第10話 平凡で退屈で、素晴らしい日々をあなたと
「報告は以上となります」
淡々と弥和義輝は今回の結果をスポンサー二名に報告し終えた。
「ご苦労様。すまんね、身内の不始末を」
プロジェクタに投影された姿越しに、義輝に手を合わせて謝罪するのは、帝国皇帝。
「全くです。この借りは高くつきますよ。手始めに破損した学園の修繕費などを請求させてもらいますので、そのつもりで」
「おお怖。だが、その程度ならお安い御用だ」
「そうよねえ、可愛い娘さんが、神威装甲を使用できるようになったんですもの」
茶化すのは、王国女王。二国のトップと島の管理者が和やかに、まるで長い付き合いの友人同士のように語らっている。事実、彼らは古くからの付き合いだ。
「そんな三文芝居が通用すると思っているの? あなた達、ワザと防衛網に穴をあけ、ガルムたちを招き入れたでしょう?」
「人聞きの悪いこというんじゃねえよ。娘がいる島を危険に曝すような真似、どうして俺がするんだ」
「そのティアマハちゃんの神威装甲の使用実験でしょう? 危機的状況化を無理やり作って、覚醒を促した、そんなところじゃないの?」
「まさか」
「まさか、なに? そのあと何を続ける気?」
しかし、皇帝は笑ったまま答えない。
「そして義輝。あなたは自分の息子を助ける方法を探していた。そいつからの申し出は、渡りに船だったんじゃない? ある程度の研究成果を、地下クラスは上げていたし。彼らなら、ティアマハちゃんのことを調べたら欲渦を暴走させないための方法を見つけられると考えた。違うかしら?」
「神ならぬわが身に、そんな先のことを見通す力はありませんよ。全て偶然です」
「ふうん。あくまでしらを切るのね? で? 皇帝様は、神威装甲を使えるようになった娘さんをどうする気?」
「あいつは任務を果たしたからな。帰国させるのが道理だろう?」
何か問題あるか? と皇帝が女王に視線を向ける。
「へえ、その娘さんが勝ち得た平和を踏みにじる気?」
「人聞きの悪い。娘が実家に帰ってきて何がおかしい。そっちこそ、いらん勘繰りで攻めようって気起こすんじゃねえだろうな?」
「それこそまさかよ。私がそんな真似するわけないじゃない。平和を愛するこの私が。あ、そうそう、件のティアマハちゃん。かなり魔法の勉強が気に入ったようね。本格的に学ぶために、こっちに留学する、という手もあるけれど?」
どうする? と女王は皇帝の目をまっすぐと見据えた。
「あ、お話し中のところ悪いのですが。皇女殿下は今のところ、留学する気も、ご実家に戻られる気もないそうです。まだまだここで学びたいとおっしゃってます」
「なんだと義輝。聞いてねえぞそんなことは」
「娘さんはそういう内容のお手紙を出した、みたいな話をしていたのを風の噂で聞きましたが」
見え見えの嘘に皇帝は顔をしかめた。
「この時代に手紙だ? 何日かかると思ってやがる。電子メールにしろって言っとけ。いや、ここで島の管理者たる義輝、お前に命じる。すぐさまティアに・・」
「あ、すみません。なんか回線の調子が悪いみたいです。え? 何おっしゃって? 聞こえないです、すみません、あ、切れる~」
「あ、てめ、こ」
ブチンと回線を物理的に切った。皇帝の姿が画面から消える。
「義輝。あなた、変なことたくらんでないわよね?」
残った女王が、探る様な目で義輝を見る。
「変なこと、とは?」
「今回の件でティアマハちゃんは一軍に等しい力を手に入れたわ。また地下の彼らの実力と研究成果は王国、帝国の研究班が侮れないものになっている。その中には、相手の意志を長期的に操れるものもあるそうね?」
「まさか、私がそれらを量産し、ここに通う子どもたちを洗脳して王国、もしくは帝国に害をなすとでも?」
「もしくは、両国ともども。だってあなたには、それだけの動機があるじゃない」
睨みあう事しばし。最初に逸らしたのは義輝だ。
「買いかぶり過ぎです。私にそんな野心も度胸もありません。この仕事をこなすだけで精一杯の器の小さな男ですよ」
「・・・そう言う事にしておいてあげる。また連絡頂戴。今度は女王と島の管理者という立場ではなく、義姉と義弟の立場で話しましょう」
女王の通信と画像が途切れた。ふう、と大きく息を付き、義輝は椅子に寄り掛かる。
「黒幕たちとの会見は終わったかよ」
「ああ。まったくいつもながら、画面越しでもすごい圧力だ。画面から出てくるかと思ったよ」
まるで呪いのビデオだな。たしかにあんな濃い連中が出てきたらうなされる。
「だけどまあ、良かったじゃない? 引き下がってくれて。本格的に調べられたらまずいでしょ?」
「問題ないだろう。一番探られたくない情報は、すでに消えているはずだ。【本当の黒幕】である明鷹、お前が記憶を失ったというならな」
学園長が俺の顔を見た。
「あのさ、いくら俺の記憶が穴だらけだからって、そんな顔は実の息子に向けるもんじゃないと思うんだよね。それ実験動物か何かに向ける目だから」
「何を言う。これほど慈愛に満ちたまなざしを送っているというのに。だいたい、お前の記憶がほとんどないと言うのも信じられん。ならどうして私が父だと覚えていた? 自分の名前やクラスの連中の事をなぜ憶えている?」
「さあ? 俺は全部渡したはずなんだけどね。脳が生きるのに最低限の記憶だけ残したんじゃない?」
信用できんな、と学園長は実の息子に対してとんでもない発言をした。信用できないのは俺も一緒だ。今回の事件をたくらんだのがほかならぬ俺だと? ちょっと考えてそうで否定できないのも悲しいけどさ。
「あんたや母親との記憶がほとんどないのは、ちと残念だけどね」
お互いに口を閉ざす。それは俺たちにとって、最も大事な事情であるからだ。俺は覚えていないが、いくつかばら撒かれている情報の欠片をつなぎ合わせればだいたいの察しはつく。
現王国女王の妹であり、父親の妻、俺の母親、誰よりも和平解決を望んだ弥和天音は、十年前に死んでいる。葬り去られた、第零回目の王国、帝国の協定会議で謀殺された。表面上は病死とされた。厭戦ムードの高まっているときに、停戦の話し合いをする場で女王の妹が殺されたなど国民に知られるわけにはいかなかったのだ。
結果的にそれは、彼女の意志を受け継いだ夫、弥和義輝の尽力によって成された。息子に唯一品を埋め込み、罪人に足かせを付けて無茶な指令を与え、両国の首脳を相手に一歩も引かない交渉術を展開した。非人道的とさえいえる行動を迷いなく遂行できたのはそういう背景があったためだ。
自分の最も愛する女を殺した二つの国家に対して、復讐を目論んでも不思議ではない。そういう懸念が女王にはある。おそらく皇帝も持っている。
今の俺は、計画を立てた俺ではない。だから彼の心情を理解できない。本当に復讐を目論んでいるのか、平和を望んだ妻の意志を継ごうとしているのか判別できない。
「あんたは、これからどうするんだ」
試しに聞いてみた。親子の会話とは思えないね、まったく。
「どうもこうも、これまで通りだ。学園を運営し、優秀な学生たちを世に送り込む。そうやって社会に貢献するだけだ」
どうとでも勘繰れる返答だ。社会に送り出す連中が洗脳されていたら、それこそ学園長が思い描く世界にしてしまうことだって可能だからだ。
「お前の方はどうする?」
「俺? 俺もまあ、学生として学んで遊んで青春でも謳歌させてもらうよ。島内限定だけど、ようやく外に出てもいいようになったらしいじゃない? 『久しぶりに』今度の休みに釣りにでも行こうかなと思ってたとこ」
「久しぶりに、ね」
ふ、と学園長が笑みを漏らした。
「その時は言うといい。車を出してやる」
「良いのかよ。学園長も忙しかろうに」
「生徒と触れ合い、交流を深めるのも学園長の仕事だよ」
会話がひと段落したところで、予鈴が鳴った。そこから、俺たちはただの生徒と学園長の間柄に戻った。彼は俺に教室に戻りなさいと言い、俺は素直にそれに従う。
ただ、それは誤りだった。記憶を失った俺は、教室までの道順を知らない。そもそもどこの教室だ。この部屋だって今日学園長と一緒に来たくらいだ。どうしようかと悩んでいたら、後ろから声をかけられた。振り返った先にいたのは、意外なことに皇女ティアマハ・レガリスだ。
「何でここに?」
「迷ってるんじゃないかと思って、迎えに来ました」
「迷ってねえし。散策してただけだし」
そうですか。とだけ言い、皇女は先に歩き出した。なんだろう、もっと言い返されるかと思ってたんだが。拍子抜けしながら、彼女の後に続く。
「本当に、覚えてないんですね」
ぼそりと、前行く彼女が呟いた。
「ん?」
「記憶」
「ああ、うん。けっこうねえな。とりあえずあんたのことはわかるけど」
「そうですか」
また沈黙。これは、あれか。もしかして俺の記憶を使い切ったことによる罪悪感か。このクソ生意気な皇女も殊勝なところがありやがる。
「ついでにあのことも忘れればいいのに・・・・」
・・・・呪詛が聞こえたのは気のせいだろうか。
「なんだよ。まだあの時の事怒ってんのか?」
「当たり前でしょう! 絶賛怒り心頭中です! 人を騙しておいて、よくもまあそんなへらへらと出来るものね!」
彼女は過去の済んだことを穿り返した。
―ティアマハ 回想―
「明鷹。朝日が昇りましたよ」
戦闘が終わった後、私たちは浜辺に集まっていた。明鷹と最後の別れをするためだ。私は彼を抱きかかえ、防波堤の端に立つ。水平線の向こうに太陽が顔を覗かせた。その瞬間世界が彩り鮮やかに輝いていく。こんなにも美しかったのかと、改めて気づかされる。
「見てください。また新しい一日が始まろうとしています。平凡な、戦争が起こらない一日です。あなたがずっと守ってきた、そして守りきった今日です」
涙がまた溢れてきた。もう泣くまいと決めたのに。後ろを振り返ると、シャオ、命、夕映、ガド先生、皆、辛さのあまり顔を伏せたまんまだ。セシエタは悲しみのあまり車から出てこない。
「本当に、あなたは罪づくりな人ですね。どうして誰も信用しなかったのですか。皆さん、こんなにもあなたのことを愛していたのに。それを知らないまま逝ってしまうなんて。こんなに大きな悲しみを残したままいなくなってしまうなんて。こんなにも・・・」
こんなにも、私の心をかき乱していくなんて。
「嫌いです。本当に、あなたなんて大嫌いです。ずっと憎み続けます。私をこんなに悲しませておいて知らん顔なんて。一生嫌い続けてやります」
「一生嫌い続ける、ねえ」
後ろで夕映が言った。やはり紡がれる言葉は震えている。
「それ、ずっと明鷹のことを覚えてるってことでしょ? ふふ、こいつも愛されたものねえ」
「愛してなんかいません。憎んでます」
「憎しみは、愛情の裏返しともいうけど?」
愛。そうなのだろうか。良くわからない。
「ティアさんも、ダメ男に弱いのかもしれませんね?」
シャオが言う。彼女の声もまた震えている。
「明鷹がさ、前に言ってたんだ」
命が思い出を語り出した。やはり声が震えている。
「ゲームのエンディングでさ。主人公の男がヒロインを庇って大けがして、彼女の胸の中で息も絶え絶えに愛をささやくシーンがあったんだ。それを見て『ああ、俺もどうせ死ぬなら、美少女の胸に抱かれて死にてえな』なんて言ってたんだ」
命が、私の横に立つ。そして、彼の死に顔に向かって、優しく問いかける。
「明鷹、夢が叶ってよかったね。どうだい。美少女に抱かれてる気分は」
「悪くねえな」
時が止まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?
・・・・・・・・あれ?
聞き覚えのある声が、どうしてか知らないが胸元からしたヨ?
おかしいな、ここにいるのは死んだ人ヨ?
首をゆっくりと、ゆうぅっくりと曲げる。
目があった。安らかに眠っていたはずの男と。
「ただまあ、あれだな。もう少し肉感的なボリュームがあってもいいかと思うんだ抱き心地を考えるならば。それはこれからに期待ってことかな?」
「明鷹、それセクハラです。訴えられますよ」
注意するシャオの声が震えている。震えているのだ。
笑いをこらえているから。
「あーっはっはっはっはっは! ぎゃはははっはははは!」
こらえきれなくなったガドの馬鹿笑いが響く。
「よ、よ、よかったわね、ティアちゃん。ほら、明鷹よ? あなたの願いが届いて、生き返った、のかも、くくく」
夕映がポンポンと気安く私の肩を叩いた。
何だ、何が起きている? もう何がなんだかよくわからない。とりあえず。
「えい」
私は、抱えていた荷物を海に放り込んだ。派手な水しぶきを上げて着水、数秒後
「あばばばばば!」
悲鳴を上げながら明鷹が浮上してきた。
「しみる! 全身がしみる! 毛皮はがされたイナバのウサギの気持ちが良くわかっちゃう! て、てめえ何しやがる! こちとら怪我人だぞ! 全身傷まみれの人間を海に投げ捨てるってどういうこ・・・」
明鷹の叫びが唐突に途絶えた。私の方を見ながら、口を馬鹿みたいにパクパクさせている。
「兵装を要請。効果・対象を跡形もなく消し去る煉獄の炎。目標、諏訪明鷹」
無機質な声だった。ああなるほどね、怒りがあまりに大きいと感情を失ってしまうのだね。
【可能と言えば可能だが、本気か我が主】
AIがため息を吐きながらも要請に従って武器を生成してくれた。私が掲げる両手の間に、第二の太陽が生れようとしていた。あ、これを最初からやっておけば、ヴォイドアークなんて敵じゃなかったな。てへ。
「ちょ、皇女! それ洒落になんねえって! マジか!」
「マジですよマジですとも私がマジじゃなかったことなんて今までないでしょうが」
「何で俺にだけそんなキレてんだよ。どうせなら後ろで馬鹿笑いしてる連中にもキレろよ。そいつら俺が生きてるの知ってて黙ってたんだぞ」
後ろを振り向く。三人とも私からものすごい速さで顔を逸らした。
「ほれ見ろそいつらも同罪だろ!」
「でも諸悪の根源はあなたですよね。生きてたなら生きてたと元気な姿で現れればいいものを」
「そこはそれ、あんたが泣きながら縋り付いてきたらそのままフリを続行するしかないだろうが。空気読んだんだよ!」
「泣いてませんし縋り付いてません! 変な記憶ねつ造しないでください!」
「いいや、したね。何が『明鷹、朝日が昇りましたよ』だ。見りゃわかるっつうの」
その言葉に、私の中でなんかもう色々と臨界点を突破した。
「消えてなくなれ。さっきの私の黒歴史と共に」
静かに宣言し、私は彼に向かって跳躍した。
「馬鹿ああああああああああああああああああああああーっ!」
止めを刺す直前だった。大声に驚いたかそもそもエネルギー残量が限界だったか、兵装が勝手に解除。明鷹に飛びつくような形で私も着水。
「「あだだだだだ!」」
しみる、無茶苦茶しみる! 毛皮をはがれたウサギの気持ちがわかっちゃう! そう言えば私も結構全身ボロボロでした! 神威装甲が治したのは緊急性の高い怪我だけ、擦り傷程度治すのにエネルギーがもったいないからだって!
「二人とも何やってるの! 馬鹿じゃないの!」
セシエタが烈火のごとく怒っている。
「明鷹馬鹿なの?! さっきまで仮死状態だったんだから! なんで海で遊んでるの!」
「え、いや、遊んでるわけじゃ」
「言い訳は結構! あとティア姉ちゃん! 神威装甲の副作用がどう出るかわからないのに、まだ使おうとしたでしょ! 死にたいの?! ねえ!」
「あの、その」
「後で反省文! あとみんな! 何で注意しないの! 大人でしょ! 間違ったことしてたら止めるのが義務なんでしょ!」
「「「すみませんでした」」」
その後、セシエタの説教は三十分に及んだ。全員がコンクリートの地面に正座させられ、耳が痛くなるような正論でこっぴどく叱られた。
―回想終了―
「もういいじゃねえか。済んだことだろうが」
「よくないです! ちっとも良くないです! あのせいで悔しいやら腹立たしいやらで眠れぬ夜を過ごしてるんですよ!」
「眠れないほど思っていただいて感無量でございます。『一生嫌い続けます』だっけ」
「明鷹ァ!」
同時に皇女の肘が横腹を抉った。物理的に削れたと思った。カクンッ、と膝から崩れ落ちる。
「どうして、記憶を無くしてるくせに捻じ曲がった性格は治らないんですか? 死なないと治らないんですか? ねえ? あなたこそ、あんなカッコつけて今生の別れみたいなこと言って、ひょっこり生きててさあ、我ながら間抜けだとか思わないの? ああ、そんな羞恥心すら記憶と一緒にバイバイしちゃったの?」
うずくまる俺の頭上から容赦なく罵声を浴びせてくる。
「こっちだって、死んだと思ってたんだよ」
こいつの話やセシエタが見た俺の怪我の具合からすると、本来であれば、やはり俺は死んでいたはずなのだ。生き延びられたのは、彼女の神威装甲のおかげだった。
俺は何らかの方法 ―この辺は受け渡した皇女本人にどれほど聞いても教えてくれなかったんだけど― で皇女に欲渦のエネルギーを渡した。その際、唯一品同士で相互リンクが貼られた。欲渦はリンクを通して皇女にエネルギーを供給し、神威装甲はそれが持つ効果、たとえば自己再生能力などをリンクで繋がっている俺にも反映させている。だから、瀕死の重傷からでも傷が治った、そんなオチだ。
「つうか、そんなもん知るか。覚えてねえし。過去は過去、今は今だ。全部忘れて再出発、区切りが良くて丁度いいってなもんだ。は、いつまでも過去に縛られるあんたとは違うんだよ」
「だから! そう言うところがムカつくんです!」
ぐいっと人の首根っこを掴んで、猫みたいに持ち上げて無理矢理立たせた。
「私たちばっかりがあなたと過ごした記憶を持ってて、あなたはそれを持ってない。しかもそんなもの必要ないって言う。じゃあ、私たちのことなんてどうでも良いって言ってるようなもんじゃないですか。どれほど私たちがあなたのことを心配して、怒って、やきもきして、それで、どれほど生きていてくれて嬉しかったか、それだけの過去を築き上げていたことすら忘れてるんでしょう! ムカつく、ほんとムカつきます!」
まくしたてる彼女が、怒っているのか泣いているのかよくわからなくなってきた。だんだんと言葉尻が弱くなっている。
「それだけじゃない、私は見たんです。覚えてるんです。変換されて消えていく前の、あなたの記憶を」
どんと、胸を小突かれる。
「幸せなことだってあったじゃないですか。簡単に見捨てないでください。そうじゃないと、あなたの記憶にいた人が報われないじゃないですか」
誰のことを言っているのかは明白だ。過去の俺が幸せだった頃の記憶など、その人が生きていて、家族が三人揃っていたころの話しかないだろう。あまりに幸せすぎて、だからこそそれが失われたから、学園長と過去の俺は今回の事を画策したのかもしれない。彼女がそれを知ったら、今と同じことを、もう一度俺に言えるだろうか?
「すまん」
全ての思惑をフィルターにかけて、ろ過してろ過して抽出されたのは、シンプルな謝罪の言葉だった。
「素直に謝られるとそれはそれで気持ち悪いですね」
どうしろと。過去の俺って一体どんなだったんだ。
「嫌な奴でしたよ。それはもう」
過去の俺は、一体こいつに何をしたんだ?
「・・・でも、そうですね。そう考えれば、確かにあなたの言うとおり、記憶が無いのは都合がいいのかもしれません。これからビシビシしごきにしごいて、ひん曲がった根性を強制し、まっとうな人間に生まれ変わらせることが出来るのですから」
サディスティックな笑みを浮かべて、皇女。嫌な予感しかしない。
未来が不安な俺の頭上で高らかに鐘が鳴る。くっちゃべってたら、とうとう始業時間に突入してしまった。いけない、と皇女が言う。
「さ、行きましょう。授業が始まります」
手を引かれ、廊下を進む。ここから、俺の日常は始まるようだ。
ぜひとも退屈で穏やかなものであってくれ、と願わずにはいられないが、きっと叶わないんだろうな。強く握りしめられた手が、とても熱いから。
彼女の野望、彼の願い 叶 遼太郎 @20_kano_16
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