第2話 撤退

 日本列島の東北地方のうち旧青森県、旧秋田県を除いた領域、及び旧新潟県北部を領土とする『ナトリ連邦』。


 そのナトリ連邦北方防衛軍は現在旧岩手県の北部各所に防衛基地を置き、旧青森県方面より迫り来るコタツに対する防衛ラインを築いていた。


 中でも、最前線に位置するこの旧岩手県二戸にのへ市には旧二戸市方面師団1万人が駐屯し、日夜国防のため厳戒態勢が敷かれていた。荒廃した町並みは21世紀当時のまま放置され、防衛基地だけが設置された辺境の街である。


 そして彼、炬立達也タケダチ タツヤが属するのは二戸市方面師団の、さらに最前線第一防衛ラインを守る前衛第三連隊F地点担当大隊だった。


 敵の侵入を防ぐために建設された鋼の壁F地点を守備する総勢500名の陸戦大隊。全長1㎞にわたって築かれた土嚢には計250門に及ぶレーザー式機関銃CLM-4が設置され、若い前線の兵士たちがハンドルを握っている。

 更に背後には40メガワット級レーザー砲を装備し、前面特殊装甲は250ミリにも及ぶ109式戦車が32両、後方支援を担当していた。


 彼らは、旧二戸市の中でも北部、旧東北新幹線と馬淵川に左右を挟まれた旧奥州街道の路上にて第一防衛ラインを築き、臨戦態勢に入っていたのだ。


 事の発端は数刻前のことである。旧二戸市方面師団のレーダー部隊より、北東旧青森県八戸市はちのへ方面から敵影多数の報が入ったのである。


 そしてたった今、F地点の壁がコタツの攻撃により崩壊。コタツの侵入を許したのだ。



 ――――――



 辺りのレーザー式機関銃CLM-4からは眩いばかりに青い閃光が無数の槍となって、倒壊したフェンスの合間に向かって飛翔していった。


 達也がトリガーを引く機関銃の銃口からも鋭い音と共に次々と青い閃光が飛翔し、銃身に取り付けられた空冷式クーラーが悲鳴を上げるかのようにタービンを回転させる。


 レーザー式の銃に反動はほとんどない。その分扱いやすいが、毎分4000発もの速さでレーザーを撃ちだすレーザー式機関銃CLM-4のエネルギー消費量は並みではない。


「リローディン!」


 あっという間に機関銃のエネルギーバッテリーは空となり、彼はすぐに足元のバッグから次のバッテリーを取り出して、機関銃へとリロードした。


 煙を上げるほど発熱したバッテリーが足元に落ち、空いた空洞にすぐさま新しいバッテリーを差し込む。そして、すぐにまたトリガーを引く。


 光の飛んでいった先、夥しい量のコタツの進軍地点には次々と青いレーザーが着弾していった。

 一瞬にして着弾地点が凍ったかと思うと、そのまま閃光と爆音を上げて爆発していく。戦車から放たれる105ミリレーザー砲も同じ。ただその威力は機関銃のレーザーとはケタが違う。


 レーザー式機関銃CLM-4や105ミリレーザー砲などの対コタツ用レーザー兵器は熱線レーザーを搭載した兵器ではない。実はその逆、当たった物質の温度を一気に下げる冷却レーザーを採用しているのである。


 なぜそんな兵器を導入しているかというと……それはコタツの生態によるのである。もともと日本の暖房器具であったと言われるコタツ。その記憶を保持してか、奴らは高い体温を保持しなければ行動を著しく鈍らせることが分かっているのだ。


 冷却レーザーを撃ち込み奴らの体温を下げ、動きを止めてしまおうというのである。


 彼は機関銃を乱射し続けた。額を滴る汗をぬぐう暇もなく、垂れる鼻水を拭く暇もなく、ただただ壁の裂け目に向かって青い閃光を撃ち込み続ける。


 爆音と共に砕けた氷が煙となってて飛び散り、真昼の光を受けてダイヤモンドダストのように輝いた。あっという間にコタツの姿はその厚い氷の雲の向こうへと覆われ消えていく。


「……打ち方止めっ!」


 もうもうと上がる氷の雲。ひんやりとした空気が達也の頬を撫でる。各々の分隊長の指示により、F地点担当大隊の面々は攻撃の手を止めた。


 ごうごうという重い音と共に、先ほどまでの重い沈黙が蘇る。今さっきのレーザーの狂乱が嘘のようである。


「……やったか?」


 第七分隊長の高井伍長がふと低い声で漏らす。しかし、煙の中からの鳴き声は一行に止むことを知らない。


「いえ、まだ……」


 達也が焦った口調でそう伍長に進言しようと振り返った瞬間だった。壁付近に立ち込める煙の中から、何か黒い塊が恐ろしい速さで飛び出してきたのである。


 達也がそれを認識する間も無く、塊は彼の視界を横断する。


「うわっ!」


 爆音。それは近くの109式戦車が爆ぜた音だった。煙の中から飛び出したが戦車に命中したのだ。


 あまりの爆風に彼は思わず顔を腕で覆う。


「く……全員攻撃! 攻撃を続行せよ!」


 高井伍長が悲鳴のような怒号を上げる。達也が咄嗟に前面へと向き直ると、前面の煙の中から次々とコタツがはい出してくるのが見えた。


 氷の道と化した旧奥州街道の上を、短い脚でのそのそと走ってくる。防衛ラインを構える兵士たちの下へ一直線、その亀のような見た目からは想像できない速さだ。


 迫るコタツ、再びトリガーを引き絞る達也。奴らはレーザー式機関銃CLM-4の照準を巧妙な動きで掻い潜り、一気に防衛ラインへと迫ってくる。


 さらには頭の天板でレーザーを弾き、飛びあがって恐ろしい速さで天板を土嚢や戦車に向かって投げつけてくる。およそ80センチ四方の正方形、厚さは10センチ程の天板。だがその外辺は刃物のように鋭利で、防御力と破壊力は並みではない。


 コタツから高速で撃ちだされた天板は土嚢を切り裂き、250ミリ装甲を誇る109式戦車をいとも簡単に破壊するのである。


『……達也、左だ!』

「う……まずいっ! 避けろ!」


 そのうちの一枚、黒い天板が一直線に達也の分隊付近めがけて飛びこんできた。スピーカーから飛び出す利市の指示、一瞬遅れて高井伍長の悲鳴。


 達也は咄嗟に機関銃を離し、左方向に飛び避けようとする。


「うわぁぁぁっ!」


 傾いていく視界の中、達也は隣にいた高校生志願兵の身体が天板に引き裂かれて真っ二つに千切れるのを見た。反応が遅れ、逃げ遅れたのだ。


 土嚢をいともたやすく破壊し、機関銃を切り裂き、そのまま後ろにいた兵までも両断する。


 噴き出す血しぶきを浴び、上半身だけで倒れ込む高校生志願兵と一瞬だけ目が合う。


 恐ろしすぎる光景に、彼は思わず腰が抜けそうになる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 ぱらぱらと砂袋から飛び出た砂利が舞い、辺りは砂煙に包まれた。仰向けで地面に倒れ込む達也。とっさに地面に打ち付けた背中が痛む。


 危なかった。もし左に避けろという利市の指示が無かったら……彼もまた隣にいた高校生志願兵の如く死んでいただろう。


 全身の震えが止まらず、さっきの光景が白く染まる頭の中でぐるぐると回っている。もし初めて戦場に出た時だったら、恐らくこの場で吐いていたことだろう。


 そして特筆すべきは、ナトリグラスに写った映像のみで熟練兵の目視よりも早く達也に指示を与えた利市の高度な情報処理能力だろう。


 自前の分析プログラムで瞬時に天板の射出方向を計算し、指示を加えたのだ。軍用プログラムにも匹敵するプログラムを独自に作り出し、それを実際に活用するスキル。ハッキングの腕も並みではない。


 これこそ同時期に軍に志願したはずの利市が達也よりも上の階級にいる理由なのだ。そしてそれは、新米ながら軍事訓練の成績も芳しくない達也がここまで生き残ってきた理由でもある。


「た、助かったよ利市」

『なんだ。のろまの割には良く反応したな』


 さっきの切迫した声はどこへやら。再び皮肉っぽい口調へと変わる利市。しかしこうしてもいられない。達也は煙の中すぐさま起き上がり、戦場の様子を再確認しようとする。


 砂煙のせいで土嚢の先の光景は殆ど目視しえなかった。未だ煙の向こうからはレーザー式機関銃CLM-4やレーザー砲を撃ち込む音が聞こえてくる。


 一方の土嚢内は散々な有様だ。直ぐ近くには達也が構えていた機関銃。すぐ横の土嚢を破壊され、あさっての方向に傾いてしまっている。バッテリーや砂袋やらが散乱し、近くには先ほど天板に切り裂かれた同志の死体。


 天板はそのままどこか後背遠くへ飛んでいってしまったようだ。80センチ四方の天板一枚でこの威力。彼は改めてコタツの脅威を再確認せざるを得ない。


「ぐ……伍長! 高井伍長! 無事ですか!」

「その声は、炬立一等兵か!」


 達也は土嚢から一度後退し、先ほどまで高井伍長がいた辺りに歩を進めた。すると、煙の中からすぐに彼は現れる。


「俺は無事だ! 他の奴はどうした?」

「分かりません。ただ……隣の富士野二等兵が……戦死しました」

「ぐ……そうか……」


 彼は立派に整えた太い眉を少しゆがめた。いつもの怒気に満ちた怖い顔も、今は何か弱気な成分が混じっているように見える。


 あれだけ高校生志願兵を見下すような態度を取っていた彼も、本当は上官として志願兵のことを思いやっていたのかもしれない。


「ここはもう駄目だ。お前だけでも退却しろ」

「はっ! 伍長はどうされますか?」

「そんなことを心配している場合か! 急げ、もうすぐ奴らが来るぞ!」

「は、はいっ!」


 いつもの怒気で急き立てられる達也。彼は急いで土嚢付近に駆け寄り、置いてあったコタツ天板製軍用マシェットナイフⅤ型とレーザー式自動小銃CLAR-11を取った。


 緑の鞘に入った長さ50センチ程のナイフに、殆ど同じ全長のレーザー軽機関銃。どちらもナトリのロゴが入った防衛軍の標準装備の武器である。マシェットナイフを鞘ごと腰のベルトにひっかけ、レーザー式自動小銃CLAR-11を肩からひっさげる。そして、再び伍長の元へ戻った。


「炬立一等兵、退却します!」

「急げ! 後方部隊に戦況を伝えるんだ! ……生き残れよ」

「高井伍長こそ」


 伍長に敬礼する達也。伍長も安堵するような笑みで敬礼を返す。


「!?」


 しかし、達也が後方に走り去ろうとした時だった。伍長の背後の煙の中から、四角い何かが飛び出したのである。


 掛布団を広げ、今にも伍長を飲み込もうとするそれは……コタツだった。


「な、何だ!?」


 気付いて振り返る伍長。だがしかし、抵抗する間もなく伍長はコタツの掛布団の中に取り込まれる。咄嗟のことに、達也も動くことが出来ない。


「ぐあああああああああっ!!」

「高井伍長!!」


 柔らかな掛布団の中でもみくちゃにされる伍長。達也は咄嗟のことに震え、その場に立ち尽くす。


「あああっ! 逃げろ炬立一等兵! あああああっ! あっ……ああっ! はぁっ、んっ……あったかい……あったかいよぉぉぉ……」


 伍長の叫びはコタツの掛布団の中でどんどんと変質していった。苦痛に満ちたような声から、次第に快楽を交えた嬌声の如き声へと変わっていく。


 コタツの最大の能力。それは掛布団の中に人間を取り込み、その暖かさで人間を堕落させてしまうのだ。


 堕落と言っても生半可なものではない。


 奴らの掛布団の中に一度取り込まれた人間は生気を完全に失い、廃人と化してしまうのである。その上救出が遅れれば最悪、全身の低温やけどか脱水症状で死亡するのだ。


「はぁ……きもちいいよぉ……」

「伍長……!」

『おい達也何をしてる! 早く逃げろ!』

「利市! だけど伍長が……」

『バカかお前は! もうあれは助からん! それに他の敵が多数迫っているんだ! 急いで後退しろ!』

「ぐ……分かった」


 達也はコタツの中で急速に英気を失っていく伍長を尻目に、一目散に旧奥州街道を南に向かって駆けていくのであった。

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