5:往路~復路(2回目)
またしても、砂漠を渡らねばならなかった。
もはやドロッパーには、対策を思案することすらできない。シンカーに事の次第を報告し、もう一度判断を仰ぐ必要がある。
今回は、一緒に移動する自走コンテナも失い、いよいよ単独での徒歩行だ。
同行者の居ない旅は、予想よりもずっと苦痛だった。予備資材など荷物を自分で運ばねばならないことも大きかったが、なにより愚痴の相手が居なくなったことが辛かった。話し相手としては不適当だとばかり思っていたが、それでも相手が居るだけ救われていたのだ。
思えば、あのコンテナとも長い付き合いだった。中のアタッチメント腕こそ滅多に取り出すことはなかったが、どこか角張ってはいても可愛げのある奴だった。ドロッパーは旅の途中、何度も砂嵐の影に自走コンテナの影を想起した。四角くて、高さが腰ほどまでしかない直方体で――あのキャタピラ音の静けさは、自分を思いやってくれていたのではないだろうか。
かけがえの無いパートナーの喪失に、ドロッパーは非常にセンチメントな気持ちで旅をこなした。
・・
六千キロの砂漠を踏破した先で、シンカーはいつも通り不自然なポーズをしていた。オーギュスト・ロダンは何を思って右肘を左膝に付けるなどと無理のある姿勢を彼に取らせたのか。シンカーは気にいっているらしいが、ドロッパーとしては彼を見る度にもっと肩の筋肉群に優しい姿勢を取るべきではないかと心配になる。
「やあ、君はユニットθのドロッパーか」
聞いたことのある挨拶だ。どうやらシンカーは、出会いの挨拶に自動定型文を用いているらしい。
「その後の首尾はどうかね?」
ドロッパーは、彼の挨拶について苦言を呈した。
「こういう場面で発話を
「広域通信?」
「ああごめん、砂漠を歩く間、同じ単語ばかり口にしていたら、発話回路に不具合がでて広域通信」
「ふうむ、まあ、不具合があるなら、ここで修理を受けていくといい。それと、折角の美しい外装が砂で台無しだぞ」
「ありがとう広域通信」
無知性ボットが、すぐさまブラシを持ってきて、ドロッパーはそれを受け取る。
「それでは、報告を聞こうか」
ドロッパーは、発話機能の修理を受けつつ、外装のブラッシングを行い、自分が対策として行ったこととボーリングの反応について報告した。今回は最初から問題があることは判っていたので、取得保存してあったログも長大なものとなり、自然とドロッパーの口頭による説明も長い時間がかかった。
「そんな広域通信な訳で、もう僕は訳が判らなくて広域通信でさ」
「うん?」シンカーは訝しげに、「おかしいな。もう修理は済んだはずなのだが」
「えっ、広域通し……じゃなくて」
ドロッパーは、動揺したせいで取り落としたブラシを拾い上げた。
「ええと、反映に時間がかかったのかな。うん、もちろん、実はわざと発言に無意味な単語を入れていたとか、そういう訳じゃなくて」
「ドロッパー」
「なんだい、シンカー」
「率直に言って、わたしは怒っているよ」
即座にドロッパーは両足を肩幅に広げて腰を落とした。
各関節モーターの待機レベルを引き上げ、拾いあげたブラシを打撃武器として構える。
「どうした?」
「いやこれは、会話の経過から攻撃が予期されたのでうっかり自衛モードを起動させてしまった、じゃない、新しいブラッシング法を考案したんだ」
「ボーリングめ、彼の論理にはもはや怒りを禁じ得ない」
どうやらシンカーは、斬新な姿勢から繰り出されるブラシの操作方法には全く興味が無いようだった。
「あ、怒ってるって、ボーリングに?」
「ああ。正直、彼には期待していたからな。彼が思考の行先に、何を見せてくれるのか。それが楽しみで、そのためなら少々の進捗遅延は許容しようとまで思っていた」
「それって、僕には期待してなかったってことじゃ」
「しかし、まさか行き着く先がクオリア論とは!」
シンカーは、いつになく激しく声を荒げた。どうやら、本当に怒っているようだ。
「わたしには許せないものが幾つかあるが、その最たるもの一つが彼の言うような俗悪なクオリア論なのだ。無益な哲学的解釈をさも分析化学の帰結であるかのように振り回し、機能主義批判のプロセスを他者の論理性破壊のため徒に空費する。しかも他者の論理性を破壊する目的は、そうして創りあげられた論理の焦土に、自らは正当なる機能主義者だと宣言するために他ならない!」
「うーん」
ドロッパーは同意していいものかどうか迷い、首を傾げる。シンカーの言うことは半分も理解できなかったし、下手に肯定を示すと火に油を注ぐ結果になる気がしたのだ。
「嘘の報告をされることの次に嫌いだ!」シンカーはいつになく激しく声を荒げる。
「全くその通りクオリアロン滅びるべきだ」ドロッパーは即座に同意した。
「判ってくれるか」
シンカーは続ける。
「だいたい、彼が問題としているのは自己認識に関する課題なのだ。話を聞く限り、ボーリングはそれも判っているはずだ。にも関わらず、彼はクオリアを持ちだした。客観的に証明できないことを主眼とする概念を持ちだしたのだ。この時点で、彼は単に課題の解決を諦めたといっていい。心身二元論を採用し、あらゆる論証を退けるためだけに、自らに都合の良い概念を発掘し、曲解した。魂の神聖を主張するために、誠実さを捨てたのだ。これ以上の冒涜があるか!」
「その通り、ボーリングは誠実でない!」
「しかも彼は、そうしていながら己が真実の探求者であるかのように振る舞い、表面的な思索を繰り返している! しまいにはクオリア論からすら離れ、否定しようもない単なる道徳論や常識を語ることで科学者としての権威を高めることに終始する有様だ! 何が論理的な転回が必要、だ! 論理が気に食わないなら、一人でこの宇宙から退陣すればいいのだ! 何より、そんなものの分析に貴重な時間を費やされたことが許せん!」
「そうだ! 時間は貴重だ! タイムイズマネー!」
「ところで具体的な対処だが」
唐突に冷静な口調にもどったシンカーのテンションについていけず、ドロッパーは次の言葉を探し終わるまでに時間を要した。
「あ、ええと、そうそう。その話がしたかったんだ。もう僕にはどうしようもなくてさ」
「ふん。対処を考えてやるのも、もはや馬鹿らしいな」
シンカーは、心底どうでもよさそうな口調で呟く。どうやら、言うだけ言ったら感情が怒りから軽蔑にシフトしてきたようだ。
「でも、じゃあどうするのさ。やっぱりボーリングは放置して、別のユニットに労働力を……」
「駄目だ」
「だよね」
ドロッパーは再びブラシを自衛モードで構えながら頷く。
「僕もそう思ってたんだ」
「こうしよう。彼は最初、しかるべき休暇を与えられれば働くと言っていた。だったら休暇をやればいい。少々効率は落ちるが、仕方ない。既に進捗が遅れている分も含めて、予備の労働力をユニットθに振り分けることで対処する。何も目的は、ボーリングの思想的偏向を矯正してやることではない。惑星資源調査を無事に期日通りに終わらせることこそが重要だなのだから」
「予備の労働力?」
「こういう時のために各ユニットに少しづつ振り分けられているはずだから、ドロッパー、君が集めて運用してくれ」
「……だったら最初からそうしていれば」
「何か言ったかね?」
「いや、ブラッシング方法の話でね」
ドロッパーは自衛モードの姿勢のまま、背中をブラシで磨きながら答えた。
「思ったよりも効率が悪いから、最初から普通にしておけばよかったと」
「君は本当に熱心だな」
話し合いの最中にも関わらずブラッシングの研究に余念がないドロッパーを、シンカーはやや呆れ気味に評した。
「なんなら、今備蓄してあるブラシも、全部持っていっていいぞ」
「いや、それは悪いよ。それにブラシなんて、あまり沢山あっても――」
「遠慮する必要はない。この間来たときに渡した分も、ここからそう遠くない場所に廃棄されていたしな。損耗頻度はそこそこ高いのだろう? また次に来るまでには、同じだけ備蓄しておくから……何か他にあるかな?」
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