第三十五話 後太鼓帝の死【終】

 足柄屋敷の一室で、足柄義氏と大斧銛太郎が密談していた。

「お主にしか頼めぬ。この通り、頭を下げる」

「しかし、そのような大事、わたくしには出来かねます」

「いや、そなたの胆力ならこの事成れる」

「しかし、大斧銛太郎の名は大悪人としてこの世に残るでしょう」

「悪名もまた名なり」

「しかし、根源的に考えて、このような事をして良いのですか?」

「お主、民は何を求めていると思う?」

「それは戦無き世。それが何の関係があるのですか?」

「この世に戰をけしかけるもの、それは誰だ?」

「武士ですか」

「そうじゃない! いるだろう大天狗が都に」

「帝……それゆえに、このような命令を?」

「そうだ。やるか?」

「この世の平和のためならば」

「よく言った。大斧銛太郎、当家より暇を取らす。どこへでも好きなところに行け。好きなところへな」

「はっ」

 銛太郎は席を立った。


 都では後太鼓帝が小鳥法師の話を聞き、驚愕なされていた。

「何、上野介は降参した上に許され、副将軍の地位に復したというのか。朕は武蔵守に征夷大将軍の地位など与えていないぞ」

「武家の総意だということです」

「これはいかんな。また吉野に逃げなければ」

「お供いたします」

「真に心を寄せられるのは法師だけか。誰ぞある、吉野に遷るぞ」

 後太鼓帝は手を叩いた。


 鎌倉方三百万は都に向け進軍した。さつきの季節である。総大将は足柄義氏。副将は新羽貞義。将軍格に足柄義直、脇牙義助、安倍頼益、竹原清佐、樫木正成、市松円陣入道、鈴木道世入道、鳥津義弘、橘宗茂、少弐甲斐、吉良貫首、梅井忠常、足柄義益というそうそうたる顔ぶれだ。戦に行くというよりは武者揃えをして後太鼓帝に威圧をかけるのが目的のようだ。

「だがな又太郎」

 新羽貞義が口を開いた。

「なんでしょう?」

「帝はまた、吉野あたりに逃げ込むんじゃないか」

「おそらくは」

「それじゃあ、いたちごっこだぜ」

「まあ、その策も考えてはあります」

「どんな策だ」

「策がなるかわからないので、今はご容赦を」

「そうか」

 それからは沈黙が続き、粛々と軍は進んだ。


 内裏は吉野遷御で大わらわだ。人々が荷物を持って行き交う。その中、後太鼓帝は御息所で一人うたた寝をなされていた。思えば長き人生の旅であった。帝に即位し、幕府に反抗し敗北。隠岐に流された。あの時は縄の親子に助けられた。だが縄伯耆守は死に、息子兄弟の噂はとんと聞かぬ。果たして元気にしておるのだろうか。次は足柄だ。朕の「義」の字までくれたというのに、朕に歯向かうとは大悪人じゃ。だが、かわいいところもある。朕が吉野に隠れれば、わざわざ迎えに来る。根は良い輩なのだ。今度もきっと、吉野まで迎えに来てくれるであろう。そうしたら、少しばかりおとなしくしてやろうかのう。

 そう後太鼓帝が一人、夢うつつに考えられていた時、コトリと音がした。

「なんじゃ、法師か?」

 後太鼓帝はお尋ねになられた。

「いえ、違いまする」

 答えがあった。

「では誰じゃ」

「お忘れかと思いますが、何度か拝謁した事のございます、大斧銛太郎と申す者でございます」

 後太鼓帝は後ろを振り返られた。じっと銛太郎を見入られる。

「其方か。覚えておるぞ。しかし、其方は官位はなんだったかな?」

「無位無官でございます」

「よく、ここまでこれたのう」

「騒ぎにまみれ、潜入いたしました」

「ほう、剛毅な」

「ありがとう存じます」

「ところで、何の用じゃ。こんなところまで命がけで侵入して」

「はい。帝にも命をかけてもらいたく参りました」

「何、朕に命がけになれと」

「はい」

「何に命がけになれと申すのか?」

「文字通りの意味で」

「何?」

「民は戦のない世の中を求めております。しかし、その民の頂点に立つお方が、戦を求めている。これは許されざることではございませんか」

「つまりは朕が戦の元凶とな」

「はい」

「故に、朕を斬るとな」

「はい」

「何をたわけたことを。誰かある。曲者よ」

 後太鼓帝は叫ばれた。しかし、衛士はこない。

「ここに来る前に、衛士は倒して遺体は隠し申した。誰も来はしません。できれば、ご自分で身を決めてていただきたいのですが」

「たわけたことを申すな。朕にも武芸の覚えがある。曲者くらい斬って捨ててくれるわ!」

 後太鼓帝は玉剣を抜かれた。

「いやーっ」

 後太鼓帝は剣を振り抜かれた。なかなかの豪剣であられたが、銛太郎は平然と避けた。そして、

「お楽に極楽へ行けますように」

と言って首筋に一太刀当てた。

 後太鼓帝の左首筋から鮮血が噴き出す。銛太郎は続けて後太鼓帝の心の臓を剣で突き刺した。後太鼓帝は絶命した。

「ああ、日の本のためとはいえ、帝の命を絶つとはなんたる大悪人」

 銛太郎は叫ぶと御息所から駆け出した。そのあまりの異様さに誰一人として銛太郎を咎めるものはいなかった。


「帝、遷御の支度が整いましたぞ」

 寵臣の吉田照房が御息所に入ってくる。

「帝……帝!」

 照房は変わり果てた後太鼓帝を見て、腰を抜かした。

「だ、誰ぞ、薬師を……」

 叫んだところで、もう手遅れだった。

 

 武家連合が都に近づいてきた時、旅装束の男が一行の前で平伏していた。

「銛太郎」

 足柄義氏が駒を前に進める。

「我が事なりまして候」

 銛太郎が叫ぶ。泣く。

「そうか、辛い役目を負わせてしまったな」

 義氏も泣く。

「どうしたというのだ?」

 新羽貞義らが近づいてくる。

「ここだけの話だ。帝が崩御された。急な病でな」

 義氏が涙ながらに言う。

「気宇壮大なお方であった。残念だ」

 涙を拭おうともしない、義氏。

「ですがこれで、政がしやすくなりますな」

 そういった足柄義直を義氏は鞭でひっぱたく。

「たわけ者め!」

「申し訳ございません」

 落馬して、平伏する義直。

「して、銛太郎。お主には暇をやった。これから如何するのじゃ?」

「海に帰ります」

「海に? それは惜しい。俺の家臣になれよ」

 貞義が言う。しかし、銛太郎は、

おかの権謀術数を用いる方々の争いにはもう辟易しました。海に戻り四海の平和をまた守りとうございます」

と言って貞義の誘いを断った。

「銛太郎よ」

 義氏は言う。

「わしは陸を、この日の本を、平大将軍の海賊のように一致団結して平和な国にしたい。お主の働きはそのための第一歩じゃ」

「はい」

「おい、銛太郎は何をしたんだ?」

 貞義が聞く。

「さあ、何でしょうな? しかし、今回の争いごとを鎮めたのは銛太郎を置いて他にない」

 義氏は答える。

「よく分からん。でも、銛太郎が海に帰りたくなる気持ち、それもわからぬではない。なあ、俺も海に連れて行かぬか?」

「兄上、たわけたことを」

 脇牙義助が諌める。

「冗談だ。陸奥守」

 貞義は笑い転げた。

「さて、名残もおしゅうございますが、そろそろまいります。皆様、さらば」

 そう言うと銛太郎は海に向かって足早に去っていった。

「さあ、我々は都に急ごうぞ」

「おう!」

 武家連合は進軍していった。


 海に向かう銛太郎は途中で迎えを請う狼煙をあげていた。その時、

「天下の大悪人、大斧銛太郎。かなわぬまでも一矢報いたい。覚悟!」

と誰かが襲ってきた。だが銛太郎は冷静に、

「無駄なことはやめろ。小鳥法師」

と言った。

「だからかなわぬまでも……」

「みなまで言うな。これで、日の本が平和になるんだ。そのことくらいお主にも分かっているだろう」

「…………」

「それ、黙った。其方の帝への忠義はよく分かるが、日の本を混乱に陥れたのもあのお方だ。わたくしは自分のやったことを後悔してはおらぬ」

「二人して、隠岐からお救いした帝だったのに」

「あの時は帝があんな大狸だとは分からなかったからな」

「しかし、弑し賜ることはなかったのではないか?」

「遠島にでもするか。また、我らのように救い出そうとするものが現れるぞ。帝の存在、それ自体が混乱の元だったのだ」

「お優しい方だったのに」

「それだけでは政はできぬ」

「ううぬ……拙僧はこれからどう生きればいいのだ?」

 法師は地に崩れ落ちた。

「一緒に海に来ればどうだ?」

 銛太郎は尋ねた。

「嫌なこった。あの日の船の揺れ、忘れはせぬわ」

「ならば、この地に留まり、武家連合の政の様をわたくしに知らせてくれ。連絡方法は教える」

「おお、それはいい。で、奴らの政に破綻が来たなら?」

「我ら平将軍の海賊が世直しに来る」

「それじゃ、それじゃ!」

 法師は喜び勇んだ。

「ここに、我らへの狼煙の上げ方と火薬を置いていく。その日が来たら狼煙を上げよ」

「おう!」

「では、さらばだ」

「さらば」


 大斧銛太郎は海に帰る。陸は銛太郎を惑わし、悩ますばかりであった。しかし、海は大きな懐で銛太郎を迎えてくれる。平和な時が訪れると銛太郎は思った。

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