第31話 青函トンネル
「う……うぅ……」
あれからどれ位経ったのだろうか。ゆっくりと目を開ける達也。少しずつ視界には色が戻り、聴覚や触覚といった感覚がそれに合わせて戻ってくる。
すぐに、彼を鋭い頭痛が襲った。咄嗟に頭を抑える彼。手を離せば、そこにはべっとりと真っ赤な血が付いていた。
彼は重い体を何とか起こし、辺りの様子を見まわした。
バチバチと天井や前面の操縦制御室から飛び出たコードが火花を散らしている。しかし、それ以外に灯りはほとんど無かった。
所々ひしゃげ、荒れ果てた列車内は暗い。そしてフロントガラスの向こうには漆黒の空間。何となく湿っぽい、かび臭いにおいが達也の鼻を刺激する。
「レイ、大丈夫かい……?」
すると、彼はすぐに近くに倒れ伏す少女の姿を見つけた。黒いマントに身を包み、未発達な四肢を投げ出している。
砕けたガラスの破片で顔のあちこちを切ってしまっているようだ。
「ん……達也か……?」
達也が彼女をそっと揺すると、彼女もまたゆっくりと目を覚ました。
「良かった……取りあえずは無事みたいだね……あれ、オコタンは?」
「ここだ。少し手を貸してほしい」
すると、今度は近くに転がった大きな金属片の下から低い男性の声が響いた。よく見ると、もぞもぞとその塊は動いている。
どうやらオコタンが下敷きになってしまっているようだ。
「大丈夫かいオコタン!?」
すぐに金属片に手をかけ、どかそうとする達也。思ったより、その千切れた金属の板は重かった。
軋む体に目いっぱい力を入れ、何とか下敷きになったオコタンを助け出す。
「すまないなタツヤ。助かったよ」
「ここは……余らはどこにいるのじゃ?」
「周囲の風景や先ほどまでの走行速度などを勘案するに、私達は青函トンネルの中にいるようだ。入り口から約1000mほど。オフトゥンによる爆撃で列車の車輪が外れ、そのまま滑ってきたようだ」
淡々と説明するオコタン。彼は挟まれていただけでそこまで傷は負っていないのか、ぴんぴんしているようである。
「ならばまだ奴らが追ってくるのではないか? 今すぐにでも出発せねば……!?」
そう言ってすぐに立ちあがろうとするレイ。
しかし、彼女は突然顔をしかめ、その場にへたり込んだ。両手は自然に右足首の辺りへと延びる
「レイ! その脚は……」
彼女の右足、足首の少し上の辺りには鋭いガラスの破片が貫通し、多量の血がそこから流れだしていた。動脈でも傷つけてしまったのだろうか。
「く、この程度、何のこともない……」
「駄目だ! 下手に動いたら失血で死んでしまう……!」
彼女はぐっと歯を喰いしばり、再び立ちあがろうとした。
彼女特有の力のある重厚な眼差し。しかし、そんな眼差しも今は曇っているように見える。
「余はまだこんなところで死ぬわけにはいかんのじゃ……! まだ……」
「とにかく止血だけでもしないと……!」
「任せてくれ達也」
そう言ってオコタンはさっとその身を翻らせ、掛布団でレイの傷口を包み込んだ。
「なっ、何を!? あっ、はぁっ……!! やめろっ……! あぁぁっ!!」
途端に痙攣を始めるレイの全身。咄嗟に座り込み、オコタンを引きはがそうと掴みかかる。
しかし、彼女の手は力なくオコタンの掛布団をすり抜けていく。
「取りあえずは応急処置はしておいた。これでしばらくは大丈夫だ」
「あぁっ……!! あ……? 痛みが、消えた……?」
しばらくそのまま取り付き、オコタンはレイの脚から離れた。
すると、傷口自体は消えていないが、さっきまで流れだしていた血が止まっているではないか。コタツにはこんな能力もあるのか……!?
「達也、食料を持て。後方約200mに同族が迫っている。すぐに出発すべきだ」
「何っ!?」
咄嗟に車両の後方へと振り返る達也。といっても、車両よりも後ろの光景は一切見ることはできない。
だが、彼らの耳は確実にあの金属音を捉え始めた。数十にも及ぶ不気味なオーブントースター様の金属音のハーモニー。
何度聞いても、その鳴き声はぞくりと背筋を撫でまわしてくる。
「レイ、肩を」
「く……かたじけない」
達也はすぐにレイの肩を持った。血は止まったとはいえ、今までに失った分の血が戻る訳ではない。目に見えて彼女は衰弱しているのが分かる。
達也はそのまま、すぐに列車の割れたフロントガラスの辺りから前面へと脱出した。
目の前にはどこまでも続く暗闇。この先にひたすら進めば、北日本帝国の本土に出られるのだ。
「レイ、大丈夫かい?」
「余のことは気にするな。お主はお主のことだけを心配しておればよい……」
レイの肩を持ち、二人三脚で進んでいく2人。前方には闇。そして背後の闇からはあの金属音が響いてくる。状況は限りなく悪い。
彼らの進むトンネルは少しずつ傾斜し、地下へと潜っていくようであった。それもそうだ。青函トンネルは津軽海峡の海底を通る連絡通路である。
最低部まで降りると、彼らの足首程まで海水が浸水しているようであった。達也は海水がレイの傷口に当たらないよう注意しながら、なるべく早くトンネルの中を進んでいこうとする。
「はぁ……はぁ……オコタン。ここから帝国本土まではどれくらいかかる……?」
「この速度ならまだ20時間はかかる」
「に、20……」
その返事は達也に絶望を与えたのみであった。レイは重傷。自分もそう健康万全という訳にも行かない。
そのくせ、後ろからは大量のコタツが迫っているのだ。これでは……いつかは背後のコタツに捕まることは避けられない。
しかし、彼はひたすら進むしかなかった。ひたすら、足首程まで浸水したトンネルの中を、レイを肩に抱えながら歩んでいく。トンネル内に響き渡るは水音、そして不快な金属音。
体力もほとんど残っていない。しかし、だからと言って諦めるわけにもいかない。
自分はまだやるべきことがある。そしてレイもそうだ。まだ自分も彼女も、死なせるわけにはいかない。
達也はコタツとの共存という悲願のため、レイは彼女を待つ部下と野望のため……必ず生きて帰らなければ。そして、利市や翔奈と再び会わなければ……
「な……」
しかし、達也の前には更なる絶望が待ち受けていた。
目の前には、コンクリートの山。見れば天井が崩れ、それらの隙間からは微かに海水が染み出している。
行き止まりだ。まさかここまで来て……
「そんな、トンネルは繋がってるんじゃなかったのかい?」
「そ、そのはずじゃ……まさか、あの時の爆発の振動で崩れたか……?」
「くそっ!」
彼はすぐにレイを近くに座らせ、そのコンクリートの山へと登っていった。小さな塊を少しどかし、上手く隙間が無いかを探っていく。
しかし、中々二人が通り抜けられそうな穴は見つからない。刻一刻と、背後のコタツは迫ってくる。達也は必死にこけむしたコンクリートの塊を投げ捨てていく。
「……! あった! ここなら通り抜けられそうだ!」
すると、達也は人ひとり分が通れそうな穴を発見した。それを上手く広げ、二人で通れるような穴へと慎重に仕上げていく。
しかし、背後のコタツは彼が穴を掘り終えるのを待とうとはしなかった。金属音は至近距離まで迫り、遂に暗闇の中からその姿を現し始めたのだ。
「くそ、もう少しなんだ……! もう少し……!」
ひたすら穴を掘り進んでいく達也。もう少しで向こう側まで出られそうだ。しかし、背後から迫るコタツはもうすぐレイと接触しそうなところまで辿り着いた。
彼女はもうぐったりと座り込むことしかできなくなっている。
「待ってくれ、お願いだ! どうして、どうして……!」
彼の目からは何故か涙が溢れだした。恐怖、怒り、憎しみ、後悔、悲観……あらゆる感情が混ざりあい、洪水を起こす。
身体がひどく重くなり、作業していた手も鈍く動かなくなる。
「……タツヤ」
ぽつりと彼の胸ポケットで呟くオコタン。その声は珍しく寂しそうな成分を宿していた。
「……タツヤ、私に考えがある」
「……考え?」
「ああ。私があのコタツの群れに突っ込み、彼らの注意を目いっぱい引く。一方的な指示はもう通じないだろうが、彼ら同士の通信を錯乱させ、かなりの時間を稼ぐことはできるはずだ」
「な……じゃあ、君はどうなるんだ?」
「分からない。もしかしたら壊されるかもしれないな」
達也は驚いていた。彼が……オコタンが自分の身を投げ打って達也とレイを助けようというのだ。
あれほど自分の命のみ守ることに専念していた彼が、である。達也は一瞬幻聴でも聞いたかと首を振った。
「タツヤ。君とはここでお別れだ。自分でも不思議だよ。こんな感覚に陥るなんて……今は自らの命よりも、君の命を守る方が価値があるように感じるのだ。もしや、これが自己犠牲……友情というものなのかね?」
達也は何も言い返せなかった。言い返したくても、口が言うことを聞かない。
別れたくないという気持ちとレイを、そして自分を救いたいという気持ちが激しく混ざりあい、昇華していく。
かろうじて出せたのは、オコタンの名前だけだった。
「……オコタン!」
「さらばだタツヤ。私はコタツにして、興味深いものを沢山知ることが出来た。これが君たちの言葉で言う、『幸せ』という物なのだろうな」
次の瞬間、オコタンは達也の胸ポケットから飛び出し、今にもレイに襲い掛かろうとしていたコタツ達の間を駆けて行った。
それに釣られ、それらのコタツ達も金属音を垂れ流し、元来た方向へと消えていく。
遠ざかる金属音。達也は何もできず、ただただその場に佇むことしかできなかった。
「オコタン……!」
小さく呟く。短い放心。
しかし、彼はすぐにオコタンの言葉を思いだし、再び立ちはだかるコンクリートの山へと穴を穿ち始めた。
「よし、つながった……!」
暫くすると、彼の掘っていた穴はちょうど二人分が通れるほどの太さまで広がり、向こう側へと繋がっていた。
達也はすぐにそこから下り、レイが座る近くへ駆け寄る。
「レイ、まだ立てるかい?」
「ふん……お主に心配されるほど……ぐっ……落ちぶれてはおらんよ……」
口だけは強気な態度を崩さないレイ。彼女を肩に抱え、彼はコンクリートの山を登っていった。そのまま、狭い穴を何とか2人で潜る。
「行こう。オコタンの意思を無駄にするわけにはいかない」
2人は、再び暗闇の中を歩きだした。
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