第4話 更なる悪夢

「はぁ……はぁ……」


 達也は朽ち果てたアスファルトの上をただただ駆けていた。


 背後では未だレーザーの飛び交う音が聞こえ、時にはコタツに襲われた兵士の悲鳴が混ざる。所々裂け、雑草が飛び出したアスファルトに足をすくわれそうになる。


 肩に抱えたレーザー式自動小銃CLAR-11がだんだん重くなり、腰もとにつけたマシェットナイフが足を揺すって余計に体力を消費する。


 そもそも全装備合わせて20キロを超えるのだ。いくら訓練していたとはいえ、そう長い距離を走れるものでもない。


『ほらほら走れ走れ。もうすぐ奴らが来るぞ? ま、二階級特進で俺の階級を今すぐ抜き去りたいんだったら足を止めるのもアリかもな』

「はぁ……はぁ……ナシに決まってるでしょ……」


 そんな状況でもへらへらとした声で冗談を投げかけてくる利市。達也には最早その冗談に言い返す体力すら残ってはいない。


「……見えた……!」


 どこまでも続く旧奥州街道。左右の風景も荒廃しきった街並みが広がっているだけだ。そんな街道の先に、ようやく二つ目の防衛ラインが見え始めた。


 横一直線に土嚢を築き、所々に109式戦車が配備されている。振り返ればさっきまで彼のいた戦場は遠い彼方へと遠ざかっていた。ここからでもキラキラと青い閃光や爆炎が飛び交う様子が見える。相当な激戦となっているようだ。


『第二防衛ラインまであと300メートルだ。運が良いな。今回も命拾いをしたんじゃないか?』

「はぁ……さぁね。そうだといいんだけど」


 素っ気ない返事を返し、重い体を揺すってただただ駆けていく達也。どれだけ走っても中々第二防衛ラインは近づいてこない。体感では1時間も2時間も走っているように感じるのに……


もしかしたら、第二防衛ラインは自分と同じ速度で遠ざかっているのかもしれない。そんな風にも思えてしまう。


「はぁ……はぁ……あと少し……」


 しばらくの後、達也は第二防衛ラインの付近まで辿り着いた。もう土嚢は目と鼻の先。


 土嚢の向こうでは第一防衛ラインの戦況に戦慄する兵士たちが慌てて行きかう様子が見える。もしかしたらもう第一防衛ラインは突破されてしまったのかもしれない。


 とはいえ、達也は何となく違和感を抱いた。


 振り返っても、まだ地上にはコタツの姿さえ見えてはいない。それなのになぜあそこまで防衛ラインの兵士たちは慌ただしく行きかっているのだろうか。見事に誰一人として、達也の存在には気付いてはいない様子である。


「はぁ……せっかくここまで来たのに、迎えは無いみたいだね」

『……』

「……利市?」


 何とか防衛ラインの目の前まで辿りつき、安心する達也。珍しく自分から利市の方に言葉を投げかけてみる。


 だが、返事は無かった。いつもならいやらしい口調で嫌味を返してくるところなのに、何も言い返してこないのだ。


 自分に気付かない前方の兵士、そして沈黙する利市。何となく、達也の頭に嫌な予感が過ぎる。


『……達也、止まれ』

「止まれ? どうして……」

『いいから防衛ラインには行くな。左だ。左の川に向かうんだ!』

「川って……」


 その瞬間だった。達也が言葉を漏らした瞬間、目の前に迫っていた第二防衛ラインの一部が突如爆発炎上したのである。


「うわっ!?」


 鋭い爆音と熱線が達也の全身を襲う。達也は思わず手で自分の顔を覆った。そして、恐る恐る再び前を見る。


 そこには、炎上する第二防衛ラインがあった。もうもうと上がる黒煙、弾ける土嚢、ひしゃげた機関銃と戦車、そして散らばる同志の死体。


 負傷する兵士たちは、皆一心に空を見上げて、恐怖の表情で空を指さしているのが見えた。達也もそれに釣られて振り返り、空を見上げる。


 すると、そこには更なる悪夢が広がっていた。


 雲一つなかったはずの空。そこに、無数の白い何かが飛行している。数は1000はいるんじゃないだろうか。飛行している高度もそう高くはない。


 そいつらはひらひらと薄っぺらい身体をくねらせながら空を飛んでいた。形は長方形で、奥行きはほとんど感じられない。まるで一反木綿のようにこちらへと飛来してくるのである。


 あれは『オフトゥン』。コタツの飛行形態だ。

 

「お、オフトゥン!? な、何故ここに……」


 それは達也にとって、いや防衛軍の兵士に取って最悪の敵と言ってもよかった。コタツの天板や骨組みを収納し、布団だけの状態になって飛行する飛行形態。


 地上形態時は掛布団だけだった羽毛状組織も掛布団と敷布団に分離し、終いには電気毛布までついて3つの層が重なり合った状態になるのだ。


 もちろん人類を堕落させる性質はそのまま、薄い体で飛び回り、人類を暖かい布団(電気毛布付き)の中で堕落させようと襲い掛かってくるのである。


 そしてあのオフトゥンの厄介な所は、羽毛状組織から分離した小さな爆発性の塊を投下し、強力な爆撃を行ってくるところにある。


 まず爆撃で人類の抵抗力を削いだ後、降下して人類を堕落させにかかるのだ。それを防衛軍の兵士たちは2つの意味を込めて『枕爆撃』と呼んでいた。


『達也急げ! もう枕爆撃は始まってやがる。数秒後には奴らが地上に降りてくるぞ! とにかく川に飛び込め。そうすれば奴らは追ってこない!』


 夥しい数のオフトゥンに覆われた空から、利市の声で意識を引きずり下ろす達也。返事をする間もなく、彼は旧奥州街道の東を流れる馬淵川の方へと駆けた。


 さっきまで感じていたはずの装備の重さも忘れ、とにかく川の方へと駆ける。背後からは飛来するオフトゥンの鳴き声と恐怖におののく兵士たちの悲鳴が飛び交った。


 レーザー兵器の発射音が無数に鳴り響き、オフトゥンたちが羽ばたく音が近づいて来る。


『後ろに三匹つかれているぞ! 何とか降り切れ!』


 利市の声につい後ろを振り返る達也。するとそこにはひらひらと飛行するオフトゥンが三匹、白く輝く敷布団と掛布団を広げて迫っていた。


「うわぁぁっ!!」


 彼は一度立ち止まり、肩から掛けていたレーザー式自動小銃CLAR-11を目の前のオフトゥンめがけて連射した。


 ビュンビュンというレーザー光線特有の発射音を上げて、青い閃光がオフトゥンめがけて飛翔していく。


「ジィ……ジィィィッ!!」


 そのうちのいくつかが目の前のオフトゥンのうち一匹に命中し、見る見るうちにそのオフトゥンの布団は氷に包まれていった。


 飛行する能力を失い、地面に落ちて転がり回る。取りあえずは倒しただろうが、核がまだ健在な以上すぐに復活してくるだろう。


 しかし、残りの二体は巧みな動きでレーザーを掻い潜り、達也めがけて突進して来た。一体ならまだしも、三体ではまず勝ち目はない。このままではいともたやすくあの電気毛布付きの布団に包まれ、廃人と化すことだろう。


『無理だ! 倒せるわけがねえだろう! 早く逃げろ!』

「くっ……」


 彼は再びオフトゥン二体に背を向け、川に向かって駆けだした。倒壊した廃屋の間を駆け、生い茂る雑草をかき分けて彼は駆けていく。


 最早地面はアスファルトではない。荒れ果てた草原、ごつごつとした石場。急な崖に足を取らわれそうになるも、何とか持ちこたえて駆け続けた。


 今転べば命は無い。命がけの鬼ごっこである。


「はぁ……はぁ……!」


 緩やかな坂を下り、並ぶ木々の間を抜けた達也。すると目の前には川が広がっていた。振り返る間もなく、彼は水の中へと飛び込む。


 間一髪だった。


 彼が水の中に沈む直前、オフトゥンの内一匹が微かに彼の足に触れたのである。


 彼は水の中でひたすら息をひそめた。秋の冷たい水が達也の全身を針のように突き刺してくる。目を開けると、透明な水の上を二匹のオフトゥンがぐるぐると回っているのが見える。


 奴らは泳ぐことができない。その上、奴らの知覚対象は恐らく音及び赤外線なのではないかと予想されているのだ。


 水の中に入れば赤外線では中の人間を探知することができない。奴らとしては忽然と目の前の人間が消え、ただただ混乱するだけなのである。


「……」


 十秒もすると、達也の頭上をぐるぐると回っていたオフトゥンたちは新たな人間エサを求めてどこかへと飛び去っていった。


 その様子を見て、達也はそこで初めて自分の息が限界なことに気付く。


「ぶはっ! はぁー……はぁー……」


 彼は水から飛び出し、肺いっぱいに新鮮な空気を吸った。元々全力疾走を続けて疲弊した体である。酸素を欲する量も尋常ではない。


 冷たい風に曝され、達也は更に体を震わせた。寒中水泳など初めての経験である。


 彼はすぐにナトリグラスが壊れていないかを確かめた。目の前のゴーグル型ディスプレイには相変わらず心拍数やらこの旧二戸市のマップが表示されている。


 索敵モードはやはり駄目だが、電波通信自体は生きているようだ。取りあえずは安心か。


「はぁ寒い……利市、戦況は……戦況はどうなってるんだ?」

『何だ、生きてやがったのか。悪運の強い奴だな』


 早速飛び込んでくるのは利市の毒舌である。こいつ、ナトリグラス越しに達也が見ている景色も共有しているんだから、生きていることも分かっていただろうに。


 未だ遠くからは激しい爆音やレーザーの発射音が響いて来ていた。明らかにこれまでの防衛戦とは規模が違う。


『まあいい、戦況はこれまでで最悪だな。地上からのコタツ2000匹に加えて空からはオフトゥン1000匹の増援だ。こりゃ敵側にも相当な策士がいるな』

「策士って……コタツには知能は無いんじゃないのかい?」

『物は例えだよ一等兵君。ここは直接防衛基地まで撤退した方が良いだろう。そのまま馬淵川を上って基地の辺りまで行くんだ。くれぐれもオフトゥン共に見つかんなよ?』

「なんだ、心配してくれてるのかい?」

『当たり前だ。さっきはああ言ったが、やっぱり二階級特進でお前如きに一瞬でも階級を抜かれるのは癪だからな』


 決して素直に物を言わない彼である。達也としてはもう慣れたものだ。


 彼はそれを利市なりの最大限の好意と受け取ると、そのまま川の流れに逆らいながら馬淵川を南下していくのだった。


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