2:往路~復路(1回目)

 もはや、事態は自分の手に余る。


 そう判断したドロッパーは旅立ちの準備を始めた。より上位のユニットに、判断を仰ぐ必要がある。念のため、ボーリングにも現場を離れる許可を求めたところ、「君にも休暇をとる権利は認められるべきだ」と、あっさり認められた。

 惑星ホッフェントリッヒは砂漠性の岩石惑星であり、地表は全て目の細かい砂に覆われている。道路や滑走路など輸送設備の建設には馴染まないので、移動は全て各ユニットの独自機能によって行わねばならない。つまりドロッパーの場合は、徒歩だ。


「だいたい、非効率すぎるんだよ」


 赤茶けた砂漠を進みつつ、敢えてドロッパーは音声を発し続けることで、自己機能の保全とチェックに務めた。目的地についたところで、報告するための声が出せなくなっていたというのでは話にならない。彼の背後には、アタッチメント腕とメンテナンス器具を格納する自走式コンテナが、一定距離を保ちながらついて来ている。


「いくら維持に手間がかかるっていっても、広域通信網ぐらい用意しておけばよかったんだ。各ユニットの目的同期が行われているから、通信の必要がないなんて。そんなこと考えなきゃ、ボーリングがあんなことを言い出すこともなかった訳だし」


 残念ながら、自走コンテナは愚痴の相手としては不適当だった。


           ・・


 六千キロを踏破し、シンカーのユニットへ到着する頃には、ドロッパーは三つのバッテリーと四本の汎用シャフトを使い潰していた。

 シンカーというのは、資源調査事業の最上位に位置する個体だ。


「やあ、君はユニットθのドロッパーか」


「やあ、シンカー。ちょっと、判断してほしいことがあって」


「待ちたまえ。折角の美しい外装が砂で台無しだぞ」


 無知性ボットが、すぐさまブラシを持ってきて、仕方なくドロッパーはそれを受け取る。

 シンカーは、据え置き型の分析機として、事業全体の立案と進捗管理、労働資源の配分、データの取りまとめ等を行なっている。他の個体と違い、シンカーは作業機械としてのボディを持たない。だからだろうか、彼には、ロボットの外観に不必要な美意識を求めるところがあった。

 まあ、確かにシンカーの見た目には、ドロッパーも敬意を払わざるを得ない。

 未開惑星の砂漠に、オーギュスト・ロダンの『考える人シンカー』が鎮座している姿には、設計者の卓越したジョークセンスを感じる。


「ここに来るために、大変な浪費を強いられたよ」

 ドロッパーは、ブラシで頭の上をおざなりに払いながら尋ねた。

「通信網の確立に着手する気はないのかい?」


「うむ。確かにこんなことがあっては、基地局維持のコストを負担する覚悟を固める他ないだろうな。しかし、それも今回の問題が解決してからだ。ユニットθの作業進捗の大幅な遅れの件だろう。何があったのかね」


「判ってるなら話が早いや」


 ドロッパーは、ボーリングの件を説明した。


「なるほど」

 シンカーは、訳知り顔で頷く。

 といっても、『考える人』の首が、ちょっとだけ内側に曲がっただけだが。

「面白いな」


「面白い? こっちはそれどころじゃないんだけど」


「いや、すまない。だが、やはり面白いよ。ボーリングの主張はある意味では的外れでない。我々自立知性型ロボットを生命と呼んではいけない理由はないのだ。何というか、天然の産物ではないから、多くの文化的テキストが誤認しているがね。そうしたテキスト上の誤謬にも関わらず、新規の知識に触れるチャンスがなかったはずの作業機が、内的な思考プロセスのみでその事実に辿りついた。これは、うむ、面白い。考慮に値する」


 ドロッパーには、シンカーが何を面白がっているのか、よく分からなかった。


「ええと、ボーリングの言うとおりにしてやればいいってこと?」


「いや、ボーリングの主張を正当と認めることは出来ない。彼の論理には、事実誤認に基づく倒錯がある」


「……とうさく?」


「生命体であるから、人間であるから、人権が認められる訳ではない。事実はむしろ逆だ。権利を認めたい対象が先にあり、その対象を恣意的に認定するのだ。認定に当たって、認定対象を神の創りたもうた存在、すなわち生命と呼んだのが、生命概念の始まりだった訳だな。奴隷制度や、無脳症児、中絶に関する議論が象徴的だろう。社会が権利を与えたい集団だけを生命と呼び、そうでないものは生命とは呼ばない」


「……………」


「生命とは純粋に社会的な概念なのだ。もっとも、そんなことはまず辞書的データベースには書かれて無いから、勘違いは無理もない。"生命とは何か"という問いには、生物学という分野の既得権益が関わっているから、辞書編纂にも大きな偏向的影響があったのか――あたかも観測的事実から生命特有の特徴を導き出すことが可能だと言わんばかりの定義が一般的になっている。実質的に、神を観測しようとするのと同じぐらい非現実的な行為だというのにだぞ。生物学という名にいつまでも固執するからそうなる。非人工機械リバースエンジニア学とでも改めればいい」



 ドロッパーは、途中から話を聞くのを止め、パーツの継ぎ目の砂をブラシで落とす作業に専念していた。



「ところで具体的な対処だが」


「あっ、そうそう、その話がしたかったんだよ」

 膝の裏をブラシでほじくりながら声を挙げる。

「ちょっともう僕にはどうしようもなくてさ。出来れば、一緒に来てボーリングのこと説得して欲しいんだけど」


「残念ながら、それはできない。わたしがここを離れれば、別のユニットでも進捗遅延が発生する」


「でも、じゃあどうするのさ。ボーリングは放置して、別のユニットに労働力を振り分けるとか?」


「この件については」

 シンカーは、そこで一度言葉を区切った。ブロンズ像の台座が半ばから駆動し、モーター音と共に百八十度回転する。シンカーとしては何か背中で語る雰囲気を演出したいのだと思われたが。ドロッパーはつま先から足裏にかけてのブラシ処理の為地面に座り込んでいたので、結果としてはブロンズ像の猫背の尻が頭に向けられる格好になった。

「君に一任するつもりだ」


「え」

 信じがたい発言に、ドロッパーは、手首のスナップでブラシを微細振動させようとする試みを中断した。自分が何を言われたのか、改めて検討してから、尻に話しかける。

「いや、だからさ、僕にはどうすればいいのか判らなくて」


「試行錯誤の必要があるだろうな。君のシステム権限を引き上げよう。root権限とはいかないが、それに近いものは用意できるから」


「そうじゃなくて――」


「他にも可能な限りの協力はするつもりだ。帰りの分の替えバッテリーや資材も、好きなだけ持って行きたまえ。ああ、今持っているブラシも、持って行ってかまわないとも……何か他にあるかな?」

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