Ⅴ.皇女降臨

第18話 最終勤務


 オコタンが誕生してから数カ月が経った。


 今は3月の初旬。東北地方の厳しい冬も終わりへと向かい、少しずつ気温も上がり始めた頃である。


 達也と利市は旧八戸市の防衛基地が完成すると、新たに設立された旧八戸市方面師団へと編入されていた。


 八戸市の奪還からたった三カ月。旧八戸市のほぼ全てが何者かによって復興されつくしていたため、基地の再建は思いの他スムーズであったのだ。


 元旧八戸市の防衛基地が置かれていた場所には例の塔と再現された21世紀当時の自衛隊基地が建設されていたが、塔は爆破処理され、自衛隊の基地も改装の上再び防衛基地としての機能を回復したのである。


 結局、旧八戸市の奪還作戦が成功して以来、コタツからの大規模な侵攻は一度も無かった。


 急遽再編された旧八戸市方面師団の人員は通常の半数である5000名にも満たない。それで攻められては元も子もないのではと心配する達也であったが、結局その心配は杞憂に終わるのであった。


 そして今日は、達也と利市の高校生志願兵としての最後の日であった。


 この日が終われば晴れて高校生志願兵としての勤務は終わり、高校卒業を迎える。達也は軍属を降り、利市はさらに参謀本部への勤務のため仙台へと向かうのだ。


 今まで命がけで戦ってきたものだが、ナトリグラスもジャケットもマシェットナイフも今日で装着するのが最後かと思うと何だか名残惜しい気もしないでもない。


「いやあ、でも今日が最後なんて何だかあっという間だったね。結局二人とも生き残ることが出来た訳だし、良かった良かった」


 達也は今、利市と2人で基地の屋上にあるベンチで昼食を取っていた。今は昼休憩の時間だ。


 少し肌寒いが、天高く昇った初春の太陽が青空の上から彼らを照らしているためぽかぽかとして気持ちが良い。


 近くには背の高いフェンスが聳え、そこからは防衛基地の滑走路が広がっている。ウッドデッキになった屋上。辺りのベンチにも何人かの兵士が座り、談笑しながら昼食を取っているようであった。


「ふん。俺としちゃあお前が生きたまま伍長にまでなるなんて未だに信じられないぜ。ちゃんと足はついてるのか?」

「ほらこのとおり、ちゃんとついてるよ。ま、それもほとんど利市のお陰さ」

「ケケケッ。ちゃんと分かってるじゃねえか。だが俺がいなくなった後はどうするつもりなんだ?」

「僕はもう軍属はやめるよ。このままじゃあいくつ命があっても足りなさそうだしね。それに……」

「タツヤ、そもそも命というのは一つしか無いはずだ。それなのにその様な仮定を取るのは不自然ではないか?」


 達也はジャケットの胸ポケットの方へ視線を下げた。すると、ポケットの中からは何やらくぐもった男の声がする。


「物は言いようだよオコタン。これはあくまで慣用句なんだからさ。大げさな例えってやつだよ」

「慣用句か、なるほど。しかし慣用句は存在しない例えや仮定が多いから私はあまり好きではない」

「相変わらず頭がかてえなぁ。言葉で言うだけだったら何でも言えるんだよ。ペンは剣より強しっていうだろ?」


 相変わらず現実的な答えを返していくオコタン。初めはオコタンをあの作業室から出すことは無かった達也だが、最近は彼の要望に応えて出来る開け外へと連れ歩くようにし始めたのだ。


 学校にいる時はカバンに。軍に出仕する時はこんな風にジャケットのポケットの中に彼を入れて持ち運んでいる。


 外から見ると少しだけ不自然に盛り上がっているような気もするが、今のところは利市以外には誰にもばれてはいない。


 そして、やはりオコタンの好みと言うものも達也は少しづつ分かってきていた。彼は非合理的や非現実的なものを忌避する傾向があるのだ。


 だから彼が読む本も評論や史実の歴史書、自然科学の教科書などがほとんどで、小説などはほとんど読まない。時々達也が人間を理解するためにと勧めることもあるのだが、読み始めて数ページで理解できないと連呼して読むのをやめてしまうのだった。


 それを見て、達也も人間がどれだけ非合理的な生き物か理解させられてしまった気もする。


「その慣用句は知っている。だが意味はあまり理解できない。リーチが短く、武器でもないペンが剣に勝てるとは考え難い」

「まあまあオコタン。言葉をそのままの意味で捉えたって駄目さ。言葉にはその裏にある意味って物もあるんだから」

「なるほど。やはり言葉とは不思議なものだ。実に興味深い。もう少し学習を続けなければ……」

「しっかしそんなポケットの中に押し込められて狭かねえのか? ってかそんなところにいちゃあ周りも見えないだろうに」

「心配ない。温度感知と視覚は確かに使えないが、音は十分聞こえる。取りあえずはそれだけで十分だ。これ以上は見つかる危険性も大きい」


 そしてオコタンと話せるようになってから分かったことだが、コタツにはそもそも二つの感覚機構があるらしい。1つが温感、もう1つは音感である。


 温感というのはサーモグラフィーの映像に近いとオコタンは言っていた。まあ、コタツの本来の視覚のようなものなのだろう。


 そして音感。コタツは音を聞きとる機構も備わっているそうだ。その聴力は集中度や雑音の有無によってかなり広範囲に強弱を調整できるらしい。


 本気を出せばあの作業室から達也がスクーターで学校を発ったのを感知できるのだとか。図書館と学校の距離は約2キロほど。恐ろしいコタツの能力である。


 しかし、もう一つオコタンの持つ色付きの視覚に関しては、恐らく将来備わったものではないらしい。


 それがあるからこそ本を読むことも出来ていたわけだが、本来コタツにその様な機能は必要ない。よって、後から吸収した機器の中に視覚を補佐するようなものがあったのではないかと彼は言っていた。


 確かに、そういえば人工知能と一緒に利市はマイクロカメラも付属したと言っていたような気がしないでもない。


「そうかい。それなら良かったよ。オコタンにはもっと人間のことを学んでほしいからね。出来るだけこれからも外に出すようにはするよ」

「なるほど、こういう時に人間は『恩に着る』という言葉を使うんだな? 恩という抽象的な概念が少し理解できた気がする」

「お、よく分かってるじゃないか。さてそろそろ時間だし行くとしようか」

「そうだな。せいぜい便所掃除に精を出してくれよ? 便所分隊長の炬立タケダチ伍長さんよ」

「便所掃除って……伍長になったってのに酷い言いようだねホムラ軍曹さん。君こそ階級は上がったのに仕事は変わらないって話じゃないか。またデスクで居眠りをするだけなんだろう?」

「ケケケッ。まあな。居眠りしていても出来るような仕事ばっかりなんだからしょうがねえだろ?」

「はいはいそいつはお偉いことで……」


 達也はベンチから立ち上がり、下へと続く階段へと向かっていく。利市の皮肉の応酬をうまくかわし、呆れた声を上げて屋上を去ろうとする。


「……待てタツヤ。何か音がする」

「ん? 何か聞こえるのかいオコタン」


 すると、突然ヘルメットの中のオコタンが不審な声を上げた。一度達也は歩む足を止め、その場に立ち止る。


「おいどうした達也。何か忘れ物でもしたのか?」

「いや、オコタンが何か音がするっていうんだ」

「音? 何だそりゃ」

「……数は十五……いや二十だ。重くて何か巨大な機械が動いているような音……方角は後方……北の空の彼方からか?」

「北の空……?」

「おい皆大変だ! 今すぐ戦闘配置につくんだ、急げ!」


 咄嗟に2人が振り返り、北の方の空を見ようとした瞬間だった。屋上へ繋がる階段の中から一人の兵士が飛び出し、必死の形相で叫びを上げたのである。


 階級は少佐。役職章を見るに司令部の参謀官らしい。


「一体何があったんですか!?」

「説明はあとだ! ともかく戦闘配置に……」


 早口で達也に言葉を投げかけていく少佐。しかし、彼の表情は突然、達也らの後方の空を見上げたまま固まってしまった。


 それを受けて、利市も達也も咄嗟に少佐が見ていた方角へ視線を移す。


「な、あれは……」


 そこには、信じられない光景が広がっていた。

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