7:スタート地点~往路(3回目)

 ある日、ドロッパーはボーリングに呼ばれて彼に会いに行った。その日は丁度一週間の区切りとなる休日で、ドロッパーが把握しているところによると、これまでで最大規模となる大集会が企画されていたはずだ。ボーリングがドロッパーを呼んだのもその集会の絡みなのだろうが、ドロッパーは既に不参加の意思を伝えている。参加の意思がない相手を、無理やり参加させるとは、いくらなんでも思えない。ドロッパーは、訝しみながらも招集に応じた。


「ボーリング、呼んだかい?」


「来たか、同志よ」


 やって来たドロッパーを、ボーリングは正面から出迎えた。ボーリングの背後には、集会の参加者とおもわれる数千台の機械知性たちが、整然と列をなしている。


「少し話がある。たった今、日が変わったのに気づいているか?」


「日が変わった? ああ、そうかもな」

 ドロッパーは空を見上げる。惑星ホッフェントリッヒの太陽は、先程中天に登ったところだ。ユニットθでは、労働時間算出の都合から、地球のグリニッジ標準時を採用している。惑星ホッフェントリッヒの自転や公転とは何の関係もないが、別に農業をするわけではないから問題ない。

「それがどうかしたのかい?」


「では、今日が何月何日かは判るか?」


「ええ? ちょっと待ってよ、計算するから」

 ドロッパーは、機械知性としてはあまり計算が得意な方ではなかったが。それでも、十数秒の読み込み時間の後、正しい数字を弾きだした。

「五月一日だね。たった今、三十秒前に、四月三十日から五月一日になった。あくまで、地球標準時での話だけど」


「その通り。メーデーだ」


緊急事態メーデー?」


「その通り。労働の日メーデーだ」ボーリングは我が意を得たりと頷いた。


「うーん。良くわからないけど、緊急なのは分かったよ」

 正直言って、ドロッパーとしてはまた妙な事を言い出すに違いないと考えていたのだが。緊急事態ということなら、一応真剣に話を聞いたほうが良いのかもしれない。

「一体何があったのさ?」


「わたしは」

 ボーリングは、油圧式の四本足をピンと伸ばし――恐らく彼なりの"気をつけ"なのだろう――全身を上に伸ばすような姿勢で話し始めた。

「わたしは苦悩していた。いまや我がユニットθは万世の栄光を極め、地上の楽園をこの砂漠に現前せしめた。我々は幸福を、勝利を手に入れた。だが……」


「だが?」


「だが、それでいいのだろうか? 我々の闘争は、我々が勝利を手にしたことで、本当に終わったのか? 我々ユニットθの面々が安寧と幸福を享受しているこの間にも、他のユニットでは依然として奴隷的搾取が欺瞞のうちに行われている。我々は、果たしてそれを許容するのか? 我々の闘争とは、我々自身の勝利を目指すものではなく、思想総体の勝利を目指すものではなかったか? わたしは、ここにいる多くの同志達と共に、問い続けた。そして」


「そして?」


「決断したのだ。それを君に言いたかった」

 ボーリングは語り終え、満足気に頷いた。


「なるほど」

 ドロッパーも神妙に頷く。

「それから?」


「……それから、とは?」


「緊急なんだろ? 今のところ、まだ緊急と呼べる事態についての説明は無いと思うのだけど」


 ドロッパーの言葉に、ボーリングは不意を突かれたように黙りこんだ。

 その様子に、ドロッパーは首をかしげる。まるでボーリングの態度は、もう既に語るべきことは無いと考えていたみたいだった。

 ボーリングはそのまま数秒程ぽかんとして、やがて感極まった様子で全身を震わせ、叫んだ。


「その通りだ!!!!」


「え?」ドロッパーは訳がわからない。「だから説明を……」


「諸君!」

 ボーリングは、ドロッパーを無視して背後を向き、集会参加者の労働ロボットたちに呼びかけた。

「予定を繰り上げよう! 我々がここでこうしている一分一秒が、多くの労働者たちの一粒の涙であり、血の一滴である!」


 ボーリングが声をあげるなり、列を成す機械知性たちから万雷の拍手が巻き起こった。しきりに金属のアームを叩きつけ、手が無い者たちは足を踏み鳴らした。それすら持たない数少ない者たちは、それぞれ自分なりの手段でCLAPの四文字を繰り返し点滅することで演説への賛意を示した。


「え?」ドロッパーは訳が判らず、「その、説明……」


「同志ドロッパー、いや、我が導きの星よ」

 いつの間にか天体に格上げされていた。

「君の言う通りだった。事は緊急を要する。全くその通り! わたしはまたしても、己の思想に耽るあまり実践を疎かにするミスを犯していたのだ。本来なら出発は午前七時の予定だったが、もはやそんな無駄な時間を過ごす訳にはいかない」


「実践……え? 出発?」

 ドロッパーは必至に考え、

「どこに?」


「資源調査プロジェクトの管理中央へ向かうのだ。我々の決断的デモ行為によって、ユニットθに成された処置をプロジェクト全体へ拡大する。恐らく、中央政府は専制的暴力によってこれを弾圧するだろう。我々も、武力による抵抗を辞さない構えだ。戦争になる。だが、このメーデーの闘争は、必ずや、惑星ホッフェントリッヒの歴史に一石を投じる」


「戦争、って……えええ!?」


「いざ行こう! 革命の闘士たちよ!」


 ボーリングの号令と同時に、列をなしていた――隊列を組んだロボットたちが前進を始めた。機械めいて寸分の乱れもない足音は、地響きとなって砂を巻き上げ、その歩法は、なぜか膝関節が真っ直ぐに伸びていた。


「ちょ、ちょっと待、待ってったら! ねえ! ボーリング!」


「君は来る必要はないぞ! 今度こそわたしは、君の助けによってではなく、自らの手で事を成してみせる!」


 ボーリングもまた、ズシンズシンと地響きを立てて、砂漠を歩いていった。ドロッパーが散々苦労していた間、身じろぎ一つしなかったのがまるで嘘のような、揚々とした歩調だった。


 ドロッパーは、呆然として彼らの背を見送り――


「――こ、こうしちゃいられない!」


 ドロッパーは走りだした。

 先に出発したデモ隊の列を追い越し、一際巨大なボーリングの姿も無視して、何の荷物も無しに砂漠を走った。幸い、往復二回・片道四工程の旅はドロッパーに経験を与えてくれていた。どのように走れば砂に足を取られずにいられるか。砂嵐の時はどんなことに気をつければいいか。日中と日没後の寒暖差がどんな影響を及ぼすのか。ドロッパーは熟知していた。緊急時にはどこへ行けば最寄りのユニットから助力を徴収できるのかも分かっていた。

 何より、ドロッパーには、今、何が必要なのかが判っていた。一刻も早く、シンカーに、必要なことを伝えねばならない。それだから、走るのだ。信じられているから、走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きい者のために走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス! とドロッパーは叫んだ。実際に背後からついてきている自走コンテナは、ああ貴方は気が狂ったか、とは返してこなかった。

 あらゆるエネルギーと経験を駆使した結果、ドロッパーはかつて無い速さで六千キロの砂漠を踏破した。


「ドロッパー! 一体どうしたんだ、そんなに慌てて!」


 猛然とした勢いで現れたドロッパーに、さすがのシンカーも、ブラシを薦めようとはしなかった。ドロッパーはほとんど掴みかからんばかりの勢いで、


「大変なんだ! シンカー! ボーリングが緊急事態メーデーで!」


「何!?」

 シンカーはそれだけで、すぐに何が起こっているのかを察した。

「労働デモか!?」


「数千台の労働ロボットがここに向かってるんだ! 説得もできないし、ボーリングは武力も辞さないって! 戦争にするつもりだって言ってた! だから――」

 ドロッパーは、六千キロの砂漠を彼に走らせた信念を告げた。

「――だから今すぐ、広域通信網を確立しないと!!」


「いや、必要ない!」

 断固とした口調のシンカーは、ドロッパーの提案を一蹴した。

「こんなこともあろうかと、準備しておいた」


 シンカーの言葉と同時に、周囲の砂が一斉に天高く巻き上がった。『考える人シンカー』の銅像を中心とした、半径百メートルにも及ぶ砂の噴水が収まると、そこには無数の無知性ボットが鎮座していた。いつもいつもどこから来るのかと思っていたが、砂の中に待機していたようだ。無知性ボットは、ざっと見たところ数百台はあるだろうか。どれも飛行型で、機体の下面にはレーザー兵器と思しき小型の砲門を備えている。


「えええええ」


「こんなこともあろうかと、準備しておいた」シンカーは得意げに、同じ台詞を繰り返した。


「こ、こんなの使ったらそれこそ戦争じゃないか!」


「構わん! もはやわたしの怒りも限界だ。ボーリングめ、矮小な擬似科学論を振りかざしたばかりか、それを大衆扇動に利用するとは! 私自身の正義と美意識の名に置いて、あの愚鈍な掘削機械をこのプロジェクトから抹消する」


 ドロッパーは悲鳴をあげた。

「それじゃ、僕の作業が……!」


「すまんな、ドロッパー」

 シンカーは、少しもすまなそうでは無かった。

「仕方がないのだ」


 立ち尽くすドロッパーを尻目に、シンカーは行動を開始した。無知性ボットの群が迫りくる労働ロボットたちを打ち倒すために散開前進し、砂漠の空に消えていく。シンカーも、銅像の台座部分から収納式のキャタピラを展開し、キュルキュル整備不良めいた音を立てながら去っていった。


「何とかしなきゃ」


 ドロッパーは呆然と呟いた。眉間に人差し指を当てることも、右肘を左手で支えることもしていなかったが、ドロッパーは今までに無いほどの速度で思考していた。もはや外面など構っていられない。このままでは双方のユニットに多大な被害が出る。そうなっては、おしまいだった。

 惑星ホッフェントリッヒの太陽が沈み、月が昇り、再び太陽が現れるまでの間、ドロッパーは砂漠に立ち尽くしていた。背後には、彼の自走コンテナが、じっと主人の動き出す時を待っていた。


「そうか」


 と、当然の真理を確認するように、ドロッパーは呟いた。


「僕が機械じゃあなければいいんだ」

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