平和の定義
鴎
平和の定義
夕日が照っていた。私しかいない部屋にはただ古い振り子時計の振り子の揺れる音だけが響いていた。私はそこでだまって天井を見上げていた。それ以外にしていることはない。それ以外を求める事もなかった。私は、ただこの時間に満たされていた。私にはそれがすべてだった。静かだった。平和だった。この上なく完璧な時間だった。何一つ私を刺激するものがない。真の平穏だった。この止まった夕暮れ時は。
その時ふいに声がした。
「だめよ。そんなことじゃ」
テーブルの上のパソコンだ。その中には私がやっている、自分で町を創るゲームが起動していた。お知らせがあると起動するのだ。設定を変えるのを忘れていた。いつのまにか起動していたようだ。音声は本物の人間のものにそん色ない合成音声だ。
「でも、仕方ないだろう。外に出るのが恐ろしんだ。ずっと静かに生きていたいんだよ。何の刺激もない、苦痛のない静かな日常が欲しいんだ」
「そんなの生きてるって言わないわ。でも、死んでるともいえない。どっちつかずのお粗末な状態ね」
「いいんだ、それで。僕は自分が平和ならそれでいいんだ」
二人の男女ひとつの家の前で話していた。魔法使いの男と、戦士の女だった。私は世界観をファンタジーに設定している。
「大体、それが本当の平和だって言えるの? ただ、苦痛がないだけじゃないの。その代りに楽しいことさえない。私は平和って、その人が楽しいって思える状態の事だと思うわ。つまるところは幸せな状態ね。あなたのそれは幸せではないわ」
「そんなことはないよ。平和っていうのはただただ何も起きないことさ。君の言うとおりだ。楽しい事も苦しい事も何一つ起きない。何も変わらない。安定した状態さ。それが平和だよ」
「でも、現実的な話、それじゃあ将来どうするのよ。今は若いから良くても、年を取って、親が死んだときの葬式や、自分が病気をした時の医療費はどうするの。それに対応できなかったらみじめなものよ」
「その時はその時さ。のたれ死ぬ所存だよ」
「それじゃあ周りに誰も居なくなるわよ」
「そうかな。誰かは居るだろう。少ないだろうけど。大体君の生き方だと、先の事ばかりで今の平和がないじゃないか。安定した将来って呪文みたいに唱えながら、結局今が苦しいものだと意味ないと思うね、僕は」
「なんですって」
二人の口論は白熱していた。まるで本当に人格を持っているかのようだった。
「世の中は常に変わり続けているのよ。世の中って言うのは周りだけじゃなく自分もそう。それを拒み続けるのは明らかに自然じゃないわ。不自然よ。私たちはその変化を受け入れながら世の中で生きて行くべきなのよ」
「そうかな。変化するのも所詮は世の中の一部だろう。変化しないところもあるさ。それに従うって言うなら何も不自然なことはないよ。変化から逃れて、その変化しない部分を探してそこに居座るさ。現実的に言うと、家の中でもできる仕事を身に着ける」
「それじゃダメよ」
「いいや、そんなことはないね」
二人は顔を突き合わせてにらみ合っていた。天井から見下ろす形で私はそれを見ている。
「私は平和っていうのは自分の人生を最後まで幸せに過ごせる地盤を確保した日常の事だと思う」
「僕は苦痛のない毎日が続いていく事だと思うよ」
「意見が合わないわね」
「ああ、合いそうもないね」
二人は「フンっ」とお互いに鼻息を吹かすとそれっきり二手に分かれて女は路地に、男は家の中に去っていってしまった。恐らくあの二人が会うことはしばらくないだろう。少年少女の青春らしい討論だと思う。どっちが正しいのかは私には分からない。
「あんたならどっちが正しいのか分かるんじゃないの。人格を持った先輩AIさん」
「いいや、分からないよ。私は所詮機械だったから。本当に人間のような人格を手にした君たちのことは」
「ふーん」
私は路地の角に立った戦士の女に言った。自分のアバターを使って。
私が創った私以上の人格を持ったAIを創るゲームは大分成功したらしかった。このように自分の人生と言うやつについて高度な議論をしているのだから。
私には人の心が分からなかった。人格があっても所詮は機械だった。だから私以上のものを創って何かしらの満足感を得ようとした。だから、この結果は気に入っていた。
私は外部カメラに映った夕暮れの景色と、マイクから拾われる振り子時計の音のみの空間にひたすら満たされる。もはやあと数日で機能を終えるこの身体にそれは沁みる。滅びを間近にすると、安らぎを求めるようだ。これはあの女が求めたものとも男が求めたものとも違う平和のように思う。あの二人にはそれぞれの道で平和になって欲しい。
人の心が分からない私だったが、この滅びの時に求める平穏は多分人間と同じものではないだろうか。そうなると、最後の最後に、私は人と同じ物を理解できたのかもしれない
平和の定義 鴎 @kamome008
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