しじみの嫁御――ねむの木のみせてくれた夢――

壺中天

第1話

 ねむの木というのは

 ふしぎな木でな。


 葉はさわられたり、

 夜になると閉じてしまう。

 花は夕方にひらいて、

 うすあかい糸のふさをたらす。


 けものにはけものの心があるし、

 草木(くさき)には

 草木の心があるそうじゃ。


 草木というものは

 静かに眠って夢をみとる。


 ならば、ねむの木のみる夢は

 どんな夢じゃろうかのう。


 ――一夜の宿をかりた旅の僧は

 このようにかたりはじめた。



 昔々、大きなねむの木のある

 お屋敷があったそうな。

 そこには美しい奥方様が住んどったが、

 たいそうお体のよわい方だったのじゃ。


「あなた…わたくしが死んだら、

あのねむの木の下にうめてくださいな」


 それは、ねむの花がさかりの夕ぐれでな。


 奥方様は若殿を生んでから

 床(とこ)をはなれられんかった。


「そのようなことをいうのは、まだはやいぞ」


 三原の大殿がまくら枕もとにすがっても、

 奥方様の目はそれっきりひらかんで、

 きぬのような黒髪が枕もとに流れとった。


 大殿はかなしんでかなしんで、

 次の春になくなってしもうた。



 それから十といくつの春が過ぎて、

 十といくつの夏がやって来たのじゃ。


 のこされた若殿も

 十といくつの年になったが、

 一人かってにそだったせいか、

 あれこれわるさをしたり、

 人をくったまねをやめんかった。


「はやく嫁をもらえば、若殿も落ちつこう」


 じいやはとなりの国の

 お姫様をつれてまいった。


「女子(おなご)なぞ

めんどうじゃからいらん」


 姫はたいそう美しかったが、

 若殿はなにやら

 こわいような気がしたのじゃ。




 何日かたった雨の夕ぐれのことじゃった。


 若殿はねむの木の下におって、

 姫が庭を歩いとる姿を目にしたのじゃ。


 その着物は帯がほどけて

 前がはだかっておった。


 左手に首のない黒犬の死がいをつかみ、

 右手に血まみれの小太刀をもっておった。


 若殿に気づいた姫がな、

 ゆっくりとふりかえる。


「みてしまったのならおしえましょうか。

この屋敷をわたしのものにする術をかけていたのよ。


でも、だれにもいわないわよね。


さもないと、よけいなものをみた目玉をえぐって、

いけない舌を切りとってあげるわ」


 若殿はふるえあがった。



 ふしぎなことに、

 雨の中で枝をたらしたねむの木の、

 うすあかい花の糸をすかしてながめると、


 美しい姫は虎の姿をしておるのじゃった。



 いやいや、姫ばかりでない。


 それからというもの、

 若殿はほかのものたちもみな、

 けものの姿にみえるようになったのじゃ。


 じいやはさるだし、女たちはにわとりじゃった。

 

 ――ならば、わしの姿はどうじゃろう?

 若殿はお池の水に自分をうつしてみた。



「なんぞ、おもしろいもんがあるか?」


 突然の声にふりむくと、大きな男が立っとった。


 若殿の乳母の息子で、

 そのものだけは人の姿をしとった。


「わしは世の中がすっかりいやになった。

山にこもって人とあわずにくらしたい」


 若殿はほっとしていった。



「そんなら、おらもついてこう」


 二人が出かけるころには、

 もう山は秋の色にかわっとった。




 しばらくゆくと、ねずみが川でおぼれとってな。


 若殿はやなぎの枝につかまって

 たすけてやったのじゃ。


「やなぎの枝を切りとっていきなさい」


 ねずみはそういうと走り去った。


 しばらくすると、かえるが

 木の枝に突きさされとってな。


 若殿は木から下ろして

 水にかえしてやったのじゃ。



「洞穴(ほらあな)の入口を

たたいてごらんなさい」


 かえるはそういうと池にもぐった。



しばらくゆくと緑の洞穴があって、

 清水がこんこんと淵へ流れとった。



 若殿はそこをとんとんたたくと、

 なにやら流れてきた。


 刀のさやでひきよせようとするのじゃが、

 うまくつかまらんかった。



「あなたはだれ?」


 そうしとると、それがかわいい声でたずねた。


「おまえこそだれじゃ?」


「わたしはしじみよ。

でも、この姿がきらいなの」


 そういってくすくす笑う。


 ようみるとしじみの娘じゃった。



 娘は天女じゃったが、

 いたずらがすぎて天上を

 おいだされたのじゃそうな。


 それで人間の娘になったが

 うそつきで乱暴者のままじゃった。


 さっぱりおこないがあらたまらんので、

 ねずみに生まれかわった。


 そしてねずみからかえる、

 かえるからしじみになったのじゃ。


 いまでは心をいれかえたから、

 若殿が嫁御にするなら

 人間にかえれるのじゃそうな。



 しじみの娘が口をあけると

 白くきれいな身がのぞいた。


 若殿の刀でを貝がらから自分を

 はがそうとするがうまくゆかん。



「やめよ、しじみのままでよい!

わしが屋敷につれかえってやる」


 若殿は自分が痛いような

 気がしてたまらんくなった。



「やなぎの枝が役にたつかしれん」

 男が思いついた。


 若殿がやなぎの枝でふれるとな、

 しじみは白い肌の美しい娘に変わったのじゃ。


 裸の身をきぬのような黒髪で、

 恥ずかしげにかくして水にすわり、

 涙にぬれながら澄んだひとみでみあげとった。



 若殿が名をたずねると、

 昔の名はいらんという。


「なら、わしの母だった人の名をやろう。

その人は四季といったのじゃ」


「――四季、きれいな名ね。

季節から季節への移り変わりの名だわ」


 娘はすんなりした姿で立ちあがった。




 若殿がお屋敷に、娘(しじみ)をつれかえると、

 しょうちせんのはあの姫じゃった。


 お屋敷のものをたぶらかして、

 無理難題をふっかけてきおった。



「この珠を池から拾ってきなさい」

 姫は冷たい冬の池に珠を沈めよった。



「やめよ、しじみ。


こんな池に入ったら、

こごえてしまう。


おまえの心の臓が、

とまってしまうぞ」



「なんでもないことよ」


 娘はしじみじゃったから、

 衣を脱ぎ捨てて水に入るとな、

 すぐに珠をみつけてこれた。



「枝にさがった鏡をとりなさい」


 娘はそういって、ねむの木の枝に

 鏡を糸でつるしよった。


 下の地面には尖った槍がうえられとった。



「なんでもないことよ」


 娘はかえるじゃったから、

 着物の裾をひょいとまくると、

 みがるにとんで鏡をとった。



 おそろしいことにのう、

 呪いというはやぶられると、

 かけた者にかえるものなのじゃ。


 だした難題がとかれたゆえ、

 姫の力は失(う)せてしもうた。


 それまで従っておったものらは、

 姫が憎くてならんようになった。



 ののしって石を投げ、

 きれいな着物をはぎとって、

 裸でひきまわし、

 馬に手足をひっぱらせて、

 八つ裂きにしようとした。



「それはけもののすることだ。

わしらは人であらねばならぬ」


 若殿は首をふった。



「さるがよい。


わしらにかかわりさえしなければ、

どこにいこうとかまいはせぬ」


 そういって、姫の縄をといてやったのじゃ。



 だがのう、姫はみなのもののにくしみよりも、

 若殿のあわれみのほうを深く深くうらんだのじゃ。




「うらんでやる、呪ってやる。


このように恥をかかされては、

父上のところにかえるわけにもいかぬ。


おまえたちを滅ぼすためなら、

この命とひきかえにしてやる」



 屋敷からみはなされた姫が、

 刀でおのれの首をかき切ると、

 とびちった血が冬枯れた

 野の草をぬらしたのじゃ。



 そこはむかし合戦があったところでな、

 大勢の討死にしたもんの骨が

 埋もれとるんで骨ヶ原と呼ばれとった。



 やがて、霧のような

 ものどもが次々とあらわれ、

 こうもりのむれるように、

 はえのたかるように、

 姫の血をのみはじめた。


 すると、その姿がだんだんにはっきりして、

 気味のわるいがいこつ武者となった。



 こんなわけで、

 亡霊の大軍がお屋敷におしよせた。


 娘はねずみに身を変えると、

 敵の大将が乗った馬の腹にとびついって、

 馬具のひもを食い切ったのじゃ。



 大将は首なしの騎馬武者じゃったが、

 馬からころげ落ちって、

 脇に抱えとる首がほうりだされた。


 ころげるそれへ切りかかる若殿を、

 雑兵どもがじゃまする。



 大将の刃(やいば)が身にふれるすんぜん、

 あやういところでかぶとと首がくだけた。


 大将の体がくずれるように倒れて、

 ばらばらのよろいと骨だけになった。



 くだけたかぶとの中からは、

 白いどくろと長い長い黒髪があらわれた。


 若殿と娘(しじみ)を呪って命を絶った、

 あわれな姫のなれのはてじゃったのじゃろう。



 雑兵どもが霧にもどってしまうと、

 みんながかちどきをあげた。


 ねずみの姿でおった娘は、

 はしゃいで若殿の袖にとびついた。



「しじみよ、

おまえはしじみではない」


 若殿はそれを空中に放り上げると、

 人間にかえった娘を抱きとめて、

 衣で包みながらぐるぐるまわした。


「わしの心のほうこそ

しじみじゃった。


きずつくのがこわくて、

自分のからに小さくちじこまった

しじみじゃった。


じゃが、おまえは

どんな姿をしとっても、

人の心をもった娘じゃ。


四季がおるからこそ、

わしは人になれる」




 やがて、冬が終わって春も過ぎ、

 ねむの花の咲く盛りの七月に、

 お屋敷でめでたく祝言があげられたのじゃった。




 ――旅の僧はこのようにかたりおえた。



 わしはお祝いの席でしこたまのんで

 眠りこんでしまった。


 めざめればお屋敷はなくて

 緑の野原がひろがっておった。


 旅の空にねむの木の下で

 うたたねをしていたのじゃった。


 これはねむの木のみせてくれた

 夢じゃったかと思案した。



 ふとみれば、ねむの花が

 美しい娘のように笑んでおった。


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