第22話 不時着
しばらくして、彼らの乗った戦車は地上へと到達した。
厚い雲を抜け、緑生い茂る山中へと降りていく戦車。最後には小さな沢らしき窪地の近くに降り、バキバキと音を立てて木々の中へと飛び込んだ。
数度の振動の後、辺りは静まり返った。正面のモニターには薄暗い森の景色が映っている。今は初春。辺りには葉の無い木もちらほらと見られたが、雪は解け、地面には新しい植物の目も生え始めている。
一方、この山の頂上の方は未だに大半が雪に覆われているようだった。それなりに標高の高い山なのだろう。
「助かった……?」
「静かじゃな……」
ふと気の抜けた声を漏らす達也。しかし、運転席に座るレイは未だに緊張感のある姿勢を崩さない。真剣にモニターを睨み、敵の存在を認識しようとしているようだ。
コタツ領……それはコタツにより奪われ、人類による支配下から逸脱した危険地帯である。それらの領域は何故か常に厚い雲に覆われ、空中からの偵察は不可能であった。
過去には少数での探索任務も行われたことがあるらしいが、帰還した者は皆無。一体何があるのか、コタツの存在分布は、そしてコタツはどこからやってくるのか……
全ては厚い雲のヴェールに包まれ、
「今のところは何もいない、か……?」
ふと、レイはモニターから顔を離した。どうやら彼女の警戒網には敵の姿は映らなかったらしい。
背もたれにもたれかかり、ふぅと深いため息をつく。そして、回転式の椅子を回し、彼女は一度達也の方へと向き直った。
「達也とやら。貴様には命を救われたようじゃな。この恩、必ず報いよう」
「あ、いや……僕こそ助けてもらったようなものです。一人じゃ絶対に脱出できなかった」
彼女は素直に達也に対して礼を述べた。小さな体、長い黒髪、幼い顔つき……そんな幼い見た目に似合わぬ壮麗な軍服。
黒基調のジャケットには鳥を模したような胸章が象られ、左胸にはいくつもの勲章が輝いている。その上、紅白の襷、黒いマント、ズボンの腰元から下がる軍刀と、一目見ただけでも最上級クラスの将校ということが分かるような様相だ。
それに加えて、彼女の視線は得体のしれない熱と威厳をもって達也に突き刺さった。
一国の王女様、というイメージとは程遠い重くて真っ直ぐすぎる視線。
目が合っているのにもかかわらず、まるで彼女はもっと遠いはるか彼方までを見通しているのではないかという錯覚に苛まれてしまう。
「ふふふ……余に敬語など不要じゃ。貴様はそもそも帝国の人間ではないのじゃからな。しかもこんな状況じゃ。お主がさっき言った通り、今は身分や主義主張なんぞに関係なく助け合うべきじゃろうよ」
そんな鋭い視線に反して、彼女はふと小さく笑い声を上げた。緩んだ口元からは尖った犬歯がちらりと見える。
険しい顔は急に見た目相応の幼さを宿し、達也も何となく身構えた心境を覆されてしまう。
もしかしたら脱出したことを
「えっと、それじゃあ……君の名前はレイで良かったのかい?」
「そうじゃ。
「帝国軍大将……」
大将なんていったら達也にしてみれば天の上の更に上にあるような階級だ。防衛軍で言えば北方防衛軍の総司令クラスの最高幹部である。
そんな軍の幹部がこんな少女などと言うのは俄かには信じがたい。皇族だというのがもしかしたら関係しているのだろうか。
「お主はどうなんじゃ?」
「僕は炬立達也。ナトリ連邦旧八戸市方面師団所属の伍長だよ」
「ふむ。軍人にしてはやけに若い気もするが……お主いくつじゃ?」
君にだけは言われたくない。そう心の中で呟く達也である。
「歳は18、もうすぐ高校を卒業するところで……」
「18か、どうりで若い訳じゃ」
「えっ、でも君の方が年下なんじゃないのかい?」
「なっ……! 馬鹿言え。余の方がお主よりも5つは上じゃ! ま、細かい歳はあえて伏せておくがな」
ふんといって軽く顔を反らす彼女。むすっとした表情はとても二十歳を超えた女性のものには見えない。
一体いくつなんだろうか……気になる気持ちもあるが恐ろしい気持ちもある。
まあともかく、今はもう少し聞きたいことを聞いておくことにしよう。
「レイ……君は、どうしてあんなことを? どうして旧八戸市をいきなり占領したりしたんだい?」
そう聞くと、レイの表情はすぐにあの険しい元のものへと戻った。
「……領土拡張のため、それ以上でも以下でもない。北日本帝国も資源不足が顕著でな。本州へ領土を拡大し、更にはお主ら優秀な労働力を捕虜として本土に連れ帰ることでそれを解消しようというものだったのじゃ」
「そんな……」
何という自分勝手な動機だろうか。ナトリ連邦だって人的物的資源の枯渇は大きな問題の一つだ。
それにコタツという強大な敵を前にして人間同士で争うなど、不毛なこと限りないことである。達也は思わず拳を握りしめていた。
「しかしそれは失敗に終わった……部下の多くを失い、お主ら防衛軍の兵士の命をもいたずらに奪ってしまったのじゃ……お主の同胞の命を奪うつもりはなかった。こんなことで許されるとも思ってはおらんが、詫びさせてほしい……すまなかった」
言いながら彼女は椅子から腰を上げ、達也の前に跪いた。頭を下げ、謝罪の言葉を述べる彼女。
打って変わって下手な態度に、達也は動揺を隠しきれない。さっきまで浮かんでいた怒りも、一気に収束してしまった。
「そ、そんな、頭を上げてよ……!」
「余は隠蔽や工作というようなものが嫌いでな。自らの罪に対し、相応の罰を受ける覚悟はある。達也、もしお主の気が向くことがあれば、いつでも余に罰を下すがよい。余は所詮か弱い女に過ぎん。やりようはいくらでもあるじゃろうよ」
彼女は達也の目を見ながら、そんなことをさらりと言ってのけた。どうやら本気で言っているらしい。堂々たる態度、堂々たる思想である。
「そんな……僕にはそんなことはできないよ……利市が……僕の親友が無事かどうかもまだわからないし。取りあえずは僕と君の命が助かっただけでも良かったんじゃないかい?」
「ふふ……そうか。中々面白い奴じゃな。軍人にしては優しい男じゃ。出世は遅そうじゃがな」
皮肉っぽい笑みを浮かべて、彼女は再び立ちあがった。そのまま、また元の運転席の椅子へと座る。
「まあ……別に軍に所属したのも戦いが好きだったわけじゃないしね」
「ほう? じゃあなぜあんな前線にわざわざ志願したのじゃ」
「それは……」
彼はつい目を泳がせた。コタツとの共存。そんな彼の核とも言える思想をまだ出会って間もない人間に話すのもどうなのだろうか。
まあでも確かに、戦いが好きでもないのに今時前線に出るなんて言うのはおかしな話だ。どう繕おうか手段に困ってしまう。
「まあよい。答え辛いなら無理に聞くことはよそう。さて、問題はこれからどうするかじゃが……」
「……?」
またモニターの方へと向き直り、何か作業を始めるレイ。落下中の映像を再生して、この辺りの地理を把握しようとしているようだ。
すると、達也の胸ポケットの辺りで何かがもぞもぞと動き始めた。トントンと彼の胸を叩き、メッセージを送っているようにも感じる。
ポケットの中にいるのは……オコタンだ。そういえばさっきからしばらく静かだったな。レイを警戒しているのかもしれない。
「……タツヤ、近くに同族がいる。3方向から近づいてきているようだ。恐らくこの場所を把握している」
「な、コタツが!?」
達也にギリギリ聞こえる程度の小声で話すオコタン。その衝撃の内容に、達也は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「どうした達也?」
「大変だ! 近くにコタツがいるよ」
「何!? どうして分かった?」
「それは……今副砲の外視モニターに映ったんだ。間違いない、こっちに向かってきてる!」
「チッ、感付かれたか……? 一旦エンジンを切るぞ」
そう言って、彼女は目の前の戦車の操作盤を数回タップした。それと同時に戦車内の明かりは消え、外視用モニターだけが操作盤の近くに浮かんだまま残った。
戦車の下部からは低音が鳴り、次第に音量が小さくなっていく。
「敵はどこからじゃ?」
「分からない。でも恐らく3方向くらいから包囲されているみたいだ」
「そうか……あまりここで戦いたくはないが……?」
暗闇に包まれる車内。外視用モニターの青い光がぼんやりとレイと達也の顔を照らす。彼らは緊張の糸を張りつめながら、そのモニターを凝視し続けた。
「寒くなってきたな……達也、これでも着ておけ」
「あ、ありがとう」
エンジンとともに暖房も切れ、車内の温度はかなり下がってきた。息も少し白く色づいて見える。
レイは震え始めた達也に纏っていたマントを差し出した。普通だったら男が女にするべきことのはずなんだが……今はそんなことも言っていられない。
達也がそのマントを羽織ると、目の前のモニターからはあの特有の音が聞こえ始めた。
オーブンを起動したときのような不快な金属音。コタツの鳴き声である。大きさや重なりからするに、一匹や二匹ではない。確実に10匹は越えているだろう。
「来たか。やはり感付いておるようじゃな……」
「どうする? このままじゃあ……」
間もなく、目の前のモニターにもコタツの姿が映り始めた。のそのそと歩み、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
正面、背後、そして側方すべてのカメラに10匹を超えるコタツの群れが映し出されている。いくら戦車があるとはいえこれだけの数を相手にするのは無理だ。
「仕方がない。強行突破しかないな」
「でも、ここはコタツ領だよ? 本当に逃げ切れるか……」
「何もせずに無様にやられるよりはましじゃろう。エンジンを再起動するぞ」
「待ってくれ、このままやり過ごしたほうがいい!」
「何を言っておる! 奴らは明らかに余らを狙っておる! このままでは……!」
その時だった。モニターに映るコタツが一斉に飛び上がり、天板砲を射出する構えに入ったのだ!
「まずい――」
達也は思わず、まぶたを固く閉じた。
「……?」
しかし、天板は1枚たりとて飛んでは来なかった。飛び上がったコタツたちは何かを思い出したかのようにそのまま着地し、動きを止める。
周りにいたコタツたちもこちらへと歩んできていた足を止め、急にぴたりと静止してしまった。一体どうしたのだろうか……?
「……。…………。……」
すると、彼は胸の辺りから微かに声が漏れているのに気付いた。
見やると、オコタンが小さく震えながら、達也にぎりぎり聞こえるような小さな声で何かをぶつぶつと呟いているのが分かった。内容までは達也でも把握できない。
「なんじゃ……? 一体どうしたんじゃ?」
訳が分からず混乱するレイ。目を丸くし、モニター越しの外の風景を眺め続けた。もしかして、オコタンが何かやったのだろうか。
しばらくすると、コタツたちはくるりと方向を変え、元来た森の中へと帰って行ってしまった。
「し、信じられん……奴ら、余らを見逃したのか? 達也、貴様が何かしたのか?」
「いや、僕は何も……」
そう言って胸ポケットの辺りをちらりと見やる達也。オコタンのこと……ここで明かしてしまってもいいものなのだろうか……
「ふぅ……とにかく、これは奇跡じゃな。余と達也はよほど悪運が強いらしい」
冗談めかしい口調で話すレイ。にやりと笑み、口元から犬歯が顔をのぞかせる。
こんな表情ができるの辺りも、見た目通りの幼女ではないということを強く印象付けさせてくる。
「これからどうする? 戦車で移動するのは危険なんじゃないかい?」
「そうじゃな。さっき脱出する際に車輪も破壊されてしまったようじゃし、この山中を移動するのは不可能じゃろう。とにかく、日が暮れる前に一度この周辺の地理を確認しておきたいな。目的地の方向もわからないのでは進みようがない」
「分かった。それじゃあ僕はこの戦車のエンジンを改造して即席のスクーターでも作ってみることにするよ。武器になるものもあるかもしれないし」
「ほう? お主そんなこともできるのか。器用な奴じゃな」
「はは、どういたしまして」
褒められてつい照れてしまう達也。あまり女性に対して免疫のない彼である。それなのにこんないきなり密室かつ隔離された環境で女性と二人きりなど、どう立ち回ったらいいかわからない。
こうして、達也とレイはそれぞれ行動を開始した。
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