第5話 襲撃者
「……もうすぐ最終防衛ラインの辺りかな……?」
あれからしばらくして、達也は旧二戸市の旧市街地付近に入っていた。利市の言う通り馬淵川を南下したのだ。
この辺りは21世紀の当時には地元の学校や市役所なども存在していた辺りだという。しかし今はそんな面影などどこにもない。
荒れ果てた旧県道274号線の周りには今にも崩れ落ちそうな建物や錆びた信号などが佇み、視界はあまり良くない。
達也の耳には未だにレーザー兵器の発射音や爆発音の音が聞こえているが、あのレーザー特有の閃光は目に入ってきてはいない。
最終防衛ラインは旧二戸市南部を東西に走る旧県道24号線の上。もう少し下れば旧県道274号線と24号線の交差点が見えてくるはずだ。
『ああ。くれぐれも気を付けろよ。情報じゃあ枕爆撃は最終防衛ラインの一部にまで到達したらしい。物陰から奴らが飛び出してくるかもしれん』
「そうなのか……」
『ま、しかしまだまだ防衛基地は無事さ。犠牲は大きくなりそうだが……旧二戸市陥落まではいかなさそうだ。取りあえずは基地まで帰って来ることを目指すこったな。そうすりゃもう一度前線に行けるぜ』
最後に余計な一言を加えてくる利市。達也としては、それにいちいち反応する気力さえ惜しい状況である。
一応川から上がる時に一通り絞っては来たものの、まだまだ全身はびしょ濡れだ。寒い上に、元から重い装備がさらに重くなっている。
「はぁ……もう前線はこりごりだけど、生きて帰れるなら取りあえずはそれでいいよ」
『何だ、二階級特進のチャンスだぞ? 軍事訓練の成績も最悪のお前だ。それくらいしか昇格のチャンスは無いってのに』
「余計なお世話だよ」
短く返す達也。彼はまだ高校生なのだが、コタツの侵攻により人的物的資源が困窮した昨今、高校のカリキュラムにも軍事訓練が組み込まれているのである。
そして志願すれば高校2年生から前線に出ることも可能となる。命を張ってコタツと戦う代わりに、経済的支援や将来の進路の向上など様々な特典を得ることが出来るのである。
とはいっても、普通の高校生ならば志願して前線にまで出る者は少ない。志願する者といえば大抵はコタツに強い恨みを持つ者か経済的に困窮しているかのどちらかになるのだ。
『……しかし、今思ってもよく前線なんかに出ようと思ったもんだな。俺から誘っておいて言うのもなんだが、正直驚いたよ』
「まあね……僕だって本当にこんなところに来たくなんかなかったよ。でも……」
『なんだ。じゃあ来なかったら良かったじゃないか』
「事情は複雑なんだよ。経済的な状況もあったしね」
達也は戦いを好むような性格では決してなかった。更には学校の軍事訓練でも最下位常連。コタツに対して強い怨恨を持っているかと言うとそういうわけでもない。むしろ戦い自体に対して強い嫌悪感を持っていた。
それならなぜ彼は前線に志願したのか?
確かに経済的状況としてはコタツ職人だった父親を7年前に病死で失い、その直後に母親はコタツに襲われて廃人と化してしまったという事情がある。
後ろ盾のない状況に追い込まれてしまったのだ。母親のこともある。だがそれだけではない。
彼は思う。彼が前線に出た最大の動機……それは彼の中で渦巻くとある心情、コタツへの興味とでもいうべきものではないかと。
さて、達也はようやく最終防衛ラインのある旧県道24号線付近にやって来た。
防衛基地から500メートルほど北に東西方向に通る中規模の通り。旧二戸市方面師団はこの通りを基準として土嚢や戦車、更には対空レーザー砲を配備し、コタツに対する最後の防衛ラインを引いていたのである。ここを突破されてしまえば、あとは防衛基地本体の防衛機構に任せるしかない。
そして、そんな旧二戸市の防衛基地も開けた通りの先、少し高くなった丘の上にその黒ずんだ図体を曝していた。
これらの装備により、これまで27度の旧二戸市防衛戦でも一度としてコタツの突破を許さなかった強固な要塞である。
「重傷者は基地へ運べっ! まだ戦える者は西の方へと回るんだ!」
「急いで土塁を再建しろ! まだ使える機関銃はすぐに配備するんだ!」
「……これは……」
しかし、そこに防衛ラインは無かった。土嚢は破壊され、戦車は弾け、黒い煙がもうもうと立ち込めている。
そしてその合間を、負傷した兵士たちがあくせく行き交っている様子が見えた。重傷を負った兵士やコタツムリと化した兵士たちを担架で後方へと運んでいく。
『ドンピシャだな。さっきこの辺りが枕爆撃にやられたようだ。オフトゥンの軍勢は基地の対空砲台が全滅させたが、まだ地上のコタツが残ってやがる。油断はできねぇぜ?』
「そうだね……とにかく、手伝えることはしにいくよ」
そのまま、元防衛ラインの元へと駆けていく達也。びしょ濡れになり倍ほどまで重くなった軍服を引きずって、狂乱に陥る仲間の元へと駆けていく。
「……ん?」
その時、達也は何かを見つけた。今にも倒壊しそうな建物の合間、狭い路地に何かが落ちている。彼は思わずその何かが落ちている場所へと歩んでいった。
『おい達也、どうした?』
「これは……!」
黒光りする何かの欠片。達也が見つけたのはコタツ天板の欠片だった。
近くに放置されたコタツの天板が立てかかり、角の辺りが割れてしまっている。ダイヤモンドを凌駕する超物質。だがその天板も、力の入り方の関係などでごく稀に割れることがあるのだ。
加工技術はまだないものの、その欠片は闇市なんかでも研磨剤などとして高値で取引される。元の天板では大きすぎて使い物にならないが、いい具合に小さければ小さいほどその利用価値は急上昇するのである。
噂によれば形の良い欠片を集めるコレクターなんかもいるらしい。
「……よし」
達也はその欠片をいくつかポケットの中にいれた。そのまま、仲間の元へ合流しようと路地を抜けようとする。
『……! 達也、避けろ!』
「えっ……!?」
突如スピーカーから響く利市の怒声。振り返る達也。そこには、コタツが今にも達也を飲み込もうと掛布団を広げていた。
茶色基調の地味な柄の布団。その中には茶色でてかてかした骨組みが組まれ、更に中央にはぼんやりと赤く光る塊が。ま、まずい!
「うわっ!」
彼は咄嗟に路地の外へと飛びのいた。コタツは済んでのところで達也の身体を飲み込みえず、掛布団で何もない空間を包み込む。
だが、一瞬反応の遅れた達也はその掛け布団に左足を飲み込まれてしまった。
「がああっ!! く、離せ!!」
恐ろしいほど心地いい暖かさが掛布団に包まれた左足に広がっていく。まるであらゆる感情を包み込んで洗い流してくれるような暖かさ。な、なんだこれは!
「ぐ……食らえっ!」
だが達也はすぐに背中に背負っていた
「ジジ……ジジィィィン」
たまらず達也の左足を離し、数歩後退するコタツ。達也はその隙にコタツと距離を取ろうと立ち上がった。
「うっ……!?」
しかし、彼の左足はいうことを聞かなくなっていた。今掛け布団に取り込まれたせいだろうか。左足全体を痺れるような感覚が満たし、棒のように動かないのである。
それでもなんとか彼は左足を引きずり、防衛ラインの方を見た。
「だ、誰か……!」
しかし返事は無かった。さっきまであくせく動いていた兵士が今はちょうどどこかへいなくなってしまっている。なんという運の悪さか。
1対1でコタツと勝負など今まで経験したことが無い。訓練の模擬演習でも全て戦死判定を受けてきたのだ。勝てるわけがない!
『チッ……世話が焼けるな。達也、とにかく距離を取れ! 飲み込まれるぞ!』
「わ、分かった」
利市の指示に従い、全力でさっきのコタツから離れようとする達也。動かない左足を引きずり、少しでもコタツと距離を取ろうとする。
「ぐ……」
ある程度距離を取ったところで振り返る達也。すると、10メートルほど先に悶えるコタツがこちらに向かって歩んで来ようとしているのが見えた。
掛布団を所々氷漬けにされ、少しぎこちない動きで向かってくるコタツ。まだ動けるのか。
達也は咄嗟に銃を構え、銃口を向けたまま敵の様子を探ろうとする。
『達也! 右だ!』
「!!」
だが、機先を制したのはコタツだった。奴は咄嗟に飛びあがると、そのまま体の上部に乗っかった天板を発射して来たのである。
それを右に避けようとする達也。しかし、音速近い天板砲を避けきれるはずがない。回避駆動もむなしく、茶色い天板が彼を捉えようとする。
「ぐあああっ!」
幸い、天板は微妙に狙いを違えていた。先ほどのレーザーが効いたのだろう。天板は達也の構えた
天板が壁に命中し、音を立てて背の低いビルは倒壊していった。達也は小銃を破壊された衝撃で尻餅をつく。じんじんと小銃を持っていた両腕が痺れる。そして倒壊していくビルの粉塵が達也とコタツごと旧県道の路上を覆っていく。
「ごほ……ごほ……ど、どこだ?」
消える視界。砕けるビル。辺りは真っ白な煙で包まれる。コタツは粉塵に包まれて見えなくなってしまった。
しかし、奴らは赤外線で達也の姿を捉えているはず。限りなく不利な状況だ。
「り、利市……!」
『しっ、静かに……』
震える声で利市に頼ろうとする達也。利市の方もナトリグラス経由で入ってくる音などの情報をプログラムで必死で分析し、コタツの位置を割り出そうとしているのだ。
『とにかくマシェットナイフを抜いて待て! いつ襲われても良いようにな!』
一気に極限状態へと突き落とされる2人。心臓が高鳴り、視覚と聴覚に全神経を集中する。
達也は言われた通りに腰にかけたコタツ天板製軍用マシェットナイフを鞘から抜いた。ナトリがようやく最近になって獲得したコタツ天板の加工技術を駆使して作られた刃渡り50センチ程のロングナイフ。
金属とも言い難い独特の光沢を持ち、色は人によってさまざま。達也の場合は黒に近い茶色のナイフだ。更には鞘にはレーザー冷却装置も取り付けられ、その温度は常に氷点下200度付近に保たれている。
これでコタツを突けば瞬時に周囲の組織を凍らせてしまうことも可能だ。長い長方形のナイフには冷気が纏わりつき、ひんやりとした空気が達也の頬を撫でた。
「はぁ……はぁ……ん、はぁ……はぁ……」
「……ジィィィィン……ジィィン……」
荒げる息を飲み、コタツの襲撃に備える達也。辺りの土煙からはのそのそという足音共にどことなくあの特有の金属音が響いてくる。
くそ、一体どこにいるんだ!? 前か? 後ろか? それとも一匹じゃないかもしれない。分からない。全方位から聞こえてくるようにも感じる。一体どうしたら……
『よし来た!』
そんな折、ついに利市がデータを解析し終え、コタツの位置を割り出したようだった。興奮した声をあげ、すぐに達也に伝えようとする。
『コタツは1時の方向! 到達までの時間は……後1秒!』
「1秒⁉」
利市が言い終えるや否や、達也の頭上には再び掛布団を広げたコタツが現れた。
ぼんやりと光る核を曝し、達也を再度飲み込もうと一直線で飛びかかってくる。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
達也は絶叫しながら、咄嗟に手に持ったマシェットナイフを、コタツ中央の核へと突き立てた。
「ジィィィギギギィィジイイイィギイィジイ」
ガリっという嫌な手ごたえ。達也は思いっきり目を閉じる。同時に彼は上から掛け布団に包まれ、コタツの鳴き声に奇妙なノイズが混じる。
達也は暖かい暗闇の中でナイフを握りしめ続けた。なんという暖かさか。こんな状況なのに、今にも眠ってしまいそうである。
だが、コタツはすぐにガタガタと痙攣するような動きを見せ始めた。相変わらず鳴き声はノイズが混じり、そのノイズが徐々に頻度を増していく。
「ギギギガガガジジガガジジジジジ!!」
断末魔のような鳴き声を上げたかと思うと、途端にコタツはじゅわじゅわと蒸発するような音を上げ始めた。
一瞬前の暖かさと暗闇は去り、代わりに強烈なアンモニア臭が達也を襲う。核を破壊され、コタツの掛布団が溶け始めたのである。
「ジジ……ガガ……」
しばらくすると、辺りの掛布団が完全に溶解してしまった。その代わりに残るのは、アンモニア臭のする白い煙とコタツの骨組みだけ。赤い核は氷と共に砕け、完全に消滅したようだ。
間一髪だった。彼は戦場に来て初めてコタツを撃破したのである。
「や、やった……」
『達也? おい達也どうした!? 達也……おい……起き……』
全身が途方もない脱力感に包まれる。それと同時に、彼の意識は急速に遠のいていった。
利市のいやらしい声がどんどん曇っていく。手に持っていたマシェットナイフは力なく落ち、左足のしびれが一気に引いていく――
彼は、そのまま粉塵の中に倒れ伏すのであった。
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