咲はトイレに走った。昨夜一人で事を楽しんだせいで、股の間がべとついていた。自慰行為ではない。それなのに一人で性的快楽を楽しむとはどういうことかは、咲にもよく分からない。ただ咲が、地獄蝶に出会ったときの気持ち良さをまた感じたいと望めば、まるで愛し合った異性に抱かれているような快楽と幸福感が訪れる。トイレから自室に戻ると、部屋にすえた臭いが充満していた。それにも関わらず、咲はこの日の朝を今までにないくらい清々しい朝と感じて背伸びをしたのだった。
「おはよう。いただきます」
慌しく椅子を引いて席に座った咲は、目の前のミートボールを口の中に掻き込んだ。とろみのあるミートソースのたれが、空っぽの腹にはたまらなく美味しかった。
ご飯に味噌汁、ミートボールにポテトサラダ。
朝食のメニューをみた咲は、箸をとめた。どれも美味しそうには思えない。空になってしまったミートボールの皿に目を落とした咲は、さっきまで五つか六つあった茶色の肉の塊が名残惜しかった。
「ほら、今日は早く学校に行くんでしょ。さっさと食べちゃいなさい」
咲が見つめていたたれの付いた皿を取り上げながら母親が急かすので、咲は味噌汁でご飯を流し込み、サラダには手をつけずに席を立った。
「もう食べないの?」
「うん、遅れそうだから」
部活の朝練習で学校にいつもより早く行かなければならないというのは、ただの口実だった。本当は昨日由美にメールで、会って話がしたいから早くに学校に行こう、と咲が持ち掛けたのだ。
「じゃあ、行ってきます」
咲の食器を片付けた母親は、娘が出かけたのを見計らったかのように下りてきた足音に身を硬くした。
◆ ◆ ◆
学校までの道のりを、他愛もない話で過ごした二人は誰もいない更衣室へと向かった。朝早いせいもあり、そんな二人の姿を見たものは誰もいなかった。天井近くに申し訳程度にある小さな窓から、頼りなく光が差し込んでいた。寒く静かな更衣室は、まるで徐々に慌しくなる教室側の校舎とは切り離された空間だった。
「話って、またおばさんの事?」
浮かない表情の咲の様子に勘が働いた由美は、小首を傾げて見せた。咲の最近の悩みといえば、咲の母親が不倫しているかもしれないということだろう。咲が由美に預かってほしいと言って、例の封筒を渡したのはほんの一週間前くらいであった。単なる悪戯だろうと由美が何度慰めても、聡く純粋な咲は、自分は母親だけでなく兄にも騙されていたのだとひどくショックを受けていた。
「うちのお母さんは、汚いから嫌い」
壁一面のロッカーを背にした咲は、吐き捨てるように言った。
「そんなことないよ。まだ本人に確認してないんだし」
「由美は、いつもうちの母親の肩持つけど、由美が母親になったら不倫なんてしないよね?」
「咲のお母さんも私も、不倫なんてしないよ!」
薄暗かったため表情の細かいところまでは分からなかったが、「そうかな」と答える咲の声がいくらか弾んで聞こえたので、由美はもう一押しとばかりに言葉を続けた。
「私は一人っ子だし子供が好きだから、赤ちゃんがいっぱい欲しいな。でもまだ先の話だし、今から母親を嫌悪しちゃ駄目だよ。きっとすごいことなんだから」
由美が笑いながらそう言い終わるや否や、咲は突然由美を後ろから羽交い絞めにした。由美は一瞬咲が話題に照れてじゃれてきたのかと思ったが、咲の腕に込められた力が尋常ではないことに気づき、にわかに恐怖を覚えた。
「由美の夢、叶えてあげる」
咲の冷たい手が制服の下に滑り込んできて、由美の肌を撫で回した。
「赤ちゃんがほしい。みんなも、由美も」
咲は意味の分からない言葉を口にして笑った。由美は直感的にこれが咲ではない何者かであることを理解し、震え上がった。咲でありながら咲ではないこれは、この世では明らかに異質な者であった。それはあたかも死そのものの具現であるかのようでもあった。声も上げられず、咲から逃れることも出来ず、常に小刻みに、時に大きく震える由美の体は咲の思うままだった。咲の細い指先が伝えてくる官能に伴う恐怖は、まるで地獄に引きずり込んでいかれるようであった。咲の陰部からはまるで男のように何かがぶら下がっている。しかもそれは細長く、芋虫のように白くうねっている。由美の無抵抗な体を扱って制服を剥ぎ取った咲は、自分の陰部を嫌がる由美の陰部に強引に押しあてて芋虫を由美の子宮近くまで入れた。この痛みに耐え切れなくなった由美が唯一あげた喘ぎ声も、上から覆いかぶされた咲の唇に塞がれて、外に漏れたのはほんのわずかだった。咲が由美から離れると、咲の股の間にはもう何もなかった。咲が何事もなかったように更衣室を出ると、由美もまた、しばらくして何事もなかったかのように身だしなみを整えて咲の後を追ったのだった。ただ由美の顔にもまた、張り付いたかのような不自然かつ不気味な笑みがあった。
◆ ◆ ◆
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