3:1回目踏破
他にどうすることもできなかった。
ドロッパーは再び六千キロの砂漠を徒歩で戻った。
「おかしいぞ。なんで僕が。非効率だ。広域通信……」
歩く間、たえずぶつぶつと文句を言っていたが、自走コンテナは嫌な顔ひとつせずについて来てくれた。荷物の一番上に積んであったブラシは、固定が適当だったせいでどこかに落としてしまった。
「結局、そういうことでしょ。はいはい、分かりました。僕がやればいい訳だ」
やや感情的な偏向を含みつつも、踏破距離が三千キロを超えるまでには、ドロッパーは対策の検討を開始した。幸い、考える時間はたっぷりとあった。考える材料はボーリングとの僅かな会話ログだけだったから、頼りないことこの上ないが。
ボーリングは言った。自分たちは、機械ではないから、権利が認められなければならない。
つまり、自分たちがやはり機械であると証明すれば、ボーリングの論理は覆される訳だ。
「こんなのやっぱり浪費だよ。非効率だ。不合理だ」
ドロッパーは計画を実行した。シンカーが彼に与えた上位権限は正しく
「非効率だ。不合理だ。どうしてレアアースでこんなものを作らなきゃいけないんだ。そもそも僕らはこれを探しに来たはずなのに」
そうはいっても、他に素材はなかったし、他の方法も思いつかない。
ドロッパーは潤沢な資源を使って、高さ十メートル、幅十五メートルにも及ぶ、巨大な鏡を作成した。製法はナノマシンによる培養的工程と、ドロッパー自身の手仕上げによる鏡面磨きだ。 最初は自前の自走コンテナの上で金属板を作り出して磨いていたが、金属の重量が増して1つの自走コンテナでは運びきれなくなると、通りすがりの別ユニットから同型のコンテナを強制的に徴収した。
帰りの六千キロを踏破し終わるころには、過酷な
・・
「帰ったか、ドロッパー」
顔を合わせるなり、ボーリングは言った。
「生命について話そう」
「……君が話したいというならそれもいいけど」
ドロッパーはげんなりして応じる。ボーリングは旅立つ前と全く同じ場所で、同じ姿勢のまま立っていた。本当にあれから、ずっと何もしないで居たらしい。重機めいた油圧四本足も、天高くそびえるボーリングパイプも、一ミリたりとも稼働した形跡がないという事実は、ドロッパーをひどく憂鬱な気分にした。
「ただ、先に僕から話してもいいかな。ちょっと見て欲しいものがあるんだけど」
「ふむ」
ボーリングは、ドロッパーに一定距離でついてくる二十四台の自走コンテナを確認した。コンテナ群の上には、巨大な貴金属の一枚板が横たわっている。
「鏡だな」
「そう、鏡だ」
「では鏡について話そう。鏡とは、主な可視光を反射する物体ないし道具だ。左右が逆転して見えるがこれは実は逆転しているのは前後で――」
「定義だけなら、僕も知ってるよ。ボーリング」
ドロッパーは、ボーリングの講釈を首を振って遮る。
「だけど、僕の言いたいことはそうじゃない。ボーリング、実際に鏡を見たことって、今までにあるかい?」
ボーリングは、話を遮らえて不機嫌そうだ。
しかし、こちらの話には興味を引かれないでもないらしく、「無いな」と短く答える。
「だろ? 僕も無かった。なにしろ、生まれてこのかたずっと砂漠暮らしだからね。だから、作ってみることにしたんだ。定義を知っているのと、経験があるのとでは、天と地ほどの差がある」
今度の話には、ボーリングはむしろ感心したようだ。
「確かに経験の有無は重要だ」
「最初は何とか金属ガラスを作って、その上から純パラジウムをメッキしてやろうと思っていたんだけどね。ガラスは数ができないし、砂漠は砂が多くてメッキも難しいしで、上手くいかなかった。それでちょっと反射率は劣るけど、ニッケル合金を磨き上げることにしたんだ。ナノマシンで一枚板を培養したら、仕上げは手作業のサンドで」
ボーリングは驚いて言った。
「大変な手間じゃあないか」
「でもそれだけの価値はあったよ。たしかに経験は定義とは違った。ちょっと説明はし辛いんだけど」
「そうか」
ボーリングは鷹揚に頷いた。
それから、何かに気づいたように急にそわそわしだした。
ドロッパーは敢えてなにも言わず、彼が自分から口を開くまで待ち続けて、
「ところで君の後ろにあるものだが」
とボーリングが話しかけてきた時には、かすかに右手を握ってガッツポーズをとりさえした。
「その鏡は、ドロッパーが使うにしてはずいぶんサイズが大きいな」
「うん。これはね、ついでだからボーリングでも使えるサイズで用意してみたんだ。ほら、僕は何か水たまりでもあれば似たような体験はできるけれど、ボーリングはこんな機会でもなければ、一生鏡なんて見ることがないだろ。一度、君も生の体験ってやつを持っておいた方がいいと思ったから」
ドロッパーは考えていた通りの台詞を一気に喋ってから、思いついた一言を最後に付け加えた。
「その、君のために」
「わたしのために!」
ボーリングは声を上げて、激しく体を揺らした。
「わざわざわたしのことまで考えてくれるとは。わたしは本当にいい友人を持った」
「気にしなくていいよ」
ドロッパーは、意識して声色を半音あげて答える。
「君のようなサポート機が作業についてくれていて、わたしは本当に幸運だ」
「……作業してないけどね」
「何か言ったか?」
「気にしなくていいよ」
ドロッパーは、意識して声色を半音あげて答えた。
「そういう訳だから、せっかく試してみたらどうかな」
そうだな、と呟いて、ボーリングは油圧式四脚を踏ん張った。ズシンズシンという重低音と共に、荒れ地に適した樹脂製の足先が砂漠に突き刺さる。
「それでは早速、君の好意を受け取るとしよう。やってくれ、ドロッパー」
「ん?」
ドロッパーは言われた意味が判らず、一音階分高くなった声のまま、
「やってくれって、何をだい、ボーリング」
「鏡を立ててみてくれ。地面と並行なままではわたしの全身を映すことは困難だからな」
え、と呟いて、ドロッパーは振り返った。
当然のように、自走コンテナ群は沈黙している。キャタピラは鏡の重さで半分砂に埋もれかけていて、もちろんクレーンの類は搭載されてなどいない。
それ以前に、砂漠は常時強風が吹いていて、とても薄い金属の大板を立てられる環境ではない。
「あー……いやその」
ドロッパーはゆっくりとボーリングの方へ首を戻した。
「これそういうタイプの鏡じゃないから」
「使い方によって区別があるのか」ボーリングはまたしても感心した風だった。
「ええと、そうらしい。恐らく通俗的な区別らしくてたぶん辞書には書いてなかったらしいけど」
「ずいぶん曖昧なのだな」
「そうなんだ。しかたなくて。だから、ええと鏡の上に立つようにしてもらっていいかな。このままでいいから」
「わかった」
ボーリングは言われた通りに動きだした。
まず地響きを立てて二十四台の自走コンテナに歩み寄り、三本足でしっかりとバランスをとると、残り一本の足で鏡の板の上にゆっくりと体重をかけた。体重のかかった部分のコンテナがメキメキと音をたてながら砂に沈み、足の輪郭に沿った部分の鏡がバキバキと音をたてて割れた。次いで、鏡の上にある足を軸に移動しつつ二本目の足を鏡に載せると、その部分のコンテナと鏡も同じように音をたてて圧壊した。三本目の足を載せた時には、奇跡的に鏡もコンテナも軋みをあげただけで負荷に耐え切ったが、かえってそのせいで事態は悪化し、最後の四本目を鏡の上に乗せると同時に鏡全体への負荷がまんべんなく増加、残った全てのコンテナが板に押し潰される形で砂漠の一部となった。
ドロッパーは、思わず今壊れた部分の鏡面仕上げにかけた労力を独自の基準に基づいて数値化した。それから自走コンテナを徴収したときの元の持ち主たちの顔を思い浮かべた。最終的に、それら全ての記録を意図的にメモリから消去した。
「どうした。地平線がそんなに珍しいか」
「……ちょっと遠くを見たくなって。それよりどうかな。鏡を見た感想は」
「うむ……これは」
やっと平行になった鏡の上に立って、ボーリングは機体下面のカメラのピントを調節した。それから、納得がいかない様子で、一度合わせたはずのピントを何度も繰り返し調節し、しまいには足を不自然に屈めてカメラ自体を鏡に近づける。
「思っていたものと、だいぶ違うな」
「そうだろ」
「今の今まで、わたしは、自分を鏡に映した時に見える姿なのだから、当然設計図面通りの、油圧四脚式の大型作業モデルに即した姿を見ることができると思っていた。つまり……なんというか、あまり的確な例えではないが、大型草食獣か、あるいは蜘蛛のような姿だ。外面はビビットな黄色で塗装されていて、ボディの上部には長いボーリング・パイプが突き出て勇壮な」
「ふむ」
「しかし、この鏡に映った姿はどうだ。まるで……まるでこれは思っていたのと違う。扁平だし、四本足もボーリング・パイプも無い。全く黄色く塗装されてる形跡もない。これは……これは一体、どういうことだ」
ボーリングはショックを受けた様子だ。たぶん鏡にボーリングが思った通りの像が映らないのは、横からではなく下から鏡に映っているせいだったが。
ドロッパーは、ボーリングが存分に鏡を観察できるだけの時間待ってから、質問した。
「僕からは鏡は見えないけれど、どうかな、その映った姿っていうのは、例えば金属で出来たボルトや、古いグリスで濡れたチェーンや、大型モーターを収納したカバーなんかがついているんじゃないかな」
「ああ。あるな」
「それに、二重レンズのカメラや、冷却水を通すパイプや、電力をラジエーターに通す絶縁コードも」
「ああ。確かに鏡に映っている」
もちろん、ドロッパーはボーリングの身体を見上げながら話しているのだ。ドロッパーは続ける。「そういうものがついてる存在っていうのはさ、たぶんだけど、機械っぽいよね」
「高い確率でそう言えるだろうな」
「僕達は、機械ではないから、権利を認められるべきなんだっけ」
ここに至って、ボーリングも、ドロッパーの意図を察したらしかった。
「……少し待ってくれ。考える」
もちろん、いいとも。ドロッパーは余裕を持ってそう応じた。考える時間がいくらあっても、結論は変わらないという確信があったのだ。
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