第24話 楼閣の皇女

 次の朝。


 彼は副砲手用の堅い金属の座席で何とか眠りについていた。といっても昨日はあまりの疲労に、食事を終えたらいつの間にか眠ってしまっていたのだ。


 初めて女性と二人きりの密室で過ごす夜。そんな思いを考え付く間もなく、彼の意識は泥沼の底へと沈んでしまったのだ。


「ん……?」


 彼はそんな座席の上で目を覚ました。エンジンは外したがバッテリーだけは接続し、外視用モニターと暖房だけはつけられたままの戦車。毛布なしでもそこまで冷えるということはなかった。


 しかしこんな堅い椅子で何時間も転がっていた彼である。節々体が痛み、起き上がるのに苦労した。


 車内を見回すと、そこにレイの姿はなかった。体を伸ばし、ぽきぽきと全身が鳴る。


 運転手席の辺りには、オコタンがモニターのほうを見て佇んでいるようであった。モニターには相変わらずくぐもったような光に包まれた森が映っている。取りあえず朝は迎えているようだ。


「やあ。おはようタツヤ」

「おはよう。レイはどこに行ったんだい?」

「あの人間ならさっきここを出て行った。川に行くというようなことを言っていたよ」

「川に……? 水でも汲みに行ったのかな?」


 寝起きでまだ目がしょぼしょぼしている達也である。一度川へ行って顔でも洗ってくるのもよいかもしれない。


 それに一度広い場所へ出て体を動かしたいというのもある。


「僕も少し出てくるよ。留守番を任せてもいいかい?」

「分かった。だがタツヤ、やはりあの人間は危険だ。警戒したほうがいい」

「そこまで心配することはないさ。オコタン、自分の命を守るには敵を倒すだけじゃなくて和解するっていう手もあるんだよ? その方が犠牲も出ないし、体力も使わなくて済む」

「ふむ……興味深い意見だ。少し考えてみよう」


 そう言って、オコタンは再びモニターのほうへと向き直った。達也は近くにあった上着を着込むと、一度戦車の外へと出ていくのであった。



 ――――――



 達也は近くを流れていたという川の辺りへとやってきた。昨日レイに教わった方角へ進むと、確かに近くで水の流れるような音が聞こえてくる。雑草や茂みをかき分けていくと、次第にその水の音は大きくなっていくのが分かる。


 辺りは思ったよりも寒くはなかった。日が上っているうえ、曇っているから放射冷却の影響も少ないんだろう。3月の東北地方にしてはかなり暖かいんじゃないだろうか。


 彼はさらに森の中を進んだ。すると、茂みを分けたあたりで少し降りたところに川が流れているのが見えた。


 そこまで太くはなく、巨大なとがった岩たちの間を水が激しく流れていっている。ところどころには流れが穏やかで深めの場所もあるようだ。


「……!?」


 達也が川辺に降りると、すぐ近くの川の中にはレイがいた。深めで、流れの穏やかな水たまりのような場所に腰までつかる彼女の体。


 一つ言うなら、彼女は服を着ていなかった。


「ん?」

「うわっ!? ご、ごめん!」


 達也のほうに振り返るレイ。膨らみの無い胸に華奢な四肢。しかし全身の肌には何か模様のようなものがびっしりとついているように見えた。


 達也はすぐに頬を赤く染め、顔を逸らしてしまう。よく見たら近くの岩に彼女の服が一式畳んでおいてあるではないか。


 襷付きの軍服に数多の勲章。そして下着まで一式である。赤か……なかなか気合の入った下着だ。ってそんなことを言っている場合ではない。


「なんじゃ達也か。何をそんな照れておる。こんな貧相な身体のどこに恥じる要素があるのじゃ。気にすることもなかろう」

「そ、そういう問題じゃなくて……でも、その模様は……?」

「ふふ。よく見てみるがよい。これが皇家の実態じゃ。ほれ、目を開けてこちらを見てみよ」

「ん……本当にいいのかい?」

「ほれ、早く。心配するな。その程度のことで咎めたりはせん」


 達也は恐る恐る顔をレイのほうへ向け、ゆっくりと目を開いた。


「!?」


 レイは達也に背を向けて立っていた。だが彼を驚かせたのは、その小さな背中の全体にびっしりと刻まれた痛々しい傷跡の数々である。


 刃物で切られたようなものから鞭で打たれたような打撲痕、しまいには火傷の跡まであらゆる種類の傷跡が痛々しく刻まれていた。こ、これは一体……


「そ、その傷跡は……」

「ふふ。どうせ生き残れるかもわからぬ身じゃ。冥土の土産に教えてやろう」


 そう言って再び彼のほうへと向き直るレイ。すると体の前面にもその傷跡は続いていた。腕も、足もすべて……顔以外の部分はすべて傷に覆われているようである。


「余は第一皇妃とはいっても身分の低いめかけの子でな。先に生まれた二人の兄上は余を下賤と言って蔑み、10年もの間幼い余を執拗に虐待した。その結果がこの傷なのじゃよ」

「……」


 そう言って、一度自らの腕についた傷を眺めるレイ。その視線は珍しく衰え、まるで怯えるかのような成分まで感じさせる。


「毎日毎日、まさに拷問じゃった。よく生き延びたと自分でも不思議に思う。兄上は余から感情と尊厳と感性と……すべてのものを奪っていったのじゃ。守り切れたのは貞操ぐらいじゃよ。じゃが皮肉にも毒にでも当たったのか、余の体は10歳余りで成長を止めてしまった。20を超えても未だに初潮すら来てはおらん……」

「そんなことが……」

「信じられんか? 結局最後には母は死に、余は離宮へと移って虐待からは解放された……じゃが、余は必ず兄上に、いや皇家に復讐する。余から全てのものを奪った皇家にな。そのために軍に入り、大将まで上り詰めたのじゃ……! それでこのざまじゃよ。恐らく輸送機の墜落も兄上が関わっているに違いない」


 そこまで言うと、彼女は一度遠くに視線を投げた。痛々しい傷跡の数々。その一つ一つが彼女の壮絶な過去を生々しく語りかけているようにも感じる。


 圧倒され、達也は女子の裸を眺めているにも関わらず如何わしさを感じる余地すら与えられない。


「こんな帝国の宮廷闘争ごときにお主らを巻き込んでしまったことには、深く悔悟かいごの念を抱いておる。本当にすまなかった」

「……」


 そう言って、彼女はまっすぐ達也の目を見た。彼女の黒い瞳には、どこまでもどこまでも続いていそうな深い闇。


「ふふ。しかし、つくづくお主は不思議な男じゃ。この時代にあって、豊かな慈愛に満ちている……余もつい喋りすぎてしまったようじゃな」


 彼女は川から上がり、体を拭いてまた軍服を身に纏っていった。下着からズボン、ジャケット、そしてマントまでゆっくりと着替えていく。


 ブラジャーがないのが気になったが、余計なことは言わないでおくことにした。


「で、お主はどうなのじゃ? お主も何か信念のようなものを抱いているようじゃないか」

「えっ? 僕かい?」


 いきなり話を振られ、当惑してしまう達也。


「ふふ。余の目をごまかせると思ったか? あのコタツといい、お主の態度といい、何かあるんじゃろう? それに余が何故わざわざ自分のことをぺらぺらと話したと思っておるのじゃ。話してみよ」

「……」


 なるほど、彼女はなかなかの策士でもあるようだ。自分のことをまず話してしまい、相手も自分のことを話さざるを得ない状況に追い込む。


 もし嘘をついたとしても、ごまかすのは難しそうである。ここで信頼を失うのも得策じゃないだろう。


 彼は観念し、レイに自らの信念について話していった。コタツとの共存、そして戦争の終結。それをこそ彼は望んでいると。


 そのための第一歩として、オコタンを作り上げたのだということを。


「ほぅ……コタツとの共存か……やはり面白いことを考える」

「オコタンはきっと僕ら人間とコタツを繋ぐ架け橋になってくれるはずなんだ。だから……」

「そうかな。言っておくが余はコタツどもを憎んでおる。そもそも奴らさえいなければ余はあんな思いをせずとも済んだはずなのじゃからな。和平よりも復讐をこそ望む人間は多いのじゃ。コタツ共がよくても、そのような人間達がよしとしないのではないか?」

「それは、そうだけど……」

「ふふ……じゃが、お主のような人間もこの時代には必要じゃろう。この先、せいぜい余がお主の歩む道の障害とならんことを祈っておくがよい」

「……」


 彼女はそのまま、達也を置いて森の中へと消えていった。達也も元の目的通り川で顔を洗うと、元来た場所へと戻っていくのであった。


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