第7話 炬立達也

 その日の放課後。部活動代わりに行われる軍事訓練も今日は休み。達也は学校で一度利市や翔奈と別れると、とある場所へと向かっていった。


 旧盛岡市の中央市街。中央市街とは言っても、その街並みは寂れきっていた。


 基本的な景観は21世紀以来時が止まり、片田舎の地方都市の面影を残している。そして現在ではその21世紀当時とは比べ物にならないほど人口も減少し、街も廃れの色を濃くしている。


 彼が歩いているのは旧奥州街道だった。北はあの二戸市まで続いていく中央道。両側にはガソリンスタンドやファストフード、大型量販店だったと思われる廃墟や、それらを改造して作られた住宅などが並んでいる。


 しかし、本来4車線にもわたる大通りにも関わらず歩く人はまばら。時折行きかう車は黒煙を上げる錆びたボロ車ばかり。防衛軍の最新装備とは大違いである。軍需企業ナトリの専横が色濃く反映された様相だ。


 そして、街の至る所には激しい焼跡が残っているのが見えた。7年前に旧盛岡市を襲った『旧盛岡大空襲』。その爪痕が未だに残っているのだ。


 7年前のその日、旧盛岡市の上空には10000匹にも及ぶ大量のオフトゥンが急遽飛来した。


 前線に配備されていたはずのレーダーはその日に限って停電により機能を停止しており、市民の住む旧盛岡市までオフトゥンの直撃を許してしまったのである。


 旧盛岡市に駐屯していた防衛軍は必死の抵抗を試みるも、あまりのオフトゥンの多さに手も足も出なかった。


 激しい枕爆撃に、直接オフトゥンに包み込む快楽地獄。結局、旧盛岡市民の死者行方不明者7000人及びコタツムリ10000人もの被害を出す大惨事となったのだ。


 その中には旧盛岡市に駐屯していた利市の父や、たまたま旧盛岡市に帰っていた翔奈の両親、更に達也の母親までもが含まれていた。その日は、旧盛岡市に住む市民全員の脳裏に焼き付いた悪夢の日なのである。


 結局、その復興さえ7年たった今でも完全には終わっていない。中央政府の政治家は地方の意見を無視し、自らの保身や首都仙台への物資の横流しで手一杯なのである。市民の不満は募る一方だ。


 達也はそんな街の一角に立つ古い病院へと足を踏み入れていった。家からも学校からもそう遠くない精神病院。看板には盛岡市立精神病院とうっすら書かれている。


 彼は入り口の自動ドアを潜り、受付へと歩んでいく。


「あら達也君いらっしゃい。今日もお見舞い?」


 声をかけてきたのは最近この病院に赴任して来た看護婦さんだった。ネームプレートには鈴木の文字が刻印されている。


 まだ三十代にも差し掛かっていなさそうな雰囲気。この地方では少なくなってしまった若い女性の就労者である。


「はい。一週間に一度は母に会いに来るって決めてるんです」

「偉いわねぇ。確か達也君のお母様は7年前の……」

「そうです。通ってもいいですか?」

「ええ、面会は特に止められてはいないわ。むしろわざわざ面会に来るのも達也君ぐらいよ」


 その看護婦は軽く皮肉っぽい口調を混ぜて達也に返事を返した。達也は小さく礼を言うと、病棟の奥へと進んでいく。


 病院の中は驚くほどに静まり返っていた。行きかう人もほとんどおらず、時折医師や看護婦さんが通っていくだけ。入院している患者の家族やなんやがいてもおかしくなさそうなのに、それっぽい人は一人も見当たらない。


 病院特有の薬品の匂いがツンと鼻を刺激する。達也はこの臭いがあまり好きではなかった。だが、そうも言ってはいられない。


 彼は二階の奥にある病室の前に立った。211号室、ネームプレートには炬立啓子カケダチ ケイコの文字。彼の母親の名だ。


「母さん。今日も会いに来たよ」


 彼は横開きの戸を引いた。その病室は4人部屋だった。手前のベッドには二人、壮年の屈強な男性が横たわっている。しかし、彼らの目は見開かれていた。


 そして唯小さくうわごとのように


「あぁ……あったかい……あったかいよぉ……」


 などと口走っている。達也はその男性たちを通り過ぎ、右手奥にあるベッドの横に立った。


「はぁ……あぁ……ああ……あったかい……」


 そこにはやせ細った老婆のような女性が横たわっていた。全身の肉は落ち、顔は皺だらけで骨が出張っている。そして手前の男性二人と同じように目を見開き、うわごとをひたすら口走っている。


 彼女こそ達也の母親であった。このような見た目だが、実年齢はまだ40にも満たない39歳。7年前の盛岡大空襲で飛来して来たオフトゥンに包まれ、何とかすぐに助け出されたもののコタツムリと化してしまったのだ。


 未だコタツムリを治療する術は見つかっていない。ただ全身に栄養補給用のチューブを繋げられ、莫大なコストをかけながら死ぬまで養生するしかないのである。


 減少すること無くただ増加するコタツムリ。これこそナトリ連邦の財政を圧迫する第一の理由となっているのは否定できない。


「ああ母さんったら、先週持ってきたパンは食べてくれなかったのかい? カビが生えちゃってるよ」

「あ……あぁ……」


 達也が話しかけても、母親からの返事は無い。彼は根気強く自らの母親に話しかけながら、身体を拭き、服を変え、世話をしていく。


「先週旧二戸市で大規模な防衛戦があってね。そこで初めて1人でコタツを倒したんだ! まあ利市のお陰な所もあるけど……でも、それで上等兵に昇進したんだよ!」

「……はぁ……あぁ……」

「今日はまた利市と廃品回収に行くんだ。良い収入が入ったらまた母さんにチョコレートを買ってくるからね。この田舎じゃあ贅沢品なんだから、絶対食べてよね」

「……うぅ……あぁ……」

「ねぇ……母さん……母さん……僕は……どうしたらいいのかな……コタツとの共存なんて、やっぱり無理なのかな……」


 無意識に目頭が熱くなる。視界が歪み、母親の顔が視界から消える。母親との時間は唯一彼が心の中の弱みを曝け出せる場だったのだ。


「母さん、また来るね」


 ひとしきり母親との時間を過ごし終えると、彼はまた静かな病院内を歩いていった。達也はともかく、コタツムリの家族は普通面会になど来たがることは無い。自分の親しかった人が廃人と化している様子など誰が見たがるだろうか。


 おまけに医療費もただでは済まない。コタツムリの悲劇。それはもしかしたら死よりも酷い仕打ちなのかもしれない。


 達也は一度、自分の家へと帰っていくのだった。



 ――――――



 旧盛岡市南部のとある古びた建物。四角くコンクリート張りという立派な造りのその建物だが、白い壁は黒く薄汚れ、年紀と管理不足の両方を感じさせてくれる。


 そこはかつて図書館だった。


 昔は数々の本を治めていた公共施設だったが、今は本はそのままに、それを上手く改装して何人かの住民が住みつく公共アパートのような状態になっている。


 その中の一階入り口付近に達也のガレージはあった。ただのインテリアと化した本の壁に囲まれて、カウンターを改造した机や椅子、そして古びたバイクや自転車、更には旧型のレーザー式機関銃までもが辺りに無造作に置かれている。


 彼は高校生として軍に属する傍ら、自身のメカニックとしての腕を活かして修理工場を営んでいたのだ。少しでも経済的な困窮を減らそうという自営のアルバイトのようなものである。


 彼がメカニックとしての知識を得たのは主に父親の影響があるだろう。彼の父は代々伝わるこたつ職人の末裔だったのだ。


炬立タケダチと言う苗字はな? 炬燵こたつの「炬」に立つと書くんだ。読みかえれば炬立コタツとも読める。つまり、俺やお前は生まれながらにしてこたつ職人としての使命を負っているんだ」


 これは、達也の父炬立裕也タケダチ ユウヤが口癖のように話していた言葉である。その轍を踏んで、彼の父はこたつ職人としてこの時代にあってもコタツを作り続けていた。


 しかし、コタツは人類の敵だ。それと同じ姿かたちの『こたつ』など、いくら唯の暖房器具であっても欲しがる者はいない。よってその副業として、達也の父も達也も機械修理を営んでいたのだった。


 結局、彼の父はこたつを作り続けたことから変人扱いされ、終いには身体を壊して旧盛岡大空襲の直前に病死してしまった。彼は死の直前、


「……達也……お前ならわかるはずだ……コタツは俺達の敵なんかじゃない……コタツはな、俺達を暖めてくれる素晴らしい暖房器具なんだよ……俺はその魅力に惹かれ、コタツを作り続けてきた……達也、頼む。皆にこのことを教えてやってくれ。コタツに暖められ、そして暖めてやることが出来ればきっと、こんな戦いは終わるはずだと……」


 という言葉を残した。この言葉の意図は今でも達也は理解しきれてはいない。もしかしたら、変人扱いされたことによる精神的ショックでおかしくなってしまっていたのかもしれないとも思う。


 だが、この言葉は今でも達也の心の中に残っていた。コタツとの共存。それは達也の心の中に芽生える大きな目標のうちの一つだ。


 そしてその直後、彼の母親は旧盛岡大空襲でオフトゥン形態のコタツに襲撃され、コタツムリと化してしまった。


 彼はそれ以降、コタツと人類との戦争自体への怨恨を加速させていくようになったのだ。


 いつまでもいつまでも泥沼のように戦っているから、彼の母はコタツムリと化してしまった。もっと早く戦いが終わっていれば、彼の母は今でも無事なはずだったのだ。


 彼は思う。ならば戦争を最も早く平和に終わらせる方法は何か? 人類の滅亡でもコタツの駆逐でもない。


 コタツとの共存。


 それこそ、この憎き戦争を終わらせる最も早く確実な方法なのではないか、と。


「……よし……もう少し……」


 普段は依頼された機械修理をこなす達也だが、今日は薄暗いランプに照らされたガレージの一角、元は図書館の書庫だったという作業部屋に籠り、何かを黒い小さな塊で削っていた。


 本の壁に囲まれる中、ごちゃごちゃと物の置かれた机から金属同士が激しくこすれ合うような音が辺りに響き渡る。


 彼はまだ制服のままだった。黒い学ランを着こみ、目の前の作業に集中する。


 彼が削るのは薄い板状になった正方形の塊。色は茶色く、木目のような筋が無数に走っている。そして彼がそれを削るのに用いているのは以前旧二戸市防衛戦の最中拾ったあのコタツ天板の欠片だった。


 一片が鋭くナイフのように尖り、その面を使って器用に板状の塊を少しずつ少しずつ削っていく。


「……出来た!」


 彼はそう叫ぶと、背もたれ付きの椅子にどかっともたれかかった。自らの削り上げた作品をまじまじと見つめる。


 彼が削っていたのも実はコタツの天板だった。旧二戸市防衛戦よりも前に手に入れた原寸大のコタツの天板。それをガレージ持ち帰って何とかして削り取り、ミニチュアサイズの天板を作成していたのである。


 形も薄さもばっちり。大きさだけを小さくしたコタツの天板である。


「あとはこの骨組みと組み合わせれば……」


 彼はその手のひらサイズの天板を近くに置いてあったミニチュアサイズのコタツの骨組みの上に乗せた。ここまでこの天板削るのに約1年かかった。流石は未知の物質、加工も一苦労である。


「うーん……」


 達也の目の前には、骨組みの上に天板がのっただけの小さなコタツ。天板も骨組みも、本物のコタツの死骸を加工して作ったものだ。


 彼がこんなものを作っているのは何も趣味の話ではない。彼は軍への出征でコタツを作ることは無くなってしまったのだが、別の形で父の願い、そして自らの意思を叶えようと努力していたのである。


 それこそ、本物のコタツの死骸を用いた「人工コタツ」の作成である。


ミニチュアサイズなら本物のコタツのように人間に害を及ぼすこともないだろうし、もしかしたら意思を通じ合わせることもできるかもしれないと彼は考えたのだ。


 知能が観測されたことは無いコタツ。だがその体の復活時には他の家電製品や電子基板に融合することがあるとされている。


 実際、これまでの戦いでも一部洗濯機のような構造をくっつけたコタツやレーザー機関銃を取り込んでそれを撃ち込んできたコタツも観察されているのである。


 もしそこに人工知能なんかを取り込ませてみたら? 知能を持つこともあり得るのではないだろうか。人工知能ならプログラミングのプロの利市がいる。既に彼には半年ほど前に人工知能の作成を頼んであるのだ。


「やっぱり核が無いと駄目か……」


 がっくりと肩を落とす達也。もしかしたら骨格を組み立てるだけでも生命を宿すかもしれないと淡い期待を描いていたが、それもいとも簡単に打ち破られる。


 核と言えば恐らくコタツの生命の源とされている器官。それさえ無事ならば、奴らは無限に身体を再生することが出来るのだ。


 その分、入手するのは困難である。そもそもコタツに近づくのが危険なうえ、核だけを取り出そうとしても身体が復活してしまう。だからといって核を破壊してしまえば、核は掛布団と同様に蒸発して跡形もなくなってしまうのである。


 ナトリのコタツ研究所でもまだ核単体を単離したという話は聞いたことが無い。


「……ん?」


 すると、彼の背後でピリリという電子音が鳴った。振り返ると、棚に置いてある彼のナトリグラスに着信が入っている。軍の関係者しか配給されていないはずの情報端末。案の定相手は利市だった。


「もしもし?」

『おい達也遅いぞ! もう30分も校門の前で待ってるんだ。メカの修理なんぞおいてさっさと来い!』

『そうそう。女の子を待たせるなんて、達也もプレイボーイになったものねぇ』

「あっ! ごめん今行く!」


 利市のやらしい声の後ろからは翔奈の呆れた声も交じる。人工コタツの製作に夢中になっていた達也。気づくと時間は夜の7時をとうに回っていた。


 彼は製作途中の人工コタツを一度机の端に放り出すと、護身用のレーザー式ブラスターLY-18とコタツ天板製のマシェットナイフだけを持って、本だらけのガレージから外へと飛び出していくのだった。


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